書牢セドリック・ライドウの数奇なる事件簿

みやこ

第1話 奇妙な本屋

 勇者菊は中春から初夏にかけて咲く花である。


 アンリ川の両岸に咲く具合はまことに旺盛だった。


 青々と誇り高く繁る様はなるほど勇者の名を冠するだけはあると勝手に感心してしまうほどだ。すでに今年全盛でも迎えているような趣だが、まだまだ世間は暑くはない。

 夏までにはまだ間がある。よく言えば過ごしやすく、けれど天候自体は安定せず、星読みの御託宣も外れがちで、気の晴れることはほとんどない。


 ノロノロと王都東外郭の雑木林へ向かう。


 何かないかとぼんやり思う。

 何もない。


 王都中枢から三重に築かれた白壁を越えてしまえば、内側に比べて活気は落ち込む作りだ。それでも西外郭には大きな市があるし、南外郭は帝国領の方角を向いているだけあって国防院の管轄で軍部に関係した諸施設が並び相当に活気がある。一方北と東に何があるかと言えばこれが特にない。暗黒杉の森林が暗澹と広がる東部と、霊峰ヴィブラートの麓迄だらだらと続くだけで見どころは特にない北部。まあ、新年祭では霊峰まで国王が行列を組んで進むパレードがあり、この時ばかりは北部も盛り上がる。そうなると本気で見どころがないのはこの東部外郭と言えるかもしれない。


 そんな道を何故私が歩いているのかと言えば、ひとえに姪の為であった。


 新年あけて早々に行われる王立星導院星読学校入学試験の結果が先日届き、受験した姪が見事合格していた。親類縁者近隣住民一同大盛り上がりで、祭りかと思いたくなるような宴会を三日通しで行い、その最中に酔って気を大きくした私は、欲しいものを何でも買ってあげようと言ってしまったのだった。


「じゃあ、カザイおじさんには『杖の振り方』をお願いしようかな!」いいともいいとも。


 そう頷いて、その時はそれがまさか500年前に勇者シルヴァン一行の一人として冒険し、魔王討伐後は星読みとして大成した大学者ルーンの書物とは思わず、しかもとうの昔に一冊だけ書かれた伝説的代物だったとも知らなかった私は、いいともいいともと安請け合いしてしまった。


 別に本気で欲しがっているわけでもなさそうではあったが。


 いやしかし、叔父としてここは退けぬ。何としてでも、せめて一ページ、一行写すだけでもいいから手に入れて姪に送らねばならぬ。そういう気持ちから王都の本屋を幾らか巡って、出した結論は、不可能の三文字である。

 いや、その三文字になりかけていた。


 そこを助けてくれたのが、『聖剣堂』の馴染の店員であった。

 曰く、本当に詰まったのなら道の開けるかもしれない場所がある。

 暗黒杉の森林に踏み入ってしばらく進んだところに書舗がある。

 そこなら或いは。


 眉唾じみた話だったが、行って見る価値はあろう。


 何も買わずに店を出るのも悪いと思い、ジュークリオの『青月のシルヴァン』を一冊求めた。


 そして今、東外郭は森林杉の大森林に踏み込むところである。


 随分暇なことをしていると思う。まあ、暇なのは事実だ。

 その点に関しては高等遊民とでも呼べる程度には余裕がある。

 まあ高等でも遊民でもないし人間としてはむしろ下等で、単に仕事がないというだけなのだが、それだけに時間は霊峰ヴィブラート山を追い越す程度にはあるという自負がある。


 下らない自負だ。


 森に踏み込む。


 道自体は整備されている。


 暗黒と呼ばれるだけありなるほど真っ黒な杉だった。


 古くは満月の夜に少女らがこの森へ消えたという。狼が佳く鳴く夜の話だ。少女らは森へ消える。親たちは鍬と槍と弓と猟犬を従えて森へ分け入る。彼らが見たのは何だったのか。伝説はここで途切れている。


 大して進んでいないのにもう入り口は見えなくなった。すっかり深山幽谷の趣である。


 それからまたしばらく進み、進んでいるのか戻っているのかも定かではなくなってくる、なにせ四方八方杉だらけで景観が変わらないのだ、全く困った、そんな辺りで、ふと気付くと前方、道の先に納屋だか小屋だかが見え隠れしていた。もしやと思い歩を早める。


 道の右わきに、そこだけ森が消えている空間があった。

 森林の中にぽっかりと、なぜだかそこだけ木々のない空間というものはあり、そういう場所をエルフの宴跡というらしいが、なるほどここは正にそういう空間だった。


 円形の、草原。


 木々の浸食を抑えようとしているのか、結界然とした柵がそれを囲む。


 その中心に建物があった。


 奇妙な建物である。


 言葉で例えるなら塔が近いか。いやしかしあれほど荘厳に屹立しているわけでもない。細長くはなく、寧ろ太い。一方向からの推測にはなるが、円柱でもあるまい。何となく、現実感のない建築物であるなと思った。幽玄としている。ゴースト。そんな趣だ。


 そういえば幽霊騒ぎがあったなとふと思う。あれはたしか北外郭の。


 いや今考えることでもあるまい。


 本屋は恐らくこれだろう。逆にそれらしい建物はここまでなかったし、ここから先にもまずあるまい。


 しかしまったく本屋には見えない。それ以前に店なのかこれはと思う。


 両開きの扉は閉ざされており、上には看板が下げられている。

 近寄れば短く、『ライドウ書牢』。爪で刻んだような細長く、深い字でそう刻まれている。


 隔離牢か何かかと思わせる趣き。忘れ去られた牢獄を発見でもした気分だった。恐れるよりまず呆れた。何を思ってこんな場所に、このような建物で、こういう店名を掲げているのか、まるで見当がつかない。呆れ以上に解らない。


 王都の三重壁にもまして高い垣根を感じる。高すぎる壁だ。果たして店主がどんな人物なのかはまるで分らないのだが、一見客を拒んでいるのは確実と読める。


 さてどうしようかと躊躇する。


 駄目で元々という気分で来てはみたが、これほどとは思わなかった。だが気軽に入れる空気ではない。窓は見当たらず、入店してみなくては覗くことも叶うまいが、入った以上は冷やかしだけで帰れるとも思えない。いや、帰ることはできるのだろうが、さて、どうにも気が引けてしまう。


 ううむ。想定外である。厭な店もあったものだなと嘆息する。


 ならばこのまま帰ればいいのだろうが、そういう気分にもなれなかった。姪に大言壮語した手前、何かしら与えねば気が済まぬし、そもそもこの店自体が気になってもいる。妙に気を引く佇まいである。


 閉ざされた扉の奥にどんな光景の広がるものか、気になって仕方ない。


 凝眸していると、扉が軋むように音を立てて外へと開いた。


 隙間から色白の少女が顔を出す。


 奥の闇が零れてきたのかと錯覚するほど真っ黒な髪がゆるりと下に垂れた。


「おや、お客さんでしょうか」


 目を細めて、猫のように彼女は笑んだ。なんだろう。妙な貫禄がある。


「ああ、まあ、そんなところだ」

「何かお探しの御本でも?」

「まあ、そうだな。いやまずないのは分かっているのだがね。それでも探してしまうのが本好きと云うものだろう」

「わかります」


 適当を言ったら頷かれてしまった。本好きも何も、もはや碌に読んでいないというのに。

 書店の貫禄に気おされて、つい見栄を張ってしまった。


「ああいや、まあ本好きと云ってもそこまでではないのだが」


 慌てて訂正した。


「まあ軽く好きなんだ。とても書痴や学者というわけではないのだがね。とはいえ色々本屋をめぐっていたら噂を聞いたもので、ちょっと覗いてみるかと思ったんだ」


 少女相手にしどろもどろだった。情けない。


「はあ」


 少女はくすりと笑って。


「お探しの本はおありですか?」

「ある、というわけでもない」


 500年前の絶版本だ。あるわけもなし。

 そんな意味の答えだったのだが、別の意味で伝わったらしい。少女は言った。


「お探しの本がお決まりでないようでしたら、うちはお勧めしません」

「ほう、それはまた何故」


 お迷いになって、出られなくなります、と彼女は言った。


「迷うというのならいいじゃないか」


 それだけ本があるということなのだろう。


「そうですか」

「そうだよ。何事もすぐに叶っちゃ味気ないだろう。私の姪などもこの間星読学校に合格したのだがね、そこに辿り着くまでそれはもう必死に勉強していたものだったよ」


 自慢をしてしまった。

 姪の。


「まああれとても合格特化の勉強と言えばそうなのだがね。しかしやはり専門を決める前の勉学というものは色々な方向を向けて面白いものだと思うよ。彼方此方に進んでみて、思わぬところに顔を出しては驚く。そうしたことから知見は広がるものだと思うね。ほら、勇者シルヴァンの冒険なんかまさにそんな感じだろう? 世に無駄はないさ」


 なんて無駄の極みみたいな男が言ってみた。

 我ながら説得力の欠片もない。

 のだが。


「あら」


 少女は小さな口を驚いたように開けた。


「なんだい」


 と問うと、いえ申し訳ありませんといった。

 なぜ謝ると問えば、


「私の主人も同じようなことを申しますから。ものを無駄にする者はいても、この世に無駄なものはない。それはものを無駄にする者もまた同じである。と」

「ほうほう」


 クチカーラ・デ・マッカセ3世だったが、意外に悪くなかったようだ。


「主人の銘であります」

「なるほどなあ。主というと、やはり」


 看板を指さして聞く。


「この、ライドウというのがご主人なのかね」

「ええ。セドリック・ライドウというのが主人の名前でありんす」


 なかなか堂に入った名前である。

 ますます興味が湧いた。

 これで覗かずに帰ったのでは旨くない。しばらく後悔しそうだ。覗いて、求める本がないと知って、落胆する方がまだマシというものだろう。少なくとも姪への土産話にはなる。


「どうだろう。その、出られなくなる程に多く、そして無駄がないというこの本屋さんの、中に入れてはもらえないかね。それとも、絶対に探書を見つけ出すという覚悟のない客は出入りできぬきまりかね」


 少女はもう一度口を開けてああと声を発した。


「これは失礼いたしました。どなたでもお入れしないなどということはありません。人間様であればだれでも自由に入っていただいて構いませんとも」

「人間に限り」

「ええ。そちらさんはちゃんと人間の御様子。でしたら入って構いません」


 さあどうぞと、少女は身を引き、入り口を開けた。



 私は、入ってみることにした。

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