第一章・裸体をさらした美貌の乙女──よだれタ~ラタラ!

     ◆♀ 【裸族乙女】 ♀◆


 私は午後五時に帰宅した。

 じっとしていても湿気を孕んだ空気が体にまとわりついてくる。西向きの玄関の扉は、日に焦がされてやけに熱い。

 鍵を開けて中に入ると、熱気が立ち込めている。玄関を入った所がいきなりキッチンになっていて、左手は壁、右手奥はユニットバス。中央に小さな白い丸テーブルを挟んで付属の椅子が二脚向かい合う。正面の襖を隔てて和室、と思いきや六畳の洋間があるだけだ。元々は和室だったが、フローリングにリフォームしたとのことだ。

 一階は焼き肉店。四月にオープンして四ヶ月目に突入した。残念ながらまだ一度も入店したことはない。

 建物の裏手、東側の敷地内に窮屈な駐輪場はあるが、駐車場はない。

 ワンフロアに三戸横並び、全十二戸の鉄骨五階建て。リバーサイドに建つ典型的な郊外型ワンルームマンションだ。が、意外と快適なのだ。郊外だが都心から遠くはないし、私鉄の最寄り駅まで徒歩五、六分ほどで、交通の便も申し分なく、通勤通学に好都合だ。しかもワンルームにしては比較的広いキッチンとクローゼットに南北の壁同士を橋渡しする二畳ほどのロフトつきの部屋。対岸には高い建造物などなくベランダ側から望む景色は、見渡す限りだだっ広い空と水の流れぐらいで、存分に開放感を味わうことができる。これで、近辺の同様物件と比べても家賃は格段に安い。築二十年だからもっともかな、と思うけど、去年の秋頃に修復工事を終えたということで、外見も中身もまるで新築みたいだ。いわゆる掘り出し物件だったわけだ。なので、めでたく地元中堅企業から内定を貰った浮かれ気分で飛びついた。入居して、早ひと月。

 ただひとつ難があるとすれば、静か過ぎることぐらいだろう。

 我が部屋は三階の三〇二号室で、両脇の空き部屋を挟んだ真ん中。入居者は他に三人。内訳は四〇一号室、独身OL。四〇三号室、女子短大生。五〇二号室、訳ありげな独身中年サラリーマン。最近ようやく把握できた。 

 目前の、横腹を向けて私の胸辺りで蒼白していじけたように縮こまる小型冷蔵庫をチラと見下ろしながら靴を脱いで、全室白いビニールクロスの壁紙に覆い尽くされた白亜の宮殿に足を踏み入れた。

 急いでキッチンを抜け、洋間の窓際にかかったリモコンに手をのばした。エアコンのスイッチを入れ、風量を『強』に合わせる。リモコンをベッドの上に放り投げ、服も床に脱ぎ捨て、ロフト専用の梯子階段の手すりに引っかけておいたバスタオルを引っつかむと、一目散に浴室へ突進したのだ。


   *


 バスタオルを巻いたまま浴室を出て部屋に入ると、冷風が濡れた髪と体を冷やしてくれた。心地よい風に巻いていたバスタオルを取って全身の汗を拭いながら移動してキッチンの冷蔵庫の前に立つ。またバスタオルを巻き直すと扉を開け、缶ビールを取り出した。

 プルタブを右手人差し指で手前に起こし、缶を右手に持ち替えると、同じ指先で今度は倒しながら飲み口を唇に近づける。ひと口だけ口腔内に含ませ喉を鳴らすと、それぞれの消化器官を潤しながら胃袋へと落ちてゆく。その余韻をしみじみと味わったあと、三分の一ほど流し込む。ひと息ついてから一旦椅子に腰かけ、残りを一気に煽り尽くして缶をテーブルに置いた瞬間、フーッと自然に息が漏れ出る。そしたら、また汗が噴き出してきた。立ち上がりながら缶を潰し、ゴミ箱に放り込む。

 部屋に戻り、バスタオルを外してスッポンポンになり汗を拭った。完全に汗が引いたところで、またバスタオルを巻き直し、鏡台の前に座ってドライヤーで髪を乾かす。

 何かとんでもなくにおってきそうな、この古ぼけた年代物の鏡台は──骨董的価値など如何程かはトンと知らぬが──父方の祖母の形見分けの品だ。

 鏡を覗きながら己の美貌にウットリする。

 自分でいうのも憚られるが、謙虚に、いかに謙遜しても、自他共に認めざるを得ぬほどの日本人離れした美形であることは間違いない。目鼻立ちはすこぶる整っていて、純国産にもかかわらず時々ハーフに間違えられることもある。高い腰当りから地べたへと真っすぐ伸びる白く艶めかしい美脚は、170cmそこそこの身長の半分以上を占める。豊満なバストを故意に突き出して見せつけ、ついでに“ひと月前”は54センチメートルのミツバチのくびれをセクシーに踊らせウエストからヒップのラインをこれ見よがしに強調して漆黒の髪をかき上げる。口角の上がった形良い唇をさりげなく舌で濡らしながら、少々太くて濃いめの男性的だけれど格好の良い三日月眉の下で瞬きの度にパッチリ二重の瞼から覗くいつ何時も潤んだ黒い瞳が、集めた光をはね返しては時折妖艶に男を挑発する女豹に化ける。突き刺した視線に男ならば誰しもイチコロ……といいたいが、成功例は現在の二歳年下の彼氏のみ。ちと寂しい。

 ウットリしながら鏡像がウインクを送ってきた。その美貌に思わず溜息をつく。

 ドライヤーのスイッチを切った。ショートなのであまり時間もかからなかった。



     ◇♂ 【××族 X】 ♂◇


 蒸し暑い……ここは極楽か?

 じめっと淀んだネバついた空気が体じゅうを舐め尽くすぜ。体温の上昇が、活動時期に入ったことを告げてやがる。準備万端だ。心が躍って、気は急くっつうの。

 だが、目が痛てえ。西日は、容赦なく体の髄まで突き刺してきやがる。闇が恋しい。完璧な暗闇が。むせ返るような暑い空気に漂う完全なる闇を泳いでみたい。夜が待ち遠しい。早く夜になれ。それまでは誰の目も届かぬ暗渠の底で、暗渠の底で……ひっそりと身を潜めねばならぬ運命さだめなのよ。

「ん!」 

 人の気配だ。

 玄関が開いた。新鮮な空気が淀みをかき乱しやがる。あろうことか、一瞬でこの体を洗い流しやがった。ゾッとするぜ。折角のネバついた湿度が払われ、サラッとした不快感で満たされる。何とも腹立たしいことよ。

 ああ、お嬢ちゃんか……仕方ねえ、隠れよう。隠れて、あんたの様子をうかがっちゃうぜ。

「へへへ、いい眺めよのう……」

 乙女の汁気を吸った白いTシャツの下のモノが、薄っすらと透けてるじゃねえか。二つの完熟したマンゴーが白い保護幕を破って、今にも弾け飛びそうな勢いで揺れてるぜ。ああ、乙女のジュースを吸い取りたい。渇きは理性を凌駕するものだ。

 細身の長いアンヨに張り付いたブルージーンズか……一歩毎にリズムを刻んでは、ふくよかな尻が挑発的に小躍りしてるじゃねえか。あれ、隣室へ入りやがった。あーあ、しょうがねえなあ……おっと、待つまでもねえや。もう姿を現したぜ。白い肌を剥き出しにしちゃってよ、あられもない姿をオレ様に拝ませてえのかい?

「なーんだ、浴室へ直行か!」

 銀色のドアを閉めたってオレ様には見えるんだぜ。思念で開けた針の穴程の隙間からお見通しよ、あんたの全てが……ウッシッシ!


   *


 シャワーの音が消えた。カーテンが思いっきり引かれた気配を感じる。おっと、隠れよう。おやおや、エキスを流し終えた裸体が迫り来るぜ。美味うまそうじゃねえか。

 また、自室に引っ込んじゃうのかい?

「早く戻っておいで、オレ様が鑑賞してやるからよ、へへへ……」


   *


 やっと、出て来たな。あれま、惜しげもなく裸体を晒しながらこちらにやって来らあ。そうかそうか、喉が渇いたのかい。枯渇した乙女のエキスを、存分にビールで補充するがいいぜ。渇きは耐えらねえもんよのう、気持ちは十分理解するぜ。

 あれあれ、またそっちの部屋に引っ込むってえの? 

「なんとまあ、忙しないことよのお……呆れちゃうわよ!」

 ま、何はともあれ、あんたの一部始終を覗いてやったぜ。こちとら、もうしばらく隅っこでまた息を潜めるとしよう。

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