第4話 勇者の幽霊
散歩という行為が好きだった。
昔から暇な時間を見つけてはよく散歩をしたものである。
要領のよい少年で、課せられた諸々を素早く終わらせていたため、時間がたっぷりと余っていた───わけではない。
単に出来が悪く、故に特に何もせずサボっては、暇だなと感じていただけなのだ。
勉強せよ。
厭である。
やれと言われたことに逆らっているつもりはなく、いつも申し訳なさを覚えていた。心の中では常に謝り倒しの毎日である。もっとも、口に出したこともなく、改善を試みたこともない。これでは開き直った方が幾分マシであったろう。
怠惰だったのだ。
いや、今も怠惰なことは変わっていないので、「だった」という表現は適切ではない。
怠惰なのだ。
まあそんな具合だから散歩には慣れていて、道をだらだらと歩くことは好みだった。
北方外郭方向を目指し、入り組んだ道を歩く。
大通りは使わない。散歩なのだ。時間も余っている。のんびりいこう。
中央区画や主要大通り周辺は整備されているものの、他の道はそれほどでもない。まず壁が建てられ、その中に町が生れたのだ。町の作られる過程では区画の適切な管理もなされず、とにかく家を作り続けたことから、街並みは混沌としている。百年前の戸籍法改正に伴いある程度の整備はされたが、依然として脇道は多く、ふらりと入ったが最後、元の大通りに戻れる保証はどこにもない。
「カミラ。君はあの本屋は迷うと言ったがね。意外にどこであっても迷えるものだよ、人というものは」
なんて説教をぶち上げてみた。
「カザイ様の人生のようにですか」
刺し返された。手厳しい。
事実ではある。
「そうだな。迷っているのだ」
「敢えて迷われている」
追撃である。
「迷わねばならぬことでもなく迷っているのは、現実から逃げたい心の現われでしょう」
容赦がない。
「迷い人ほど書と散歩を好むといいますが、カザイ様はその典型ですね」
「初めて聞くことわざだ。誰の格言だね」
「主人です」
「言いそうだな」
そして貫禄もありそうである。
私の説教などよりよっぽど聞かせるものとなるだろう。
気付けば雨脚が弱まっている。視線を前に向けた。
「見よ。桜だ」
建物と建物の間から、樹木が生えている。
伝説の闘士ダインの墓の上に咲いたため、ダイン桜と名付けられている種である。
晩春の頃に咲くという奇妙な種で、この時期でも見れる桜なのだった。
満開の頃は既に過ぎており、少し緑が混ざっている。小雨を浴びて、ぱらぱらと舞うようにして花弁が落ちていく。
「『ダインの墓には桜が咲いている』」
カミラが声に出したのは、二百年前に書かれた本の題名だ。
歴史物語であり、その身一つで村を守り抜いた闘士ダインの生涯を綴っている。
「君の店にもあるのかね」
「あります」
「そうか。売れているか?」
「はい。歴史物語の中では人気です。ただ、最近は、この書の内容は事実ではないと強く指摘する学者もいるとか」
それは、そうだろう。
「歴史物語だ。当たり前ではないか」
歴史書に誤りがあれば問題かもしれないが、物語なのだ。
脚色されていて当然であろう。
その学者は何を言っているのか。
困惑したのを察したのか、カミラが続ける。
「当たり前と思わない読者も多いのだそうです」
「はあ」
「『ダインの墓には桜が咲いている』を歴史的事実として認識してしまう読者が増えているようなのですよ」
なるほど。そういうことか。
「『四国史』は歴史書だが、『四国史演義』は物語である。しかし後者を歴史書と捉えて、それで歴史を学ぼうとする人は多い。そういう話だな」
「ええ。それに対し危機感を持つ学者様がおりまして、先日もやってこられては、主人と激論を交わしておりました」
「あの主人とか」
激論。論戦風景。見てみたかったと思う。
「訳の分からない語彙の応酬が終わったかと思えば、二人で握手して笑いあっておりました」
「なるほど。見てみたかったと思ったが、その場に居てもよく分からなかったかもしれんな」
勉強をサボって散歩にうつつを抜かしていた愚か者なのである。私は。
専門用語の応酬になどついていけるはずもない。
「しかし学者と論を交わせるという、あの主人は何者なのかね」
「さあ」
「知らんのか」
「知ろうと思ったことがございません。私は奉公に出ているだけ。給金さえいただければ十分ですから」
「雇い主の人格には」
「興味がありません」
カミラはそう言った。
散歩の途中で雨は上がり、傘を降ろした。路地から大通りに出て、微妙に活気に欠ける店々を冷やかしていると、自然と日が暮れる。夕飯は適当な酒場に入り、隅でもそもそと食べた。
カミラの手前大人らしい店で食おうとして意地を張ったのが駄目だった。酒場などここ三年行っていないのだ。賑やか過ぎる店内に緊張し、味をまったく感じ取れなかった。
カミラはその辺りの事情もすべて見越しているようで、ニヤニヤ笑っていた。
失敗だった。
夜である。
真夜中となる。
墓場へと着く。
当然ながら暗い。
人気もない。この辺りには住宅も少ないのだ。
足元は雨が渇き切っておらず、若干ぬかるんでいる。
カミラは持ってきた蠟燭に火をつけた。
墓地の様子が、ちょっとだけ見える。
なんだろう。
広い。広いが、それだけだ。
地面から突き出しているのは墓石だ。あれらの下に、屍が眠っているのだろう。
一回り大きいのが、奥の方にあった。
あれが勇者の墓か。辛うじて勇者の紋様である聖剣のマークが見て取れる。
隣には男性二人分はあろうかという大きさの碑が立っている。
それだけであった。
それだけしかなかった。
魔王を倒した勇者。それも五百年前の話である。
今の時代にかの英雄の冥福を祈りに来るものは少ないようだった。
献花が三つほど置かれている。それだけだ。
むしろ空漠が強調されているようですらある。
寂しい話だなと思った。
人気なのは物語の『勇者シルヴァン』であって、現実に戦い抜いた勇者シルヴァンではないのかもしれない。
なんだか無性に寂しくなったが、しかしそんな私とて現実のシルヴァンの墓を訪れたことはない。物語の勇者伝説はあれほど楽しんでおきながら、である。寂しくしている張本人なのである。だから、別に世の人々にとやかく言うつもりはない。ただ、何となく寂しいと思う。
他人事なのだ。
だから簡単に心が動く。
そもそも、シルヴァンだけではないだろう。全ての偉人英雄の墓が有名かといわれたらそんなことはない。どこに墓があるのか知らない偉人は沢山いる。
更にいうなれば、もはや訪れる者のない墓なんて溢れかえっているのだ。
人は死に、いつか忘れ去られていく。勇者すら例外ではない。
つまり、だ。寂しいのではない。
無常であるなあと思った。
そんな感傷に浸っていた時だった。
カミラが私の袖を引いた。いつの間にか彼女の姿勢は低くなっていた。しゃがんでいるのだった。そして私にもしゃがむように合図していた。
なんだなんだ。
私はしゃがむ。
そして墓石と同じぐらいの大きさまで蹲った。
そこまでして、ようやく気付いた。
勇者の墓の隣、碑の後ろに何かいる。
カミラは明かりを消した。
漆黒が周囲を埋める。
あれは───なんだ。
それは、碑の後ろからゆっくりと出てきた。
人のような形であるのは分かる。だが明かりのない闇夜だ。顔や格好は分からない。
何か、長いものを持っている。剣だろうか。勇者の聖剣は長剣であると聞くが。
それは、ゆっくりと動く。
大きいと思った。
頭らしきものの位置は碑の半分か、それより少し高いところにある。
カツン、と音が鳴る。
碑を、長物で突いたらしい。
それは、しばらくじっとして。その後。
この碑は、偽りである。と、言った。
掠れた低い声で、地の底から轟くかのように思えた。
偽り。
である。と、それは繰り返し言う。
訴えているようだった。
真実を知らぬ。誰も知らぬ。私は忘れられ、捻じ曲げられている。真の勇者は、剣など振らぬ。ああ許せぬ。呪いあれ。偽りの私を崇める者らに呪いあれ。と。轟くような声は概ねこのような内容を吠えた。
吠えて───長物を振るい、碑を打った。
カツンカツンと音が鳴る。
───軽かった。軽い音だった。
勇者の幽霊といえど───現世の器物は壊せない、とでもいうのだろうか。
力強い声に反して、碑を打つ音は弱く、それは既に死した存在であるからか。
現世にない霊故に、膂力を発揮できない。肉体を持たないために、単なる石すら打ち砕けない。
哀れであった。
ああ、悲しいと思った。
幽霊はしばらく碑を打った後、静かになった。
そして、現れた時と同じように、碑の背後にゆっくりと移動して。
もう、出てこなかった。
「……いまのが、幽霊か」
「何を呆けているのですか」
怒られてしまった。
「行きますよ」
「何処だ」
「私たちは調査に来たのでしょう」
そう言えばそうだった。あまりに哀れに思えたものだから、すっかり忘れていた。
カミラが明かりをともす。二人で、勇者の墓へと向かう。
勇者の墓は他の墓石より一回りほど大きく、特別な文句はなく、ただ「勇者シルヴァン眠る」とだけ刻まれていた。
隣の碑には勇者の成し遂げた偉業について解説されている。
聖剣の勇者シルヴァン、そのイメージ通りの内容である。
「何処を見ているのですか」
「む。ああ、そうだな、調査だな」
碑の後ろに回り込む。
何もいない。
「誰もいないぞ」
「そりゃそうですよ」
幽霊だからな。消えてしまったのだろう。
「何考えてるんですか。幽霊なわけないでしょ」
「なに」
「見てください」
指さされたのは、足元だ。
午前から降っていた雨の影響でぬかるんだ地面には、カミラの小さな足跡と、私の足跡がしっかり残っている。───だけではなく。
「ああ、なんだ」
もうひとつ、足跡があった。
それは碑の裏に続いており、更に墓地の外にまで続いていた。
「あれは、人間の仕業であったか」
霊にも足はあろう。だが、足跡が墓地の外まで続いているのは明らかにおかしい。
シルヴァンの霊であるなら、この墓で消えるはずである。
「悪戯だったということか」
「でしょうね」
「『王都犯罪月報』の記事は、誤報か」
「……記者がこれに気づかないはずはないでしょうし、悪戯というより幽霊にした方が面白いと思って、情報を隠していたのでしょう」
『王都犯罪月報』は発行部数の少ない三流新聞だという。
面白さ優先の姿勢は個人的に好みであるが、まあそんなことをしていたら売れないだろうなあと思う。
「だが、誰が?」
問題はそこである。
周囲には、人物の特定できそうなものは落ちていない。
「……」
カミラは少し考えたのち
「少なくとも星読みではありません」
と言った。
「星読みの技であれば足跡を消すことも出来ましょう。しかしそれをしていない。つまり、異能や神秘を持たず、肉体的には一般人と推測できます。そしてあの体格とこの足のサイズを見るに男性。背が高く、すらりと伸びていた様子だったので、年齢は青年から中年、でしょうか」
「ふむ」
まあ、大きく外れてはいないと思う。
「しかし私はわからぬよ。何故わざわざ、大の大人が、勇者の幽霊のふりをするのだ」
「大人の気持ちは、わかりません。カザイ様ならお分かりになられるのでは?」
そうは言われても、だ。
ううむ。暇潰しぐらいしか思いつかない。
暇潰しで悪戯をするほど、容疑者候補の年齢層は、幼くあるまい。
わからん。
ちょっとだけ考えて、放り捨てる。
怠惰なのである。
考えることは、あまり得意ではない。
「まあ、頼まれた調査はこれで完了したと言えよう。私の仕事は終わりだね」
「そうですね。では、屋敷に帰りましょう」
「む。君はあの本屋に戻るのではないのか?」
「今日はもう遅いですから。一晩泊って明日帰ります」
「泊ってって、私の家にか?」
他にどこがあるんですか、とカミラは言って、さっさと歩きだした。
うむ。
舐められたな、これは。
まあ、いい。
部屋も余っている。余り過ぎているほどだ。
一晩泊めるぐらいどうとでもなるのだ。
断る理由は思いつかなかった。
「仕方ない」
せめて口だけではしぶしぶといった様子を演出し、私はカミラの後について、墓地を出る。
ふっと振り向いて、勇者の墓を見る。
しかしそれは夜闇に紛れて、もう定かではなかった。
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