第六章・凶暴な借りてきた猫になる──漏れる~ジョンジョロリ~ン!

     ◆♀ 【裸族乙女】 ♀◆


 依然、丸めた裸体をタオルケットで包んで、闇をやり過ごそうと耐え忍ぶ。

 張り詰めた神経が、いかなる気配をも察知する。敏感な探知機と化した耳が微弱な音波を捉えた。普段は決して気づかぬであろうが。

 音は、やはりキッチンからやって来る。極々小さな気配に過ぎないのかもしれないが、耳から入った波は脳全体で増幅され、精神を蝕み、魔物を創り上げ、まなこに投影する。良からぬ妄想は膨らみ、防衛本能が働くのだ。

 それとは裏腹に別の感情も湧いてくる。恐怖が募るほど、平穏な日常が恋しくなり、熱望するようになる。ゆえに、現実からの逃避が始まり、何ごともなかったことに決着しようと心は己を騙しにかかる。だが、我に返った瞬間、現実は一層の恐怖心を煽るのだ。

 恐怖に打ち勝たねばならぬ。この状況を打開すべく勇気を振り絞らねば、この身は屍と化すやもしれぬ。なぜなら、今まさに、“切羽詰まった危機”に見舞われ始めたからだ。

 私は丸まったまま両の拳をギュッと握り締めた。体が震える。

 私は何者? 自分に問うてみる。

 ──私は、私は……

「ネコ!」

 ネコ? なんでライオンやトラや豹じゃないのか、首を捻った。自分でも納得いかない。が、猛獣といえないまでも同類だし、身体能力だって優れたものを備えてるし……まあいいか、とちょっと諦め気分で、己を鼓舞して戦闘準備に入ることにした。

 危機は迫った。もう限界だ。許さねえ。許しちゃなんねえ!

「ウギャー!」

 意を決して、恐怖心に打ち勝つべく雄叫びを上げながら、タオルケットという名のバリヤーを飛び出した。

 キッチンとの境界まですっ飛んで来た。壁のスイッチを押してみる。オン、オフを繰り返したが、電灯は点かない。私はその場で及び腰で耐えた。が、しばらくして内股で地団駄を踏み出した。オンの状態で襖の取っ手に指をかけたまま、今度はピョンピョンと飛び跳ねる。

 と、突如視界が開け、室内の輪郭が鮮明に映し出された。

「点いた!」

 歓喜の歌(第九)が脳内を流れる。私は胸を撫で下ろした。が、まだ油断は禁物だ。次の段階へ移行せねば。

 地団駄を踏みながら大きく深呼吸すると、一気に戸を引き、奇声を張り上げながら境界をまたいだ。スイッチは玄関わきの壁だ。私はそこまですっ飛んで壁もろとも掌を叩きつけ、点灯した。

 パッと光が目に入り、幸福感をもたらした。キッチンをくまなく見渡す。呻き声もろとも喉の奥から度肝を自ら引っこ抜き、高みに肝を据わらせ、拝み倒す。我に勇気を与え給え! 隅から隅までズズズイッと調べ上げ、無事を確認する。

「なーんだ、やっぱ気のせいかよ……誰もいねえじゃん。バッカみたい」

 安堵した。だが、“切羽詰まった危機”は容赦なくこの身に襲いかかる。何と無情なことよ。一目散に個室へ直行した。

 私の下腹部に魔物が刺激を与え続ける。「イヤーン! 誰か助けてー!」と叫びたい衝動をおさえ、ついでに下腹部もおさえて意識が遠退きそうな恍惚にも似た感覚を精一杯堪えた。

「漏れるうーっ!」

 思わず口走った。途中、堪らず股間をおさえながらチョコマカと内股走りでかの地へ飛び込むと、ギュッと尻を便座に押しつけ、身を震わせる。と、真の幸福はジョンジョロリンと降り注いだ。

 ようやく精神状態も正常に戻りつつある。すると、鍵を確認せずにいたことを思い出したので、用を足し終えた至福の境地にて再び玄関のほうへと足を向けることにした。

 ユニットバスのドアを閉め、消灯し、キッチンの床に両足をついて、まさに一歩を踏み出そうとした瞬間……。



     ◇♂ 【××族 X】 ♂◇


「目が焦げる~……チクショウめ!」

 突然の光に面喰い、動作を遮断されちまった。折角の闇が、闇の天国が台無しじゃねえか。この平穏な世界を土足で踏みにじりやがって。

「フンッ! あのアマ、何を慌ててやがるんだ? お嬢ちゃん、こっちを見てみな」

 気づかねえんでやんの、つまらん。

 アラアラ、いい恰好だこと。あーあ、また消えちまいやがった。また風呂か? いや、違うな……ああ、そうか。もよおしてきたってわけね、なるほど。飲みすぎだわさ。バカみてえにガブ飲みすっからだ。それで、我慢できねえで、オメオメと現れたってわけか。オメデテエお嬢ちゃんだこと。

 そんじゃ、ちょっくら脅かしてやるってか。オメエの正面で待っててやるから……どうかお気づきになってね。オレは逃げも隠れもしねえぜ。どっこいしょっと。さあ、床に下りたぞ。早く出て来なよ。さあ、来いやー。鬼さんこちら、手の鳴るほうへ♪ オッ、来たー。気づきやがれ、コノヤロー!

「おこんばんわ~……ベロベロベロバア~!」

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