第26話 子どもの教育

 木になって長い時が過ぎた。そうしているうちに俺も随分と気が長くなったらしい。

 イェクンが三日でやってみせると豪語した王の治療所だが、宣言より二日遅れて五日で完成した。前世だったら責任問題にもなりかねん遅れ、かもしれんが今の俺にとっては二日など瞬きする時間ほどにも感じない。


 遅れたことの詫びを兼ねた招待状が、今やエルフとの連絡役を任されたラメエルにより届けられた。なんせエルフと直接繋がっているのはこの一家だけなのだ。彼らもかなり特殊な立場になっているらしい。


「ほんとに、あっという間に作ったなぁ。人間もやるもんだ」俺はアキレトが淹れてくれた茶をすすりながら言った。

「モトス湖は人間もよく訪れる観光地ですから。もともと道路や施設はあったんです。あとはそれを大王が使うのにふさわしく、ちょっと改装するだけだったんです」


 同じく茶をすするラメエルもマルルック宅でくつろいでいる。まるで親戚の家に遊びに来たとでもいう様子だ。


「当然、サトゥーレント様はその点も考慮の上、この地に決められたのでしょう」なぜか誇らしげにアキレトが言う。

「いや、ここを提案してくれたのはマルルックだぞ」

「さすがサトゥーレント様。私に花を持たせてくれるとは。あっはっは」


 立ててくれているのはお前だろ、マルクック。ま、いいか。


「治療に関しては私もなんら心配していないのですが、問題はその後ですね。条例に関してどのようにお考えなのですか?」


 ここでこちらの草案に関して口軽く喋るのはどうかと思うだろう。ラメエルが人間側のスパイである、という可能性はありえなくはないからだ。

 実は、それはないということを俺は知っている。

 これは“同化”の副作用みたいなもんなのだが、俺は“同化”した対象者の記憶をある程度読むことができるのだ。よって彼女が裏切り者でないことはよくわかっている。そのことは彼女にも話してあり、了承済みだ。人間側には隠している。なぜって、大王の治療には“同化”が必要だから。俺はそこで大王の記憶を見てしまうことなる。


「絶対に譲れないのは不可侵条約という点だな。これは向こうも当然わかってるだろう。あとはエルフと人間の交易について取り決めたいな」

「これまでも一部の人間とは交易しておりましたが」

「それを大王公認にしてもらおうってわけだ。公認かどうかはかなり違うぞ。あとはマルクック、君たち夫婦は大使として森に常駐してもらいたい。どうだ? ガデイラ」


 ドアを開けて入ってきた彼にいきなり問いかけた。俺には彼が来ているのがわかっていたのだ。


「大使とはどのようなものなのです?」

「今と変わらんよ。エルフと人間の架け橋だ。こちらからもその役目を正式にお願いしたいってことだ」

「それは大変な名誉ですが……森に住むとなると」


 ガデイラは目線を下に向けた。そこには小さな女の子がいた。二人の長女、アナエルだ。


「そうか。子どもにはまだ教育も必要だしな。そこまで考えが及んでいなかったよ、すまない」

「わたし、森に住みたいな」


 アナエルは父親の足から顔を半分のぞかせ、言った。


「お、森が好きか?」

「うん! 森はエルフのみんながいるし、サトゥーレント様もいるし。大好き!」

「そうかそうかー。良い子だなぁ」


 俺が微笑みかけるとアナエルはトコトコと俺のもとに駆け寄ってきた。頭を撫でてやると気持ちよさそうに口角上げてキャッキャと笑っている。かわいすぎだろ!


「二人の子どもなら優秀な人材に育ちそうだし。教育はきちんと受けさせた方がいいな」

「おっしゃる通り、これからは教育が大事になると思うんです。兵士たちを見ていて思ったのですが、彼らは基本的な読み書きもままならず、簡単な計算もできないのです。腕っぷしが強ければいい、そう考えているんですよね。これからはそういう時代ではないと思うんです」

「読み書きはどうやって教えているんだ?」

「粘土板を使っています」

「なるほど……いや、待て。文字は誰が考えたんだ?」

「さぁ、誰なんでしょう? 大昔からありますし……実は文字にも地方によって違いがありまして、大王はそれを統一すべく動いているという話もあるのですが」

「ラメエルが使っている文字を教えてくれ」


 彼女が地面に書いた文字は、まるで象形文字のようだった。まったく読めない。

 俺はなんて間抜けなのか。言葉については日本語を広めたのに、ここまで文字を放っておいてしまっていた。


 今からひらがな、カタカナ、漢字を教えても、果たして人間は使ってくれるだろうか。

 エルフは使ってくれるだろうが……。


「教育が大事という話、確かにその通りだと思う。そのためには学校を作らなければな」

「学校というのは?」

「子どもを集めて学問を教える施設だ。それには本がいるな、本を作るための紙に、印刷機に……ダメだ、人手が足りん! 分身でもできりゃあな」


 俺はこんなにデカいのに、何でこう役立たずなのか。

 木は何本も生えているんだから、なんとかこう、うまく操れないもんか?

 そうすればもっとはかどるんだが。


 その後、俺は思い知らされた。

 欲求がすべての根源であるということをだ。飛びたいと思ったから飛行機ができたのだ。

 俺は増えたいと強く思った。


 それが、まさか実現するとは、このときは思わなかったんだ。

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