第二章・孤独なディナータイム── ウンメェェェ~……アッハァ~ン……トレヴィア~ン!

     ◆♀ 【裸族乙女】 ♀◆


 襖を開けておいたおかげで、キッチンにも冷気が流れ込んでいた。早速夕食の支度に取りかかる。

 彼が来る時は、凝ったものを作るのだが、今日は簡単に出来るもので済まそうと思った。食事の支度ほど面倒なものはない。バランスよく栄養を摂取しようと思えば、毎日の献立には頭が痛い。「女の子なのよ」なぞと母はいささか古臭いことをいうが、私ときたら「主婦じゃない。学業とお仕事バイトがあるのよ」といかにも苦学生気取りで切り返すのだが、大半は親の仕送りに頼りっぱなしの的外れな言い訳なのは百も承知。学業とてあくせくとはいかず、世の大学生同様に常識的範囲でマイペースにて励んでいる次第だ。無理して体を壊しては元も子もないではいか。それこそ親不孝というもの。万事、体力あってのものだねだろう。そこのところは譲る訳にはいくまい。ま、この際甘ったれ根性はとりあえず棚に上げておいて、ひとりきりの時はついつい簡単なもので済ませてしまうのは多忙極まりない現代人の常識だ、と声高に唱えておくことにする。

「さて、何にしよう? お茶漬けで済ますか……」

 侘し過ぎる、止めだ。即決し、仕方なく冷蔵庫を覗く。キャベツ1/4。ピーマンにトマト、それぞれ一個ずつ。野菜炒めに決定。まあ、最近、色んな意味において肉食で野菜なんて不足気味だし。栄養のバランスもたまには考えることにするか。

 冷蔵庫からピーマンと傷みかけたキャベツを救い出してやり、まずキャベツの壊死した患部を包丁でザックリと切除し、救命措置を施したあと、芯を取り、まな板に転がった健康体だけを残して傷んだご愁傷様な死体は芯もろともシンクの中へと乱暴に遺棄した。まな板上にお寝んねした健康体を見下ろして、片方の口角を持ち上げ、ニヤリとしながら右手にメス包丁を握り、切り裂きジャックの心境で適当なサイズに切り刻んで水洗いする。

 次に、ピーマンを血祭りにあげん、と解剖台にのせた。縦に二つ切りにして中の種を取り除くのだが、包丁を入れて真っ二つにした左のほうの半分を手に取って中を見た瞬間、ピーマンを投げ捨てた。

 殺人鬼を模倣し、図にのり過ぎた報いか、はたまた、殺害されバラバラになった被害者たちの怨念がもたらした祟りか、中で得体の知れぬ魔物が蠢いたような気がしたのだ。

 まな板の端に辛うじてうつ伏せにのっかった半身のヘタのほうを恐る恐る摘まんで仰向けに起こし、剥き出しになった臓物を確かめてみる。

 いる。長い。緑色のヤツ。巨大な体をくねらせている。

 溜息交じりにスーパーのレジ袋を用意した。裏返して右手にはめる。別に裏返す必要もないかもしれぬが、こんなところに己の几帳面さがうかがい知れるのだなあ、と我ながら感心しつつ、汚染された死体の半分を手袋越しに摘まんで、そのまま手から剥がすように表向きに引っ繰り返した。まな板のど真ん中に堂々と内臓を剥き出しに横たわる片割れもよく調べてみる。こちらは大丈夫、いない。そいつも一緒に左手に持ち替えた袋の中に入れ、口が開かないようにしっかりと結んでキッチンのゴミ箱に遺棄する。ゴミ収集車が火葬場へとご案内してくれるはず。一応、しめやかに合掌して成仏を祈った。

「ナームー……チーン!」

 誰が為に鐘はなる? 我が為よ。

 ──どうか祟られませんように! 

 丁重な祈りを捧げ、「本日はご愁傷様です」と黙祷したら、これにて一件落着。胸を撫で下ろす。

 田舎の祖母が送ってくれた最後のひとつだった。一番見栄えの悪いヤツを最後まで残しておいたのだ。

『有機栽培だから安心して食べるように』

 と手紙が添えてあったけど、中に“定住者”がいたのでは安心できやしない。


   *


 入居済み物件のピーマンは諦めて、キャベツだけを調理することにした。

 フライパンに薄く油を引いて、十分加熱したところでキャベツを投入だ。塩コショウで味を調え、あまり火を通し過ぎない程度に炒める。簡単なものだ。卵があれば、一個ぶち込むのだが、あいにく切らしている。

 テーブルの中央に円形の鍋敷きで舞台を設え、脇役の茶碗と箸を手前に侍らせる。そこに本日の主役の登場とあいなりまして、舞台中央にフライパンごと据えたら、ちと舞台が狭過ぎたせいで無骨な主役ははみ出して引き立つどころか、却って存在感を失ったきらいがある。

「どっこいしょ」

 年寄り臭いかけ声と一緒に腰かけ、いかがせん? としばし頭を捻れば、たちどころに名案は脳髄を駆け巡った。

 一目散に冷蔵庫にすっ飛び、一週間前、二十二歳の誕生日を彼が祝ってくれた時の赤ワインを舞台そでに置いて、席に着く。

 グラスを忘れた。立つのも面倒臭くなって座ったまま振り向き、流しの食洗器の中を右手がまさぐって適当なコップをつかんだ。ワンカップをワインボトルの横に添わせる。

 早速、ボトルを股に挟んで右手で首を固定し、左手でコルク栓を抜きにかかる。元はネジ式ボトルに、「雰囲気だけは一流に」との合言葉で、彼自ら百均製のコルク栓をわざわざ噛ませたのだ。コルク栓を頬張った、高級感は全然漂わぬボトルの口元から意外にも「ポン」と心地よい破裂音の喝采を浴びる。悦に入りながらワンカップに1/3ほど注いだ。一口啜る。芳醇な香が鼻に抜ける。

「ウンメェェェ~……アッハァ~ン……トレヴィア~ン」

 思わずヤギになり、ケダモノ的感覚で我が舌は自ずと鼓を打った。我に返り、人であったことを思い出してパリジェンヌを気取る。

 アルコールなんてむしろ弱いたちだが、あまりの深い味わいに喉の奥へと落ちながら五臓六腑は麻痺し、たちまちグラスは干上がった。更なる刺激を求め、歯止めなく注ぎ続けた。しかして四八〇円のロマネコンティは瞬く間に空となった。

 独りぼっちの寂しいディナータイムを酔いで紛らわせたら、まだまだ秋には早いというのに、胃袋から虫の声は届いた。今朝タイマーをセットしておいた炊飯器は上手にご飯を炊いてくれているはずだ。早速フタを開ける。湯気が鼻から空腹の胃袋を侵す。唾液を飲み込み、碗をつかむと飯を装った。



     ◇♂ 【××族 X】 ♂◇


 どうやら食事の時間らしい。なんと平和な光景よ。

「オー寒い! エアコンの風が……お寒うございますって!」

 ブルっちまうじゃねえか。キッチンにまで流れ込んできやがるぜ。この体は凍えちまいそうだ。冷気がオレの体を、オレ様を蝕んでゆく……体が痺れる。身動きすらままならねえ。こんな状態に陥るなんて、想像もつかなかった。クソ、誰が予想できるもんか。目を閉じて凍えをやり過ごそう。

「ん!」

 油の焦げた匂いだ。空腹を刺激するじゃねえか。本能が蘇ってくるぜ。狂暴な魔物へと意識を改変しようとする力に抗えなくなる。葛藤の結末はどうなるか知らんよ。己の野生のみが思考を支配し始めるんだぜ。「敵を排除し尽くせ~」ってな。

 膨らんだ生存本能が囁きかける。そんな時、必ず恐怖が襲う。己が変貌し、自己を見失う恐怖だ。恐怖が去ったあと、戦士の本能がもたげ、生存欲など意識の底へ沈められる。完全に死に取り憑かれてしまうのさ。恐怖は、立ち向かう勇気の裏返しなのよ。だから敵への怖れなど微塵もない。

 全身が欲望の塊と化して疼き出した。だが今は、欲望を堪えてみよう。必死に堪えたところで、いつか爆発するだろうが。

「我慢、がまん、ガマン……息を殺して……忍、にん、ニンだ!」

 お嬢ちゃんの食事風景を傍観することにしたよ。

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