第42話 エルフの里のイェクン

 イェクンは今日も言われた作業をこなしている。

 これにどんな意味があるのか分からない。

 穴を掘らせて、それをまた埋める。そんなことばかりやらされている。

 意味のないことをやらされ続けることはかなりの苦痛で、まるで拷問のようだった。


 逃げても無駄だということは分かりきっていた。

 この森すべてがサトゥーレントの体なのだ。あっという間に察知され、捕らえられることだろう。

 イェクンはいっそ死のうかとも考えた。だがそれはなぜか許しがたいことに思えた。


 それでは奴らに屈したようなものではないか。


 奴隷という立場をあえて受け入れ、寿命で死を迎えるまで生き抜く。それこそ自分の名誉を回復できる唯一の方法である、そんな気がしていた。

 その前に根負けしたエルフが自分を殺そうものなら、それこそ大勝利である。


――気がするだけだ。それは分かっている。この無意味な日々で正気を保つための気休めにすぎない。

 ただサトゥーレントの思い通りになることだけは許せなかった。


「あの罪人、いつまでここにいる気なんだ?」

「さぁな。しかし我らが追い出せと願っても、サトゥーレント様はお許しになられないだろう」

「なにをお考えなんだろうねぇ。あんなのが里にいるんじゃ、安心して寝られやしないよ」


 今日もまた、エルフたちがあえてイェクンの耳に入るように嫌味を言ってくる。

 あんなものに反応してはいけない。

 それを聞いても、意味のない雑音であるかのように処理する。

 虫や動物の鳴き声だと思えばいい。

 犬に吠えられて怒るなど、大人げないことである。


「あなたち、いい加減にしてください」


 女エルフの声がする。雑音のはずなのに、イェクンは思わずそちらを見てしまった。

 あれはあのときあの場にいた女エルフ、確かアキレトといったか。エルフの中では特別な立場にあるらしい。知っているのはこれくらいだ。

 彼女がこのようにかばうのは、これが初めてではなかった。


「しかしよぉ、アキレト。あれは人間だぞ。それも罪人だ」

「そんなことは分かっています。ですがエルフと人間の共存、それがサトゥーレント様のお望みなんですよ」

「それは、その……」


 彼女が人間をかばっても許されるのは、サトゥーレントに気に入られているからだろう。そして自分をかばう理由も、あくまでもそれがサトゥーレントの意思だからだ。ただそれに盲目的にしたがっているにすぎない。

 イェクンは冷たい目で彼女を見た。

 化け物の言いなりになっている哀れな女。そんな思いがその視線に乗っていた。


「ここはいいですから、仕事に戻ってください!」


 渋々、という様子で二人の男エルフが背中を向けて歩いていった。

 腰に手をやって大きく一つ息を吐いたアキレとはイェクンの方を見た。

 イェクンはとっさに目を逸し、作業に戻る。


「その作業はもう結構です。それよりこっちを手伝ってください」

「しかし、まだ途中だ」

「そんなものは嫌がらせのための、意味のない仕事です。お分かりでしょう?」


 当然分かっているが、それをエルフ側が言ってくるとは思わなかった。イェクンは手を止め、まじまじと彼女の顔を見た。

 その顔は怒りが見えたが、それはイェクンに向けられたものではない。さっきの二人に対するものだ。彼を見る視線には、哀しみの色があった。


「何をしろと言うのだ?」

「木を運んでいただきます。これはとても重要な仕事です」


 やはりただの力仕事でしかないではないか。イェクンはため息したが、なにか意味があるだけマシというものだと思い直した。

 アキレトに連れられて森の中へ入っていく。

 二人きりだ。イェクンは手枷足枷をつけられているわけでもない。

 この女、馬鹿なのか? そう思ってしまうのも無理はない。


「あい、あんた。アキレトとかいったか。怖くないのか?」

「怖い? 何がです?」

「俺は人殺しだぞ。大王だけではない。これまで戦争の中で数え切れないほど殺してきた。そんな男と二人きりなんだぞ」

「私だって鳥や動物を殺めたことはあります」

「いや、それは生きるためだし、こっちが殺したのは人だぞ?」

「まだそんなことを言っているのですか? 人も動物も同じです。命です」

「いや、そんな馬鹿な――」

「馬鹿はどちらです? 人間の方が高等で人間の命にしか価値がないとでも?」


 なにか言い返そうとするが、イェクンは言葉に詰まった。

 言っている言葉は理解できるが、意味が分からない。

 人と動物が同じだと?


「いや、そういうことを言いたいんじゃない。自分が殺されると思わないのか?」

「なんだ。そんなことですか。そんなもの無理に決まっているじゃないですか」

「ここがサトゥーレントの森だからか」

「そうです。サトゥーレント様も精霊様もいらっしゃるのです。私は皆さんに守られています――っていうか! 様を付けてください!」

「何で私が」

「偉大なお方だからです!」

「ほう? 人間も動物も同じなのに奴は違うと? 植物だからか?」

「違います。人間も大王には様を付けるでしょう、。それと同じことです。でもサトゥーレント様は、あれほどのお方だというのに、ご自分を人間やエルフ、その他動物たちと変わらないとおっしゃっているんですよ」


 あの化け物どもと人間が一緒だと? 動物とも? この女も、サトゥーレントも何を考えているのか分からない。

 二人の足音に驚いた鳥たちが、一斉に飛び立った。

 それを見上げると、日差しが目に入る。イェクンは目を細めて鳥たちを見ていた。

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