第22話 焼き討ち

 部隊は森のすぐ近くの丘陵地帯に展開していた。

 総勢一万二千人。率いるのは黒の騎士ことイェクンである。

 先の大陸統一戦役では数々の武功を挙げ、二十代の若さで今や師団長という大出世を遂げた。

 彼の武力は国でも一番と名高い。さらに人格もすぐれ部下からの信頼も厚い。


 およそ人の望むものは全て手にしてきた、そんな男が苛ついていた。


「そのような要求、飲めるわけがない!」


 指揮官たちの集まる白いテントの中は、滅多に聞けない彼の怒声に静まり返った。

 報告した偵察部隊の隊長は、思わず体を一つ震わせた。


「おそれながら申し上げます。森の主と名乗る者に不思議な力があるのは確かなようで、この者の傷を一瞬で癒やしたのを、我らは見ております。このように、何事もなかったかのように治っております」


 隊長は隣で膝をつくロン毛金髪の腕を指した。


「そんなもの、まやかしに決まっている。お前たちがそのようなものに惑わされるとは、情けない」


 そう言われ、たかが偵察部隊の隊長ごときに何も言い返せるはずはない。

 ただ静かに頭を垂れるのみだ。


「よい。下がれ」


 イェクンの命を受け、偵察部隊の二人はテントから退出した。


 イェクンはテントの中央にある大テーブルの上を見た。

 そこには布に書かれたシズナシ大陸の地図が広げてある。


 シズナシ大陸は右を向き、大口を開いた亀の頭部のような形をしている。

 口にあたる部分はガズル湾と言われ、上顎の付け根辺りに首都であるナトミクーがある。

 経済は東西でかなり格差があり、首都のある東側に比べ、西側の発展は遅い。

 大陸の真ん中には大陸一の山、オポウラ山そびえ立っている。

 その裾野に広がるのが大森林である。


 大陸の主要な都市はすべて海岸線にある。

 オポウラ山周辺は小さな山村が点在している程度である。

 本来ならば、このような大部隊で進軍するような場所ではない。


(しかし、ここに王の望むものがあるとすれば、行くしか無いのか)


 イェクンは思案した。

 森はエルフの巣であり、入れば攻撃を受けるだろう。

 木が邪魔で大部隊では小回りが効かない。

 数で押し切れば制圧はできるだろうが、こちらの被害も大きいだろう。


「各部隊長に告ぐ。森に火を放て」


 ならば、炙り出してやるまで。


(大森林の主とやら、どうするのかお手並み拝見といこう)


 もとよりそんなものの存在は認めていない。

 ただの森の見せる幻惑に過ぎん。

 このような場所はときに人を狂わすのだ、彼はそう信じていた。


 ※※※


 その知らせはすぐにサトゥーレントの元へ届いたが、彼も人間たちの動きは察知していた。


「サトゥーレント様! いかがなさいますか!?」


 エルフの長、マルルックの顔にも焦りが見える。

 エルフの里の住人たちも蜂の巣をつついたような騒ぎだ。

 そこかしこから怒声が聞こえる。人間を殺せ、今こそ立ち上がれ、大体はそんな内容だ。


「焦るな。多少、燃えたところで大した問題じゃないよ」


 確か、森林火災にもメリットはあったはずだ。

 とはいえ、大規模火災となると環境に与える問題もある。


「しかし、我らにとって森は命。かつての火災のときは精霊様のお力で消し止められましたが、今回はさらに大規模な火災が予想されます」

「そういえば、前の火災は精霊が消したんだっけ。よし、今回も精霊たちの力を借りるとしよう。エルフたちは妙なことをせず、ここで大人しく待機していてくれ。安心しろ、火はここまでは来ないよ」

「はっ。サトゥーレント様がそうおっしゃるのならば、我らは従うのみです」


 実際、火が放たれたと言ってもエルフの里からはまだまだ遠い。

 そうなるまえに止めることはできるはずだ。


(精霊たち。力を貸してくれ)


 念話で森にいる全ての精霊に呼びかけた。

 精霊たちにもいろいろな種類がいる。

 火、大気、大地、水などの自然を司る能力が、各精霊には備わっているのだ。


(火災場所へ大雨を降らせて欲しい。それと空気の流れを遮断してくれ)


 水による消火と酸素の供給を断つ、それにより火を消し止めようというわけだ。

 急速に大空を雨雲が覆い始めた。


 ※


 その光景は、人間達にも驚きを与えた。


「イェクン様、これは一体!?」

「焦るな。ただの偶然だ」


 そう高をくくっていたイェクンだったが、やがて雨雲から大雨が、まるで火を狙っているかのように降り注いだのを目にしたときは、何かの力を感じずにはいられなくなった。

 部隊に命令し、追加の火を次々に放った。焼け石に水ならぬ『濡れ森に火』とでも言おうか、炎は思ったように広がらない。だが彼らは諦めず、火を放ち続けた。

 歯ぎしりしてその光景を見るイェクンの眼の前の大気が揺らいだと思ったら、そこに人が出現した。


「お初にお目にかかる」

「なっ!? 貴様! どこから入り込んだ!?」


 イェクンの周りには彼を護衛する精鋭部隊が二重、三重にも取り囲んでいる。

 アリ一匹入れない、という布陣だ。

 イェクンは目を疑ったが、現実に、その男は目の前に立っていた。


「ご挨拶が遅れて申し訳ない。俺はサトゥーレント。まぁ、なんだ……この森の主と言われている者だ」


 特に秀でたところもなさそうなその細面な男の姿に、イェクンは二の句が継げず、口をアゴが外れたようにあんぐりと開けるのみだった。

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