第七章・真夜中の開戦──“タマタマ”と“玉ちゃん”頑張って!

     ◆♀ 【裸族乙女】 ♀◆


「ギャーッ!」

 ちゃぶ台返しの早業で丸テーブルをひっくり返し、付属の椅子を二脚とも投げつけた。片方の椅子に座らせておいた朝刊が床に舞った。

 寝室に飛び込み、襖を思いきり滑らせ、ベッドの上に避難した。心臓は破裂寸前まで打ち、体はガタガタ震え、足は萎え、力が入らない。

 目が合った。いた。確かに。枯れ尾花じゃない。侵入者は、何食わぬ顔で潜んでいたのだ。私の放った攻撃を寸でのところでかわしながら、嘲笑うような仕種が目に焼きついて背筋を一筋の汗が滴り落ちた。

 静まり返った狭い空間の、唯一の拠り所となった避難場所で、己の命の息吹を鼓膜は捉えながら、外部の敵の動きを探り続ける。私は両耳に手を当て、襖の外側に神経を集中させる。敵は完全に気配を殺した。何も聞こえはしないが、確かに息衝いているのだ。

 これは現実なのか。まだ、悪夢の続きを彷徨っているのでは……。汗が目に沁みて……痛い。痛い、ということは、残念ながら夢ではない。淡い期待は潰えた。


   *


 どうすればいいのだ。殺す? 殺す……そうだ、殺そう。我が思考回路は最早ショートして正常に動作しない。ひとつの思考に固執して、他の方法を探れない。

「でも、どうやって……?」

 殴り殺す……叩き殺す……絞め殺す……踏み潰す……毒殺。どれも現実味のない方法に思われる。それに自分にどれほどの勇気があるか疑問だ。殺害するだけの度胸が、こんなにもか弱く麗しい乙女に備わっているものなのか。私は悲しくなった。それでも奮い立たなきゃ、ラチはあかない。この難局を打破せねば生き延びることは不可能だ。やってのけるしか道はないのだ。

 心を落ち着かせるべく胸に手をあてがいつつ深呼吸した。深く息を吸い込む度、悲鳴とも嘆きともつかぬ喘ぎ声がヒクヒクと喉の奥から漏れてきた。両の拳を握り締める。目前の空気を敵に見立て、パンチを何度も食らわせた。

「よっしゃ!」

 ようやく決心して立ち、武器になりそうなものを探した。ふとベッドの下を覗いた時、鉄アレーが転がっていた。彼の置き土産である。

「これで励んで理想の彼女になってね」

 なぞと甘ったるい声音でダイエットをせがんだが、ナンノ、ナンノ、男のいいなりになるお姉様ではありゃせんのじゃが。自分というものを私はチャンと持っておるのじゃ。たとえ愛しの君の願いだろうが、却下する。そこのところは引けぬ。彼には彼のスケベな妄想があるだろう。が、こっちにはこっちの理想体型がある。今はその定義から少し外れているだけ。肉がパンティのゴムの上をプルプル小躍りする程度に過ぎぬ。二の腕のタプタプも許容範囲だ。

──却って可愛らしさを振り撒いているではないのかや?

 ゆえに一度も使用したことはない。 

 ベッドの下に手を忍ばせ、鉄アレーをつかんだ。ズシリと重力に抵抗して腕がそれを持ち上げる。埃まみれの3㎏のピンク色の物体はようやく日の目を見た。本来の用途以外に使用されようとは、鉄アレー本人も彼にも見当などつかぬであろう。

 私は殺害目的の凶器を見つめた。連星のようにシンメトリカルなツンツルおつむがピンクの光沢を埃の下から放つ。武器を手にした私は、殺戮のシミュレーションを脳裏に浮かべ勝利の模様をイメージした。そうすれば幾分勇気は増すものだ。

 片方の“タマタマ”からのびる竿のつけ根を右手に握り締め、左掌で“タマタマ”を包み込んで介助し、もう片方の“玉ちゃん”を右肩にのせ、身構えつつ襖に左耳を張りつけた。敵の動きを察知する。

 耳に少々痛みを覚えた。長い時間同じ姿勢で襖に押しつけたせいだ。一旦構えを緩め、耳をマッサージする。そうする間に、何かキッチンで物音が聞こえた気がして、咄嗟に耳は襖に吸いついた。聞き耳を立てると、微かにゴソゴソと音は鳴る。敵は活動を再会したらしい。敵の位置を特定できないものか、と尚も注意を払った。

 そうこうしているうちに、何となく敵の動向を察知できるまでになった。さっきまで遠くのほうから聞こえていたゴソゴソは移動して、襖一枚隔てた足元に這いつくばってこちらをうかがっている。敵は近い。まず間違いない。如何がすべきか?

 心臓は肋骨あばらの中で暴れ龍へと変化へんげし、頻脈が血管を走り抜け、却って脳への血流が滞って気が遠くなりそうだ。

 今、不意打ちをかければ、敵は怯んで容易くお陀仏。あるいは、驚愕のあまり、逃亡……かもね。淡い期待が暴れ龍を正気づかせ、全身に力がみなぎる。踏ん張った私の足の震えは徐々におさまりつつある。

「かもね?」

 でも期待だけでは何の解決にもならない。敵は完膚なきまで叩きのめさねば、こちらが危うい。これは戦闘の常識なのだ。そうよ、これは戦争なの。るか、られるか、よ。れないのなら……死、あるのみ。るしかない。

 どうやら、逃げられぬ状況下で拝み倒した私の肝は据わったようだ。

 天を仰いだ。部屋の灯りが、明々と顔を照らす。希望の光だ。いいようのない昂揚感が胸底からマグマの噴出のように湧き出した。武者震いと共に私の喉が「ゴロゴロ」と鳴った。決してネコのゴロゴロではない。意味が全く違う。戦闘態勢完了の合図だ。

 私はおニャン子のように背を丸め、姿勢を低くした。大きく息を吐いて、腹筋を固くする。体が強張らぬように肩を小刻みに上下に揺すった。あとは、立ち向かう勇気だけだ。あと押ししてくれるものを探す。全ての思考を閉じ、頭の中を空っぽにしようと試みる。頭を柔軟にして敵のあらゆる攻撃をかわすのだ。頭を柔らかく……何度も唱える。

「そうよ、マシュマロよ! マシュマロの脳みそが背中を押してくれるはず。思考を捨て去るの。私の脳みそは、マシュマロ。スカスカのマシュマロなの。マシュマロになれ!」

 襖の取っ手に左手をかけた。

 拍動とともに「ハア、ハア……」と荒い呼吸が繰り返される。肩に力が入らぬように食いしばっていた歯を緩め、顎を上下動する。「カチカチ」と奥歯が鳴った。暴れ龍が喉元からこめかみの血管まで昇りつめ、破裂せんばかりに痛む。

「行くわよ! いいわね? 行く、行く、行くう~、ハァ~ン……今よ!」

 けたたましい音を立て襖が滑って空間同士が今、つながった。

 私はすかさず武器を振り下ろした。何度も何度も敵めがけて攻撃した。が、寸でのところで敵は攻撃をかわし、私の視界から消え去った。まるでこちらの動きを完全に読み切っているかのようだ。

 私は一旦攻撃の手を緩め、即座に境界線をまたぐと戦闘区域から避難した。襖を閉め、防御する。

 かくして、愚かにも真夜中の開戦の火蓋は切って落とされた。最早あと戻りはできない。



     ◇♂ 【××族 X】 ♂◇


 目が合っちまったな。お初にお目にかかります~ってか?

「おやおや、パンツーまーる見ぃーえーっ! あーら見ーテタノネエ、見ーテタノヨー、イヤ~ン、エッチねえ!」

 いや、パンツなんぞ穿いてねえっつうの。「パンツーの中身、まーる見ぃーえーっ!」

 あられもねえお姿だこと。襲ってやろうか? オメエの奥の奥まで分け入って……臓物ごと貪らせてくれろや……ウッシッシーッ。想像するだけで腹が鳴るぜ。

「オイオイ、どこへ行く?」

 またそっちへ逃げ込むってえのか? だったら明かり消して行ってくれろや。オレは闇が好きなんだ。頼むぜ。しょうがねえ嬢ちゃんだぜ。 

 そんなにオレが怖えってか? こんな男っぷり、滅多にはいねえのによお……我が種族では持ちきりなんだぜ。お嬢ちゃんの目ん玉、節穴なのかい?

 好みじゃねえってか? 仕方ねえなあ…… だったら、どんなのが好みなんだ? オメエらの仲間にゃ、ナヨナヨしたのばっかだろうが。オレのようにワイルドな脂ギトギトの肌のおとこなんて、いねえだろうがよ。弱っちいのしか相手にしねえなんざ、オメエたちの世も末だな。今に絶滅の一途を辿る運命なんじゃねえの? ま、オレが心配してやる義理はねえ。


   *


「ん? ん? ん?」

 殺気だ。オレの魂は邪悪な殺意を感じ取った。

 ほう、オレを殺したいって寸法か。オレを殺せば、解決できる、とでも……。本気かねえ。フンッ、愚か者めが。事はそう単純じゃあねえんだ。世の中、お嬢ちゃんの思い通りには運ばねえんだよ。オレだけを殺ったって、後からウジャウジャ湧いて出るんだぜ。そこんとこ分かっときな。道理を知らねえヤツぁ、痛え目に遭うのが落ちだ。ならば、オレが教えてしんぜやしょう。道理ってやつを。オメエのすぐ近くで待っててやるぜ。

「ん? なんか思念を感じる……マシュマロ。オメエの頭はマシュマロか?」

 うまそうじゃねえか、甘いもんには目がないぜオレは……よっしゃ、かかってこい。オメエの脳ミソ喰ってやる。マシュマロの脳ミソをよ。オッ、戸が開いた。

「あーらよっと! おお、危ねえ危ねえ……」

 “タマタマ”と“玉ちゃ”んで攻撃かい。「ヤイヤイ、オーニさんコチラ! どうしたどうした、しっかり叩け!」

 外してんじゃねえよ、ヒョイット。まーた、そっちへ逃げるのか。

「そんじゃ、アーバヨ。またな!」

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