第五章・蠢く気配──気のせい? いいえ、誰かいる!

     ◆♀ 【裸族乙女】 ♀◆


 物音が聞こえた。

 聞こえた? 気のせい? そうよ、たぶんそうよ、気のせいだわ……そうに違いない! ゴソゴソと何かが動き回る気配が! いや、実際には何もいないに違いない。恐怖心がなせる業よ。単なる妄想よ。『幽霊の正体見たり枯れ尾花』的な単純な潜在意識の妄想に過ぎない。

 タオルケットの隙間から闇を覗いてみる。目玉だけをグルグル巡らせ、室内の監視を始めた。そのうち闇に目が慣れてくると、様々な輪郭が微かに浮かび上がる。稲光が網膜を照らし、雷鳴が轟いて一瞬だけ体が強張るのと同時に神経はピクリと反応する。冷たい汗が背筋を走った。稲光は霞の中に物の輪郭を青白く浮き彫りにした。

 光の瞬きは闇の呼吸だ。呼吸を停止すれば、暗闇が訪れる。

 何かが見える。天井の隅っこに影が見える。慌ててタオルケットを頭から被った。目を閉じる。が、瞼に残像が映るので直ぐに目を見開いた。

 灯りが欲しい。ロウソクなどこの部屋にはない。どこかに光を発するものはないか、頭を巡らせてみてもトンと思い浮かばない。

 物音がした。幻聴ではない。はっきりと鼓膜は音の振動を捉えた。音はキッチンからだ。胸の谷間をじっとりと汗が濡らした。

 カギは、かけた? 戸締りはちゃんとしたはずだ。確たる自信が……ない。確認に行きたいが、勇気もない。

 汗が、膝の裏や鼠径部から、皮膚同士が接触した境目から滴り、ありとあらゆる窪みに滞るとクチャクチャと音を立て始めた。

 暑い……。熱帯夜は室内の冷気をたちまち蒸し上げてしまった。顔面の汗を手の甲で拭う。意を決してそっと襖のほうを見やった。耳をそばだて様子を探る。

 聞こえる。確かに何か物音がしている。幻聴ではないのだ。

 雷鳴はいきなり脳髄を打ちつけた。稲光とほぼ同時に轟いたあと、静寂がキッチンの物音を増幅して耳を襲う。

 誰かいる! 私の不安は、今、確信に変わった。

 どうすればいいの!? このままここで果てるのか? 己が運命を案じるが、なす術はない。



     ◇◇♂ 【××族 X】 ♂◇


 突如、魂の蠢きを感じた。

「お嬢ちゃんの魂か……」

 我が魂の膜に触れ、微かに振動する。あんたの覚醒した魂の状態を探ってみよう。

「怯え? お嬢ちゃん、怯えているんですかい?」

 どうやら、こちらの存在に気づいたらしい。だが、慌てることはねえな。相手の出方を見極めればいいだけ。それでこちらの行動パターンは決まるのよ。それまでは静観するだけで事足りる。

 目前のご馳走をみすみす逃す手はねえ。貪り、貪り、貪り喰らううち……ジェジェジェーイ! 妄想で頭がクラクラしてきた。体温も上昇しやがる。全身に力が、力がみなぎりだしたぜ。

 今まさに、やせ細った我が華奢な体躯は極限まで肥え、ありとあらゆる抵抗を退けるに足る能力を獲得した。ヤツらがこの身を襲ったとて、所詮小賢しい浅知恵の産物に過ぎぬ。何おか怖れんや。我が細胞一つひとつに組み込まれた、太古より受け継がれし大いなる一族のDNAの礫で撥ね返してやるのみ。そうしてヤツらの硬直した死肉を内部から貪る夢を見るのだよ。

「死体が欲しい! 死肉が……死肉が……喰らいつきてえ!」

 この身は、魂ともども魔界の権化へと│変化へんげしてゆく。

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