第三話 やくそくのばしょ


 ──絶対に秘密だからね

 ──わかっちょる賢治。二人だけの秘密じゃ


 〈ガチャン! ガランガラン、ガタガタガタガタ……、パタッ〉

 

 布団の中で目を開く。

ドアポストが外れた音だなと、クーラーが効きすぎた布団の中で包まりながら思った。

 

 もう、そのままでいいやと再び目を閉じたが、尿意が激しくなり、思いとは裏腹に意識が覚醒していってしまうのが嫌でたまらない。

 

 休日の目覚め方としては最悪のスタートの始まりだ。


 「また後で、貼り付けるか」 

いつもガムテープで貼り付けて終わるだけの、手抜きな対策をしているドアポスト。

 

 もちろん、ちゃんと修理すれば解決する問題なのだが、めんどくさがって先送りにする性格が、そこには現れていると言われても仕方ない。

 

 半目のまま、うつ伏せ状態でモゾモゾとスマホを手探りして画面をタップすると、午前九時の表示が浮かび上がった。

 

 「ふぁーあ、もっと寝させてくれよ……」


 あくびをしながら身体を横に向けると、腰に痛みが走る。

 

 中学校の教師を務める奥田賢治は四十八歳。

授業の後も、土日まで部活の顧問を引き受けなければならないという理由から、疲労とストレスが蓄積され、なかなか回復する暇もない日々が続いていた。 

 

 八月は、まだまだ猛暑が続く真っ盛りの季節。

つけっぱなしにしたクーラーのせいで、喉がイガイガするのが不愉快で目が冴えてしまう。

 仕方なくゆっくり起き上がって水を飲むと、ついでにドアポストを直しに行くことにした。

 

 とはいえ玄関から暑い風が入ってくるのを少しでも避けるために、その日も蓋をガムテープで無理矢理貼り付けるだけで終わる。

 

 本当に自分でも腰の重い人間だと思う。

 

 もう一度寝ようと思ったのだが、玄関の片隅に落ちていた郵便物をしゃがんで拾うと、再び腰に痛みが走った。

 

 さすったところで気休め程度。

 このまま放置してはダメだと、湿布を貼るためにテーブル近くの椅子に深く腰掛け、ついでに手に取った葉書に目を通した。

 

 差出人は母親だった。

 

 三十三回忌と記された往復葉書には、"後悔なきように"と一言書かれている。


 ──今回が最後の法要ということか。

 

 腕を組み、葉書に書かれた故人の名前をじっと見つめ偶然って怖いと感じていた。たった今、お爺さんの夢を見た朝に葉書が届いたのだから。

 

 ──今まで思い出さないように過ごしていたのにな。

 

 それは自分の中で、まだ完結していない話。

憎しみも悲しみも愛情も、長い年月が風化させ、どこか遠くへと消え去ってしまったと思っていた。

 

 「あの日」を境に人生が変わったこと。大切な人との別れを告げずに故郷を後にしたことを。

 

 それにしても何十年も経ってから、突然その感情が舞い戻ってくるなんて想像もしていなかったのに──、とうとう向き合わなければならない日がやってきたのかと静かに目を閉じ思い見る。

  

 ──今日見た夢。

 大事な何かをお爺さんと約束してたと思うのだが肝心な所が思い出せない。


 テーブルに置かれたペンを手に取り、何度も指先でくるりと回すと、背中を伸ばして、もう一度大きくあくびをした。

 

 ベッドの上でスマホのアラームが鳴っている。

 その音はまるで「早く決めたら? 今からどうする?」と催促されてるようで、意を決して参加に丸をつけると、直ぐに着替え始めることにした。


 思い立ったら即行動するタイプではないのに、自分でも驚いている。

 

 無駄に早起きしたせいか往復葉書を郵便ポストに入れた後、車を走らせて一時間半かかる生まれ育った故郷へと向かいだしているのだ。

 

 それは私の心の奥底にある、故郷への深い思いのせいかなのかも知れない。最後の別れの前に、もう一度だけあの頃の幸せな風景を見たいと思ったのだろう。

  

 運転中、横目見た気温表示板には三十七度と映し出されていた。

 試しにウィンドウを下げてみるとムワッと熱気が入ってきたので、直ぐにウィンドウを上げてエアコンの風量を最大に切りかえる。

 

 都市計画が進んだとはいえ、この辺りは、まだ田舎の風景がばかり。

 遠く離れた海が近づきだす頃、ガラス越しに流れていく景色と思い出を重ねて、まるで過去に戻るタイムマシンに乗った気持ちになった。

 

 ──もう四十年も経つのか

 

 あの頃、何度も歩いた、でこぼこの道も今や舗装され、かつての面影は全くと言っていいほど、残っていないのかもしれないな。

 

 そんな事を考えながら予定してた停車場所に到着したのだが、思いもよらないトラブルが起きてしまう。

 目の前の看板には《コンクリート舗装の為、この先通行止め》と鎖で封鎖されていのだ。

 

 ──車に乗ったまま少し眺めて帰ろうと思ったのに。

 

 しかたなく路肩に車を停めて何回か溜め息をついた後、決意する様に最後に大きく息を吐き出すと、歩きながら探すため車から身体をだした。

 

 とたんに髪の毛に強い熱を感じ、空を見上げると、雲一つない夏の日差しと共に、蝉達が競い合うよう鳴きだして、余計に暑さが増して軽く目眩がしそうになる。


 ──もう少し向こうだよな。


 スマホの地図情報を頼りに、ぶつぶつと独り言を昡きながら歩いていく。

 額から顎に向かって滑り落ちていく汗は、午前中に太陽熱を蓄えたアスファルトに落ちると、すぐに蒸発するのを見て何故か怒りが込み上げた。


 「これは倒れたら火傷するな……、だから舗装された道は嫌なんだ」

 

 暑さのせいか訳のわからないケチをつけ、下を向いて歩き続けること数分。

 先の方で波の音が微かに聞こえた気がして、片手で手庇をつくって辺りを見渡す。


 一九八十年の、あの夏の日のように

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