第34話 釣りと大王

 その日は快晴だった。

 大王は湖で釣を楽しんでいる。治療所の一部を改造し、特に頑丈に作られた釣り場から糸を垂らす。運動としてはちと軽めだが、やらないよりは良い。


「釣れますか?」


 背後からどう声をかけるかと悩んだが、やはり定番はこれだ。

 大王は驚くかと思いきや、浮きから目を離さずに、こともなげに言った。


「これはこれはサトゥーレント殿。そろそろ来るころだと思っていたぞ」

「おや、なぜ私だと分かったのです?」

「ここは厳重に警備されている。ここまで誰にも気づかれず来られる者などサトゥーレント殿しかおらん。それにサトゥーレント殿には殺気がまったくない。わざわざ侵入してきて暗殺もしないなど、普通はありえん。そう考えれば自ずと答えは見えてくる」

「さすが大王様。驚くべきご推察ですね」

「サトゥーレント殿。今は二人だけだ。そう固くならなくともいい」

「それは助かる。俺も堅苦しいのは苦手でね。大王も俺を呼び捨てにしてくれ」

「はっはっ! いくら固くなるな、と言われたからといって余の前でそこまで力を抜けるのはお主くらいだな。余も立場上、部下の前では尊大に振る舞わねばいかなくてな。これまでの非礼を詫びておきたい」


 大王は少し笑うと、竿を上げた。そこには餌を食われた針だけが虚しく揺れていた。


「んー。釣は難しいな。サトゥーレント殿は釣はやられるか?」

「俺は食う必要はないし、遊びでやるにしても魚が可哀想だしな」


 やおら大王が右手を挙げた。

 遠くからこちらへ近づいてくる人の気配が動きを止めた。大王が制したのだ。


「やれやれ。これが暗殺者ならとっくに殺されているぞ」

「護衛もつけないとは、不用心では?」

「ここで殺されるならそこまでの男だったというだけのことよ」


 大王は餌を付け、竿を振った。大王は木を組んで出来た足場に、両足を垂らすようにして座っている。

 俺も同じように隣に腰掛けた。


「だいぶ体調は良いみたいだね。血色も良い」

「おかげさまでな。こうして自然の中、のんびりできているおかげかもしれん」

「忙しすぎるのはよくない。これからは休養もしっかりとることだ」

「うむ。おかげさまで楽しませてもらっている。病に臥せっている間、いろいろなことを考えたよ。余は全てを手に入れたつもりだった。しかし、死を覚悟したとき、この人生は一体なんだったのか? そう思ってしまったのだ。どれだけのことを成し遂げようが、どんな贅沢をしようが、死ねばそこで終わり。そうだろう? それなのに、私はこれまでたくさんの人を殺してきた。たくさんの兵を失った。彼らにも人生はあったはずだ。これは命を奪った罰なのだろうか。そんな風にも思った」


 水面は波一つなく静かだ。

 日差しを反射し、磨かれたガラスのように輝いている。


「俺は、信じてもらえないかもしれないが、実はもともと人間だったんだ。ここじゃなくて、違う世界のね。そこで俺はただの一般人だったんだが、戦争に巻き込まれ、あっさり死んでしまった。気がついたらここで木になってたんだ」

「サトゥーレント。普通は木だという方が信じられんぞ」

「なるほど、それもそうか。ま、そんなわけで俺は戦争を起こしてほしくないんだ。つまり、エルフとは争わないで欲しい」

「正直に言うと、私は彼らのことが目障りだった。思い通りにならないからだ。だが今はそんな気持ちは失せてしまったよ。すでに大陸は統一してしまったし、エルフが人間と事を構えるとは思えん。彼らが何もしない限り、こちらからは手を出さんよ。森のことはお主らに任せる」

「そうしてくれると助かる。別に森も国の一部として含めてもらっても構わんが、エルフの権利は認めてやってほしい」

「最大限、善処しよう。ただ……」

「ただ?」

「彼らが国民になるのなら、という条件付きだ。そうでなければ他の者どもも納得しまい」

「国民になるにはどうすればいい?」

「名簿に登録してもらう。子どもが生まれたときと死亡したときの届け出もしてもらう。そして登録されている者は法に従ってもらう。そして義務を果たしてもらうことになる」

「義務とは?」

「余に忠誠を誓うこと。それと税を納めることだ」

「なるほど。税はどの程度になる?」

「それはエルフと相談して詰めるとしよう。彼らの生活を圧迫しない程度に抑えなければな」


 浮きが動いたので、大王は竿を上げ、合わせた。うまくかかったらしい。


「かかった!」

「お!」


 しばし格闘したあと、魚が疲れたところを見計らって竿を大きく上げた。

 そこには手のひらほどの小さな魚がかかっていて、激しく体をうねらせている。


「たはは。苦労したわりには小さいな」


 大王は腰につけた魚籠びくに魚を入れた。

 その大きさから見て、そもそも大物を釣ろうというわけでもないようだ。

 大王は俺の顔を見て、綺麗な歯を見せて笑った。


「では、エルフとの約束事を文書として残して欲しい。それに互いが調印して契約成立としよう」

「ふふ。まさか木と契約とはな。もっともお主は元々人間だったのだから当然か。人間のころはどのような暮らしをしていたのだ?」


 大王はまた竿に餌を付け始めた。鼻歌なぞ歌い、上機嫌のようだ。

 俺は前世の話をしつつ。もう森が燃えるのを見ることはなさそうだ、などと考えていた。

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