大学入試二次試験で失敗して、志望通りの人生を歩めなかった人に捧ぐ

──『勝った者にしか人権が与えられないから、憲法で人権が保障されているんだよ』──

☆☆☆


 2024年2月24日(土)。17時14分。


 絶望している。


 こんにちは。井上和音です。


 頭が悪い。ProgateのPythonが、return辺りから何を言っているのか分からなくなった。飛ばし飛ばしでやっていたわけでもなく、地味にこつこつとやってきたつもりだった。


 初めて答えを見た。答えを見てもreturnの意味が分からなかった。


 分からない。理解不能。ここで終了。


 高校時代もよくあった。理解不能。意味が分からない。英語だろうと数学だろうとそうだった。なぜPやらCやら数学で使うのかが分からなかった。Pって何。Cって何。それを解答用紙に使わなければ点数が貰えないのか。そもそも組み合わせとか順列って一体何。何が違うの。


 今でも分かっていない。馬鹿なのに熊本高校に入った。ついていけない。頑張って勉強したけれど、二浪した。二浪して同志社大学文学部哲学科に受かった。その程度の人間だった。


 分からない。世の中は分からないことだらけだ。分からないことだらけなのに分かったふりをしている大人が多い気がする。私が言う大人は親近者のことしか分からないが。なんでウクライナ語も分からないのにウクライナの人の言っていることの翻訳を信じられるのか。ロシア語も分からない。フランス語も分からない。フランス語の数の数え方が分からない。Pythonで分からない点が出てきてしまい、Pythonの何が便利かも分からない。答えを見てソースコードをコピペして「できた!」を押せば経験値が貰える。しかし、そのソースコードを見ても何故出力されるか分からないから何の意味にもなっていない。趣味程度で始めたProgateだったが、ソースコードをコピペし続けて何の意味があるのだろうか。最終的な目標は、AtCoderを楽しめるくらいのプログラミングの知識を身に付けたかったが、そもそもの土台に立つだけの能力が私には不足していた。


 何をやってもダメ。何をやっても続かない。続けたところで意味が無い。このとうおこと同じで、なんの意味もない。


 こういう人間は、障害者とか関係なくムカつくという言葉一言で片付けられるが、当人としては能力の無い自分に絶望するしかないので、他人と触れ合うことを恐れる。申し訳ございません。貴方を殺すことは犯罪なので出来ませんが、貴方を目の前から消し去ることは出来ます。これから先は関わらないようにして生きていきましょう。貴方だけでなく、全人類。それの手っ取り早い方法は自殺だと思うが、能力のある人間は自殺などしない。能力の無くて、他人と関わらないほうが他人の為でもあるし、自分の為でもあると考える。居なくなって、自殺して初めて社会に奉仕できるのではないかと考える。社会にとってマイナスの存在の自分が居なくなれば、小さなコミュニティだが、そのコミュニティを少しはプラスへと変換できる。


 文字だけ打っているやつは大抵頭が悪い。文字は伝達媒介としていいものではない。手書きの写経をして思った。写経していると、線を自由に書けて、自由を感じる。今の私はただボタンを押しているだけで、日本語の文法もよく分かっていないが、何が伝えたいのかも分からずにただボタンを打っている。日本語らしいが、このタイピングにも、この文章にも、言葉通り、そのまんま意味が無い。読んでも意味が無い。打っても意味が無い。勉強しても意味が無い。生きているだけで人に迷惑なので死んだほうがいい、そういう思想を持っている人は少なからずいるだろう。社会保障の邪魔だから寝たきりの老人は早く死ねとか、平気で言える人も多くて、現実問題、問題を解決する手段としてそれが適切だから、言った人間は、川に最初に飛び込むヌーのように、自分は勇敢だと自信たっぷりな顔をする。


 全くその通りだよ。


 しかしながら、私も社会的弱者に相当し、何一つ身に付かず、何一つ貢献できず、社会にとってはお荷物そのものであることは言うまでもない。申し訳ないことに年金を貰っている。年金を貰っているのならば、少しでも勉強をして社会に貢献せねばとそれだけが、自分の罪への報いとなるかと信じていたが、実際問題なんの資格も取れずに、なんの力も得ずに、何も出来ずに夕方になっていた。体感速度としては1時間もなく、土曜日が終わった。PokémonGOをしていた。外に出らずに、リモートレイドパスとポケモンボックスの拡張のために1400円ほど使った。私は人間としての価値が無かった。憲法で人権を保障している理由は、私のような生きる価値も、能力もない人間に対して、他人から迫害を逃れるために人権を保障するのが日本国の憲法のありようなのかなと思った。何の意味もない人間。だけど生まれてしまった不幸に対して、死を考えなければいけないある意味で死ぬために生きているような、そんな人間に対して、他人から見たらただのムカつく一生奴隷で働いていろと宣言されてもおかしくない人間──私──に対して、生きていてもいいよ、まずは休めよと優しく寄り添ってくれるのが憲法らしかった。


 高学歴以外は良い人生を歩めないので絶望して生きて行ってくださいと、言わんばかりの受験戦争が存在している。やっても意味が無い人間は大勢いる中で、旧帝大に入れれば人生が保証される、当の本人たちからしたら旧帝大か、とりあえずは自分の志望校に順当に入れなかったら、生きている意味も価値もないと思いながら受験に臨んでいるのが本当の心持ちなのだと思う。私は失敗した。私が自分に価値がないと知ったのは随分後だった。同志社大学ですら私は卒業が出来なかった。統合失調症になったので仕方がないと言えばそれまでだが、統合失調症になったからと言って特別な何かになれることも、一つもなかった。30手前になり、実家暮らしの中で資格試験の勉強をしながら、「これは大学生がやることでは」と思いながら人生を過ごしている。要は何も能の無い人間として、時給1000円のパートタイマーでしか社会からの価値は与えられていない。統合失調症になったから障害年金も貰えたが、統合失調症になっていなかったら30代は迎えることなく、社会の為を思って命を絶っていたことは間違いがないような気がする。奇跡のような29歳を生きている。本来ならば存在していなかった29歳。その後の30代。人に散々迷惑を掛けながらこれから先も生きていくのだと思われる。嫌なことから散々逃げてきた20代。まだ20代は終わらないが、嫌なことを延々としている10代、20代。もしくは全年齢層にいるのかもしれないが、私は嫌なことから散々に逃げてきた。その結果が、実家暮らしの意味の無い生活をしている障害者のひきこもりだ。今日は国立大学の2次試験の日らしいが、受かった人は、自分には能力があって選択肢もあって人権があるのも当然だと思いながら、4月を迎えることだろう。反対に、何一つ上手くいかなかった、私のような落第生には、一言、逃げるなとだけ言いたい。お金があればできることは増えるので、アルバイトから逃げてはいけない。レポート課題を出さなければ卒業できないので逃げてはいけない。第二外国語の辞書を買うお金もないから卒業できないという大学生もたくさんいるが、それを分かっていてもう出席しないとか、そういうことはしないでほしい。スマホで何とか辞書代わりにして、講義に食らいつけ。落ちた、失敗した、生きている意味もない。そう思うことだらけだが、それでも乗り越えられない、能力的に無理だと思うことがあっても、なんとかして、交渉なり、裏ワザなり、なんとかして乗り越えてほしい。そこを乗り越えても人生は絶望しか待っていないが。絶望に絶望を重ねて、絶望を殺し続けて、乗り越え続けて、絶望の死体の上に立ち上がった時、苦し過ぎた人生が社会から必要とされる存在へと変わることがある。


 だから、逃げるな。


 成功者、成功しか知らない人間には分からない感情だと思う。だって成功者は逃げないのが当たり前だと思っている人間だらけだからだ。私からしたら本当に抜け目なくてムカつくという気持ちしかわかないが、失敗者、劣等者にも、生きる意味を与える方法は、憲法で人権が保障されているとか、そういう逃げの果てではなくて、絶望を乗り越えていくその自分の過去そのものが支えとなるときが来る。だから逃げずに頑張ってほしい。


 例え、大学入試で負けたとしても。

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