第2話 セドリック・ライドウ

 さあどうぞと、少女は身を引き、入り口を開けた。


 私は、入ってみることにした。


 中は暗い。暗黒杉の森林が昼間に思える程の暗さである。


 窓がない。


 代わりに蝋燭が燃えている。

 煌々と照る炎と、その下の白い身が眩しい。よほどいいものを使っているのだろう。


 どことなく神殿めいている。或いは迷宮か。迷うのも納得という趣である。奥まで見通せない。どこまでも果てなく続いているような気すらした。気のせいであるが。


 気のせいが収まってくると、ようやく周囲が分かり始める。


 なるほど確かにこれは凄い。


 相当に奥行きはあるが流石に限界はあって、奥にはカウンターと階段が見える。


 左右の壁面は全て本棚であり、値札のつけられた本が高く、高く、うず高く積まれている。棚の中に立てて置かれているものもあれば、棚の前の机に寝かされ積まれているものもある。とにかく数が多い。夥しいという言葉を形にしたのなら、こういう光景になるだろうという、書、書、書。とにかく書籍が多いのだが、中には筒に入れた巻物、紙が簡単に括られただけのもの、果ては石板すら見える。


 まだ目が慣れ切っておらず、書名は見えないが、辛うじて読み取れたところ王国言語のもの以外にも見覚えのない字の記されたものがいくつも見えた。


 これは確かに迷うだろう。


 圧倒されてしまい、ふらふらと正気をなくしたように歩く。


 徐々に目が慣れて、よりはっきり見えるようになってくる。


 真ん中あたりで上を向いてみると、上方にも蝋燭が並んでいることに気づく。

 二階があるのか。或いは三階まで。それとも……もしや四階まであるか。


「上も書架か」

「上も本です」

「見られるのかね」

「構いませんが、出られなくなるだけでしょう」


 迷ってしまいまする。少女は言った。


「それに品揃えは私どもが把握しておりますので。お求めの御本をおっしゃっていただければ上でも下でも持ってきましょう」

「はあ、なるほど」


 いやここ数日、王都中の本屋を巡ったが。

 ここ以上に広い本屋はいくつかあった。星導院の図書館などは宮殿の大広間相当の空間に本が詰まっていると聞く。それらに比べればむしろ小ぶりな建物と言える。

 だが本の数ではこちらが上なような気がしてくる。


 ここには本しかない。


 とにかく、空間における本の密度が異常である。

 いつまでも阿呆の様に上を見上げていてはいけない。ゆっくりと下に、視線を下ろす。


 奥のカウンターの上に、絵画がかけられていた。そこそこに大きなもので、中には杖を持つ魔法使いが描かれている。


「星霊導師ルーンか」


 少女は答えなかった。


「あれも売り物かね」

「主が売ると言ったのなら、あれも売り物と成りましょう」


 なるほどと頷く。絵画も書かれた物───書物に違いない。


「新聞もございます」

「はあ。そんなものまで扱うか」

「楽譜、脚本もございますよ」


 凄まじい品ぞろえである。


「この店は、なんだ、本屋というよりはやはり王立星導院図書館のような、そういうものに近そうに思える」


 が。

 そうしたところは本を売ってはくれぬだろう。貸し出しはしてくれるかもしれないが。


「ここは、売るのだな」


 確かめるように言うと


「本屋ですから」


 と、少女とは違う声が答えた。前方からだ。慌てて視線を向ける。

 目が二つ浮かんでいるように思えてぎょっとした。よく見ると、カウンターの奥に一人、座っているようだった。

 閉じ切っていなかったのか、風が吹き、蠟燭の炎が一瞬赤さを増した。

 赤色でありながらも冷然とした炎光に照らされて、その姿が露になる。


 なんともまあ、美しい青年だった。


 少女と同じように白い肌、けれど少女のそれ以上にその肌は白く思えた。輝くような純白ではなく、透けてしまうような幽白。それに反するような黒い髪は長く、後頭部で結わえてある。切れ長な目は妖しく、薄い青を湛えた瞳が中に納まっている。鼻はすっと通っていて、なにより形がよい。同性であるが、見惚れそうになった。


「お客様でしたか」


 彼は言った。視線を少女に向けた。


「カミラ。お客様が見えたなら───ちゃんと呼ばなきゃいけないよ」

「申し訳ございません」

「いやいや、ご亭主。これは私がずっと話していたからいけないんだ。彼女は悪くない。物珍しくて、つい色々と尋ねてしまった」


 言いながら、じっくりと亭主を見る。

 服装には、取り立てて語るような特別なところはない。それがまた恐ろしいほどである。美貌に釣り合うような服装ではない、ないと思うのだが、しかし語る所がないということは、似合ってもいるということである。貴族服だの仰々しいところの全くない姿は、この暗闇と見事に調和している。


「何をお探しですか?」

「ああ、いや」


 さてどうしようかと迷ってしまった。

 なるほどこれだけ本があれば、勇者一行の絶版本も、あったとしてもおかしくない。原本などなかろうが、写本程度なら置いていよう。


 だが、もしないとしたら?


 まあ、ないならないで、なかったというだけなのだが。勉強に全てを投げ打つ姿をここ数年見ていただけに、なかったという言葉で合格祝いとする事には抵抗がある。


 なので、聞いてみるのが怖くなった。


 そんな逡巡を別の思索と読み取ったのか。主人は


「それとも売りますか」


 と問うた。

 売る。


「売る、とは」

「当店は古書店でもありまする」


 カミラと呼ばれた少女が補足した。「古書買取・誠実査定」


 ここに来て何度はあと頷いたかもうわからなくなってきた。


「売るものは、申し訳ないが持ってきていなくてね」

「その、懐のものも?」


 言われて思い出す。ああ、そういえばここを教えてくれた店員のいる『聖剣堂』で『青月のシルヴァン』を買っていたのだった。


「これはまだ読んでいないんだ。売るわけにはいかない」

「そうですか」

「ご主人。ここの本は、全て売り物なのかね」

「はい。どの棚のどの本も皆売り物にございます。勿論、売り物であるからべたべた触るなとも申しません。どうぞごゆっくり、好きなだけ物色してくだされば」

「うーむ」

「学問はお好きですか」

「いや───そうでもない。大して勉強もしてこなかった。姪は大層頑張ったがね。あれは弟夫婦に似たものだ。その弟は父に似た。私はまあ、怠惰に生きてきたものだよ」


 無論母にも似ていない。


「そんなだから算術も星読もからきしだ。今から学ぼうという意欲もない。主義主張も哲理もない」

「なるほど。では、物語などは」

「嫌いではない。むしろ好きだ。が、それも大して読んだわけではないなあ」


 幼いころは随分熱中したものだ。

 だが今はそうでもない。


「無論、字が書いてあれば読みますがね。難しいものには閉口するし、読みづらくてかなわんと思うものもあるが、まあ大抵は読めるし、楽しめる。面白さの基準が低いんだな。世間では凡以下と謗られようと、私としてはなかなか面白かったと思うものもある。しかし、それをして好きであると胸を張れるほど、読んでいるわけでもないのですよ」


 屋敷の本は、稼いでいる弟たちの財産だろうし、稼ぎのほとんどない身で書籍に浪費するのもなんだか憚られる。そんな気がして、最近は余り読めていないのだった。


「ははあ。であれば借りるという手もありましょう」


 亭主はニコニコ笑いながら言った。


「借りるといっても手続きが煩雑で。星導院図書館など、入るだけでも一苦労だ。市井の図書館は揃えが弱いし」


 なにより弟に叱られるのだ。みっともないから、せめて買ってくれ、金は十分渡しているだろう、そんな具合に。

 本を借りることをみっともなく思う視点があるのかとその時ひどく驚いたのを覚えている。


 以来なんだか気まずく思えて、行けていない。


 揃えは弱くとも、有名どころは抑えていたし、アンドバーズの『月下狼百里行』なんかは面白く読んでいたのだが、中途半端なところで借りられなくなってしまった。


「まあとにかく。先程言った通り、本好きなんて胸を張れない半端ものですよ。学者でもない。作家志望でもない。知識を求めたりなんかまったくしていない。自分の為とも思っていない。つまり道楽ですな。道楽、その延長です。面白そうなら読む。読んで、面白いと思う。満足した。それで、終わりです。この本の様に」


 買った本を取り出す。ジュークリオ『青月のシルヴァン』トネリコ社───勇者の旅に着想を得た翻案作品の有名どころで、その最新刊だ。この巻は、吸血鬼の城に挑む場面である。

 つまり娯楽小説だ。


「娯楽なのですな」

「成る程」


 今度は亭主が成程と言った。


「うちは、本屋です」

「はあ」

「本を売っております」

「そうでしょうな」

「では本とはなんでしょう」


 本とは何か。

 これまた随分答えにくい問である。

 迷っていると、答えを待たずに主人は続けた。


「知識が欲しいなら立ち読みでも借りても、読んだ人の話を聞いても変わりますまい。極論、本である必要がないのです。であれば、本とは知識や知見、書かれた内容が全て───ではない」


 主人は言う。


「本とは、そうあるがゆえに本なのです。では本の、そうある形とは、何か」


 記されたもの───、そう言った。私はそう答えた。


「記されたものだろう。綴じている必要もあるまい。ここにはどうやら石板やら絵画やらもあるようだが、あれだって、意味を記しているという点で、本と同じだ」


 主人は───なにやら、嬉しそうだった。


「ええ。そうですとも。ここにある本は、物語から学術書、果ては絵画、絵巻物、石板、組紐に至るまで、意味を記した物品としての形を持つがゆえに、全て本と言えるのです」


 意味さえ記せば、それは本。

 ならば、と。私はふと思いついたものを口にする。


「墓石もまた」


 言い切る前に、主人が継いだ。


「本でしょうな」


 墓もまた、本。

 となれば本もまた、墓か。

 あながち外れた比喩ではないと思う。


「意味が籠められ、それを読み取る。その時点でそれは本。意味自体が、著者の意図に沿っている必要もありません。同じものを読んでも、違うものを浮かばせる人もおりましょう。それでいい。ただ読んで、自分なりの何かを浮かび上がらせること。漠然としていて構いません。言葉にする必要もない。幽霊のようであって良いのです。ただ、自然浮かび上がってくる。それが読書であると、私は思うのです」


 ただし───と。

 店主は言う。


「中には、全ての人に同じ景色を浮かび上がらせるバケモノもおります。そうしたものは本ではない。本の形をした力。それらを集め、封ずるも───書牢の役目」


「はあ、よく分からないが。つまり、主体はあくまでこちらにあると」

「本に主体はありません。常に読者が主体となりましょう。それが私の思う、あるべき姿」


 そしてそれが、ここで扱う商品という事か。

 なんだか不思議な問答だったが、どうだろう、納得感がある。


「私は読書をできていたわけだな」

「それで浮かび上がる何かがあったのなら、そうでしょう」

「いや何か、救われたような気がするよ」


 正真正銘、心からの言葉だ。


「肩ひじ張らなくともいいんだな」

「私はそう思います。一冊でも、一頁でも、一文でも、何か浮かび上がればそれが読書でしょう。浮かび上がった何かが好きであるなら、読書好きと云って構いますまい」

「ならば私は読書好きだ」

「それでよろしいかと。それでは、本題に戻りましょう。お求めの御本は、何でございましょう」


 本に書かれた情報それ自体に意味はない。

 読む行為を通じて浮かび上がる何かこそ意味。


 であるのなら、無理に『杖の振り方』に拘る必要もない。姪は優秀だ。どんな本からでも、学びを得るだろう。

 なら───求める一冊がなくとも構うまい。

 気が、楽になっていた。

 楽な気分で、問うてみた。


「ルーンの『杖の振り方』はあるだろうか」

「写本であれば」


 なんだ、あったじゃないか。

 最初から聞いておけばよかった。いや、違う。最初はないことが恐ろしくて聞けなかったのだ。今は違う。それである必要を、かつてほど強く感じていない今だからこそ、気楽に尋ねられたのだ。


「カミラ、三階にレイダー版の写本が一冊残っています。持ってきなさい。」


 少女がタタタと駆けていく。

 問答も注文も終わり、なんだか手持ち無沙汰になった。

 カミラが取りに行っている間、暇であったので、周りの本棚を物色してみる。

 店主も察してくれたらしく、カウンターにも積まれている本へと、彼は注意を向けている。

 注目されたら、物色しづらいのだった。分かってくれて嬉しい。


 本棚には先刻見た通りぎっしりと本が詰まっている。それでいて、取り出しづらさは少ない。ちょっと指で押すと抵抗なく傾いた。背表紙の上部を軽く押して傾け、少しだけ出てきた尻の部分を掴んで取り出す。


『黄国記』。作者は、ジョルテという人物らしい。このタイトルには聞き覚えがあった。ぺらぺらと捲る。異国の風俗を記した見聞録らしい。よく分からない。物語でなかったので興味が引かれず、本棚に戻した。


 別の棚には、新聞が納められているようだった。『王都犯罪月報』なるゴシップ誌が、幽霊騒ぎについて書き立てている。世間は私が思う以上に暇らしい。

 世間も私に言われたくは無かろうが。


 別の新聞を見れば、ジュークリオ劇団が新しい勇者ものの劇を行うそうだ。こちらは少し気になった。


「お持ちしました」


 カミラの声がカウンターから聞こえた。

 私はそちらに向かう。

 店主が古い一冊を大事に持っていた。


「お求めのルーン『杖の振り方』レイダー写本です」

「ありがとう」


 これで叔父としての威厳も保つだろう。

 そう安心していた私はしかし大きな穴に気が付かなかった。

 提示された金額が想定の二桁上だったのである。


「ううむ」


 唸った。思わず。

 まあ、古書で、写本とはいえ、500年前の記録が残っているものだ。歴史的価値も高いだろう。しかも原本はあの勇者一行の一人が書いたものなのだ。

 そりゃそれぐらいはいくよなあ。しかし弟から月に貰っている小遣いの、実に10年分だ。とてもじゃないがすぐに買えますと言えるものではなかった。


「安くはならないか?」

「なりませんね」

「そうかあ」


 商売なのだ。仕方ない。

 一度帰ろう。そして、ダメもとで弟に相談するか、或いは昔の宝を売ればギリギリ届くやもしれん。とりあえずここは出直すか、と。

 そう思った時だった。


「話を聞いていたが、それはルーンの『杖の振り方』か」


 そう言われた。振り向く。

 新しい客が一人、入って来ていた。

 男性であり、老人といえる年齢だった。背筋は曲がっており、幾分小さく見えるものの、若いころ、伸びていたころは、それはそれは大きかっただろうと思わせた。足が悪いのか、杖を、突いている。

 ぎょろりとした二つの眼は、肉食の獣のように滾っていて力強い。

 年に負けぬ気迫がある。

 老人は杖を突きながら店内へと歩を進めてきた。


「ルーンの、『杖の振り方か』」


 再び彼は問う。剣でも突き付けられているような気にさせる声である。

 店主は穏やかに頷いた。


「ええ。レイダーの写本ですが」

「幾らだ」


 店主は私の時と全く同じ額を提示した。

 老人は頷く。


「買おう」

「いや、ちょいと待ってくれ。これは私が先にだね」

「貴殿は買えぬのだろう。儂は買える」

「いや買えぬわけではなく」


 一度帰れば都合をつけられるかもしれないのだ。

 が、それを説明することを老人の気迫は許してくれないようだった。


「申し訳ありません。ええと」


 店主は私に向かって謝ろうとした。


「カザイだ。いいや、謝る必要はないよ。私がお金を持っていないだけだ」


 それに、だ。


「本は書いてある内容が全てじゃない。何を見出すのか、だろう」


 なら別に、それ一冊に拘ることもない。


「良いんですか、カザイ様」


 カミラがそう言った。

 良いも悪いもない。ないのは金だ。仕方がない。


「ええい。もう良いか」


 老人はしびれを切らしたように言った。そして、懐から金貨の詰まった袋を出して、カウンターに置いた。

 その時、枯れ木のような手がひどく荒れているのを見た。

 たこの潰れた跡が見えた。


「失礼ながら」


 店主は言った。


「物語作家にして劇作家、ジュークリオ様とお見受けします」


 ジュークリオ!

 吃驚した。想像以上の、大物だ。私がさっき買った本も、この老人の描いたものであるというのか。


「別段隠しているわけではないがな」


 それは肯定の返事だった。


「ではこちらは現在制作中の劇の資料とするのですかな」

「ああ。『聖剣堂』の坊主に勇者の資料を更に詳しく知りたければあとはもうここしかないと言われてな。あまり期待はしていなかったが、想像以上だった」


 カミラが金貨を数え終えたらしい。袋の中につり銭を入れて返す。じゃらりと音が鳴った。

 それをしまうのを確認してから、主人は本を老人に差し出す。老人はそれを少しじっと見つめてから、手を伸ばした。

 老人は受け取り、ゆっくりと丁寧に、鞄に収めた。


「悪いな、若者」


 それは私に向かって言ったのか。


「いいえ、そんな。お金を出した方が買えるのは当然です」

「そうだ。当然だ。だが、割り込む形となり、不快にさせてしまったな。代わりといってはなんだが、素晴らしい劇にすることを約束する。是非、観に来てくれ」


 それは───

 謝罪というより、誓いの様に聞こえた。

 なにか、追い込むような、気迫の在る。

 誓い。

 私は今、誓われたらしい。

 この劇作家に。

 茫然としていると、ジュークリオ老はカツ……カツ……と歩いて出口へ向かった。

 カミラがそれについてゆき、見送る。


 私はあの老作家を、じっと見ることしかできなかった。


 ようやく動けるようになったのは、彼が完全に店を出た後だった。

 ふうと息を吐く。緊張していたらしい。


「あ。どうせならサインを貰えばよかった」


 後の祭りである。


「しかしあれがジュークリオ老か。勇者演劇の第一人者か。凄まじい迫力だった」

「そうですね。老いてなお、揺らぐ様を見せぬよう、どこまでも気を使っておられる。強いお方です」


 ただ───と、店主は呟く。


「気になることもありますな」

「気になること?」


 鸚鵡の様に返すと、店主は頷く。


「カミラ、そこの『王都犯罪月報』を持ってきなさい」


 カミラの持ってきたそれは新聞だ。三人で覗くように見る。


「こちら、幽霊騒動が載っております」

「ああ、さっき軽く見たよ。随分暇なのだなと思った」

「そう簡単な話ではありません。何の幽霊が現れたのか、よくお読みください」


 なになに。

 見てみよう。

 読み上げてみた。


「勇者の幽霊現る。ええ?」


 随分間抜けな音読になってしまった。

 勇者の幽霊。

 記事によればここ最近、王都北部外郭にある墓地で勇者の幽霊が現れては、何かを言っているのだという。

 そのなにかとは、なにかというと。


「正しい姿を伝承せよ……。偽物贋作に呪いあれ」


 勇者はそう言って、消えるのだという。

 普段ならば苦笑して終わる、仕方のないゴシップ記事だ。実際、『王都犯罪月報』は仰々しい誌名とは裏腹に三流にすらも指のかからないちり紙雑誌だ。

 けれど。

 勇者、か。


「偽物贋作に呪いあれ」


 不思議と強い何かを感じる言葉である。


「これは何か意味があるのか」

「意味は普遍ではなく。読んだ人それぞれに浮かんでくるものですよ」


 店主は言って


「何か感じませんか?」

「感じはしたが……」


 正確な姿は、掴めないでいる。

 強い何か。けれどその輪郭すらあやふやだ。


「カザイ様。ちょっとお願いがあるのですが」

「なんだい」

「この幽霊、見てきていただけますか。カミラをお付けしますから」


 いきなり何を言い出すのだろうと、店主を見る。

 店主は相変わらず美しい顔をして。

 けれどその表情はどこか困ったように悩ましげだった。


「関わるつもりはなかったのですが、お客さんに関わることですので」

「はあ」

「もし調査してきていただけたら、『杖の振り方』ではありませんが、ルーンの他の著作では『星観理論』がありますので、これを割引いたしましょう」

「ほう。……ただにはしないのか」

「商売ですので」


 むしろその姿勢が気に入った。


「分かった。見て来ればいいんだな」

「はい。よろしくお願いいたします」


 これが。

 私とセドリック・ライドウの出逢った日のこと。

 それからしばらくの間、この奇妙な古書堂とその主に、私は、関わっていくこととなる。

 いや、店と店主だけじゃない。もう二つ、奇妙なものに関わることとなったのだった。

 それは───謎を抱えた不思議な客と。

 彼らに関わる、本である。

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