第三章・おネムなのね── 生まれ立ての姿でカーテン全開よ!
◆♀ 【裸族乙女】 ♀◆
孤独なディナーのあと、テーブル上で役を演じきった汚れた厄介者どもを無残にもシンクに放り込み、一瞬頭を巡らせた。無秩序に散らばった役者たちを冷めた目で俯瞰しながら己の体に訊いてみる。即刻拒否反応を起こし、自ずと視線は明後日の方向へ滑ってゆく。あと片づけなんぞ疲弊しきった体にはすこぶる毒ではないか!
「あと回しにするが得策ぞよ」
なる優しき囁きは己の心の声か、否、天からの授かりものかしらん?
なれば、折角の行為を無にするわけにはいくまい。
で、素直に従うことにして、そっぽを向いたまま流しの前を離れ、キッチンの電灯を落として襖を開けたら、『リバーサイドウエイ』などと小洒落た通称が定着した、川べり道路に並ぶ街灯の微光はこの三階のサッシ窓を添い、車のヘッドライトが時折仄暗い室内に揺らめく。
寝室に足を踏み入れると同時に襖を締め切り、ベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。
「うんぎゃ~うぇぇ~くるじぃ~……」
枕に顔を押しつけながら呻く。
食事中はそうでもなかったが、食べ終わってしばらく経つと、腹が張ってきた。空腹のせいもあって、がっついたものだから、「間脳の視床下部にある満腹中枢への刺激が遅れたんだね」なんて最近テレビの健康特番で覚えた知識を受け売りし、私の全身をなめまわすようにねっとりと視線を這わせ、しきりにダイエットを匂わせてくる二つ年下の彼氏の思惑を苦々しく脳裏に再現しながら横腹をつねってみる。確かに肉づきは良好のようだ。ひと月前より3㎏増した、と昨日の体重計は主張しているようだったが、自覚は全くない。もちろん口外は無用。彼に知られた日にゃ、血眼になってダイエットを強要してくるのが落ちだ。
“美よ永遠なれ”なぞの美容産業発戦略的プロパガンダに翻弄され、人の人たる“真の大事──健康美──”を見失うべからず。女は容姿のみにあらず、と世の殿方諸氏に声高らかに申し上げたい。が、世間一般常識という非常識に脳内を侵された彼には聞く耳など持ちはしまい。
諦め気分で寝返りを打って仰向けに大文字の奔放な姿勢を取ったら、結び目を胸の膨らみに弾き飛ばされたバスタオルははだけ、あられもない裸体をさらす羽目になった。決して肉づきのせいではなく、生来の豊満なバストゆえであることを宣言しておく。信じてほしい。
生まれ立ての姿で、腹をさすり、食べ過ぎた反省をしつつ頭頂部を枕に立て、できうる限り上目遣いで枕元の目覚まし時計をチラリと一瞥する。
──八時半過ぎ……
首の力を抜いて目を閉じ、いっときしたら、気が遠くなりかけると同時に重力が我が身をベッドに押さえつけてくる。日中の学業にバイトに灼熱の太陽がもたらした諸々の疲れと満腹と、それにいささか度を超した飲酒の酔いが回ってきたせいで全身心地よい気だるさの中で、急速に睡魔に襲われ始めた。──本能の赴くまま、神の御心に従うほか術はあるまい。しかして、あられもない姿のまま夢の世界へと│
薄れゆく意識の中、サッシ窓のほうへ目玉は滑った。外は夕闇に覆われているようだ。
「アッ!」
カーテンは全開だった。ま、覗かれる心配はないし、気にすまい。
瞼は室内の情景を全て遮断した。
◇♂ 【××族 X】 ♂◇
ようやく食事は終わったようだ。
「堪能したかい? こちとら、少々待ちくたびれたぜ」
明かりが消えた。キッチンと寝室を隔てる仕切りも閉ざされた。これで寝室からの冷気は遮断される。ありがてえ。立ち込めた寒々しい空気が次第に温められるぜ。この身に温もりをもたらすじゃねえか。体に張り付いた冷たい滴を体温が融かし始めた。粘度の高いべたつく湿気が全身に纏わりついて……気分は高揚し、雲の上でも浮遊している夢心地だ。魂をも昇天させてゆくぜ。あ~、気分は最高だ。しばらくこの恍惚感を味わおう。強張った体のあちこちを解し、愉快な夢を見るのさ。想像するだけで快楽は舞い降りるのよねえ。
今まで抑えつけられていた剥き出しの本能が鎌首をもたげちまう。相手構わず襲撃の焔が魂の髄を駆け巡りやがるのさ。
ふと、不遇な一族の……我が種族の辿って来た歴史が蘇ってきた。組み込まれた細胞の一つひとつから種族の悲鳴は放出され、共存か排除か、選択を迫られる。どちらを選択するかは、まあ、相手の出方次第だな。
*
さて、日は大分傾いてきたぞ。闇にとってかわろうとする。ここにもようやく静寂が訪れるようだ。
むせ返る空気が心地いい。もっともっと温もりが欲しい。この身を……この血潮を沸騰させる程の熱い闇を切望する。
ようやく体は思い通りに動き始めた。たぎり切った血潮は最早、抑制はきかねえ。自ずと体は暴れだすだろうよ。その瞬間をただひたすら待ち望むだけよ。
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