第九話 きいろいやくそく
炎天下の下でひたすら歩く。
四十年前の“思い出の場所”を探しながら、そんな事を考えていた。
既にシャツは、絞れるくらいに汗でべっとりと身体にくっ付いて、動きにくいったら無い状態だ。
「確かここら辺だな」
覚悟はしていた。
息を切らし暑さで朦朧となりながらGPSを頼りに辿り着いた先に、お爺さんの家も旅館も跡形も無くなって売地の看板が立っている。
──仕方ない、四十年前の話だ。
海の方を見ると、所々、何もない空間が出来ている。
あの頃、見事に並んだ松並木は、マツクイムシによって何本も枯れ伐採されて歯抜け状態だ。
海と旅館の間にあったはずの、でこぼこの道はアスファルトに舗装されて、松と道路の間には反射板が付いたポールが道に沿って並び、木の数より多く感じる。
あの幼き風景は消え、新しい風景に変化して、やる瀬無い気持ちのまま呆然と立ち尽くした。
──ずいぶん変わったな。
もしかしたら、空の青さや波の音でさえも、今と昔では変わってしまったのだろうか?
喪失感が風とともに私の横を吹き抜けていくようで、とても嫌な感じがする。
もういい──、もういいや──。
海を眺めながら帰ろうと、よそ見して歩き出したのがいけなかった。盛りあがった松の根っこに足を引っかけ勢いよく転んでしまう。
「いてててて……、そういや昔も、よく転んだな……、あれ……?」
四つん這いの状況から上を見上げると、松の葉が揺れて隙間からピカピカ光が漏れ頬に当たり、同じように海もキラキラ輝いている。
これはデジャヴ現象というのか──、いや、そうじゃない。
“私はこの場所を、よく知っている”
四十年前に一番大きかった松は、いつの間にか他の松に抜かされていたのだろう。だから気づかなかった。
この松の下でゴザを引いて根っこを枕にしていた記憶。
あの時は、まだ幼くて全てが大きく感じたけど、ここに間違いなかった。
自分でも興奮しているのが、わかるぐらい心拍数が速く感じる。
「ここに座って菓子を食べてジュースを飲んでた! お爺さんが泣いた日もここで、ジュースを飲んで……、ここで、そうここで……」
──風が頬の横を抜ける。
「そうだ……、もしかしたら」
海に打ち上げられた平たい木を拾うと、スコップ代わりに使用して、枕にしていた松の下を懸命に掘ってみると小さなガラス玉が一つ。
──ごくりと唾を飲む。
ガラス玉を横に置いて、更に十センチ程掘った時、ゴツンと石に当たる音。
蓋のようになった石を取ろうと、全身すでに汗まみれになって、指先がジンジンしても構わず掘っていく。
──この下が見たい。
既に爪の間も手も真っ黒になりながら、テコの原理で石を浮かして取り上げると、下から懐かしいモノが見えた。
ゆっくり割らないように周りの土を退けて丁寧に掘り起こす。
「瓶だ──」
あの時、四十年前に飲んでいたジュースの瓶。
土が付いた瓶の中身には、黄色っぽい色をした石がびっしり詰まっていた。
──あの日の僕とお爺さんの声聞こえる。
「他にも変わらない物ってあるの」
「そうやなぁ、またこの根っこの下にでも隠しておいたらぁ」
──お爺さん、私が戻ってくるのを信じて、ここで一人でずっと石を集めてくれていたんだ。
四十年目にして、真実を知るなんて思いもよらなかった。
一人残されたこの場所で、後ろ指を刺されながらも生ききって待ってくれていたんだ。
「なのに、なのに俺は──」
瓶を額にくっ付けて人目もはばからず、子供の様な声をあげて泣き続けた。嗚咽を繰り返しながら涙は瓶に伝ってこぼれ落ちる。
──俺との約束を
ひとしきり泣いて、瓶についた土を落とそうと海に入れて軽く擦ると、みるみると汚れが落ち綺麗になって輝きを増していく。
それは私の心の中が、あらわれるようにも思えた。
とても晴れやかな気分になっていくのは、ジュースの瓶が見つかったからではない。
そんな物質的なことではなく、それよりも自分の心にお爺さんとの折り合いがついた事だ。
あの幼き日と比べて街並みや海沿いの景色が変わってしまったけど、精神的な永遠に変わらないモノを受け取って私の心が満たされたことにだ。
お爺さんは確かに悪いことをしたのだろう。私達家族は、この場所を離れることにもなったのだから。
でもそんな事は私の中ので表面的なことであって何も問題なかったんだ。
私は今さら、お爺さんを変わらず大好きだったということに気づく。
再びポロポロ溢れ落ちるに涙につられ言葉も落ちていく。
「お爺さん──、今までごめんなさい」
あまりにも自然に謝罪の言葉が出た。心の底から納得したのだろう。
その後には、悲しみや喪失感、淋しさや孤独感をなん度も繰り返して、最後に感謝だけが残った。
「そして──、ありがとう」
瓶を洗う最中に海水が入って濁っていたが、暫くたって汚れが沈殿して石が見えるようになる。
瓶は綺麗に夕焼けに照らされ、
まるで──、“きいろいジュースそのものだった”
世の中は狭いようで広くて、ありふれた日常生活を変化させる“きっかけ”が溢れているのだけど、皆んな忙しかったり、面倒臭がったりして、上手くすくうには時間が掛かってしまうから、止めてしまうのだろう。
お爺さんが流した涙は、孫に辛い思い出をつくったせいで悔しかったからか、自分への嫌悪感なのか本人しか分からない。
たいして重くない瓶を両手で持って、車に向かう私は、この瞬間に変わったんだ。
なぜなら、アスファルトの帰り道が少しも嫌じゃなくなってたから──
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