第二話 せんせいのこと


 ──私は、甘やかされて育ったせいか“謝る“のが好きじゃなかった。

 

 その気持ちが爆発したのは小学校高学年時代。

担任の先生から「ケンカ両成敗。〇〇君も謝ったから、賢治君も謝ろうね」と言われた時、頭の中で反発する言葉がテレビチャンネルの様に、どんどん切り替わっていったのを覚えている。

 

  ──そんな謝罪に意味あるのか

 

  ──とりあえず終わらせようとしてるだけじゃないか

 

  ──どっちに非があるか客観的に見て判断して欲しい

 

  ──お互い相手が悪いと思ってケンカしてるの分かってるの

 

 そんな理不尽な状況を認めて謝れるわけがなかった。

 私にとって“謝る”ことは、“自分が納得ができるか、できないか”に重点を置いていたからだ。

 

 その心理的抵抗感は、学生時代も社会人になっても変わらずに押し通した。

 そのため、幼稚な若造だと見られようとも、他人から馬鹿にされようとも、“謝罪は負けを認めることだ”というプライドが邪魔をして、年月が経っても簡単に謝ることはしなかった。

 

 しかし、そのような固定観念にとらわれた人生を送ってきた者でも、時には何かの“きっかけ”で変わることがある。

 

 そう、それは私自身の実体験。

 

 その“きっかけ”は、あの夢から始まったのだ。

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