第18話 ラメエルの願い
これまで少し怯えも見えたラメエルだったが、今は力強さを感じさせる瞳で言った。
「私に人の病を癒す術を授けていただきたいのです」
まさかの要求に、俺は一瞬、時が止まったように動けなくなった。
「人の病を癒す術? いや、俺にそんなもんはないぞ」
おいおい。俺を何だと思ってる? 木ぞ?
前世で医者だったわけでもない。
「しかし、かつて難病の人間を癒やされたとうかがっております」
「あ、あれか」
スイエルの父親のことを言っているんだろう。
確かにあのときは治したけれど、あの方法は俺しかできん。教えたくても無理だ。
「我ら人間は結婚すると十人ほどの子を作ります。しかし、そこから成人するものは半分程度なんです。多くは体の弱い赤子のうちに亡くなってしまいます。それをどうにかしたいのです」
乳幼児が死ぬのは珍しくない。気をつけていてもそれは起きてしまう。死ぬことも自然の摂理とは思う。
運、と言えばそれまでだが、生まれたばかりの子が死んでしまうというのはいたたまれないし、なんとかしてやりたい。
「具体的にはどのような症状で死んでしまうんだ?」
聞けば、死亡原因は様々なようだ。
さっきまで元気だったのに気づいたら死んでいた、というような原因不明のパターンや、体中に斑点が浮かんだ、とか、光熱を出した、という何らかの病のパターンも当然ある。
病気になるのは運もあるのだが、もっと根本的な原因がありそうだ。
「ラメエルはどれくらい風呂に入っている?」
「私は三日おきですね。家族の中でもよく入るほうなんです。水を使いすぎるなって怒られるんですけどね」
「普通の人はどれくらいだ?」
「だいたい五日おきくらいでしょうか」
思った通り、まずは衛生面に問題がありそうだ。
「石鹸は何を使っている?」
「せっけん、とは?」
「え? つまり体を洗うには何を使っている?」
「もちろん、水です」
「それ以外には?」
「布で体を拭いています」
使ってない、と。こりゃ不衛生だな。
石鹸ってどうやって作るんだろう。
俺の見た映画では、脂肪吸引された人間の脂肪を使ってたけど。
まさか、そんな原料は手に入らないだろうし。
ともかく、動物の脂肪と、たしか灰を使ったはず。
それらを用意して、とにかく研究しかあるまい。
あとは病気についてだが、こればかりは話だけでは分からない。
病気になった子供が出たら、急いで連れてくるようにラメエルに言っておいた。
「風呂は毎日入ること!」
「毎日ですか!? 貴重な水をそんなに使うだなんて」
「大変だろうが、分かってくれ。それが病気にならないためのコツなんだ」
「体についた汚れが病気の原因なんですか?」
「厳密にはちょっと違うかな。実は、人間の目には見えないくらい、すごーく小さな生き物がいてね。そいつが病気の原因だ」
細菌はともかく、ウイルスは生き物とは言い切れないんだが、まぁ細けぇこたぁいいんだよ。
「目に見えない……私の体にもいるんでしょうか?」
「もちろんいる。けれど、全部が病気の原因ではないんだ。生きていくのに必要なものもいる。種類がたくさんいるんだ。例えば、そのミソもその小さな生き物の力でできているんだよ」
「ではミソは、その小さな生き物の死骸の塊なんですか?」
「そうじゃない。その小さな生き物、細菌っていうんだが、それは数を増やすという性質がある。人間が子を生むのと一緒だ。そうすると有機物に変化が起きるんだな。そうして出来たもののうち、人間に有害な場合は腐敗、有益な場合は発酵という」
子供に教えるように優しく言っている、ように見えるかもしれないが、俺も漫画で読んだ知識の受け売りでしかない。
ホント、学生時代にもっと勉強しておくんだった。
「で、そういう中には生きている者に入って数を増やすのもいる。そのうち有害なものが病気というわけ。他の生き物から伝染ることもあるからね。野生の生き物はむやみに触れないほうがいい」
蚊やネズミをイメージして言っているが、それと似たような生き物がここにもいるかもしれない。
一応、俺はカビや細菌などの小さな生命でも“感覚共有”することは可能だ。
だが、あまりに小さすぎると意味がないというか、何も感じないし、何もすることができない。
それらも懸命に生きているわけで、人間に害があるとか無いとかで分けるというのも違う気がする。
そんな考えを持つのも、俺がもはや人間じゃないからだろうか?
帰っていくラメエルを見送ったあと、アキレトは心配そうに俺を見た。
「大丈夫でしょうか? 人間がこれ以上増えることになっては、我らにも害が及ぶかもしれません」
「んー、そうならないよう、がんばろう」
「サトゥーレント様は人間にお優しすぎます」
「エルフのことだってちゃんと考えているぞ。あ、さっきの風呂だのなんだの言う話はエルフも一緒だからな?」
「えっ!」
驚いた顔をしたとおもったら、アキレとは自分の鼻に腕をあて、かぎはじめた。
「私、臭いますか?」
「ちっ、違う違う! そうじゃなくて!」
そういえば、エルフもたまに水浴びしているくらいの衛生観念だが、体臭はあまりない。
エルフは汗をかかないのだろうか? それとも俺が臭いに慣れてしまっているのか?
まだまだ研究しなければならないことばたくさんあるようだ。幸い、時間はいくらでもある。
こればかりは木に生まれて良かったと思う。
※※※
それから十数年。
死亡率の下がった人間たちは順調に数を増やしていった。
ラメエルはその功績が評価され、かなり出世したそうだ。
都で要職についたという話だ。忙しいのか、しばらく森には顔を見せなかった。
しかし、そのラメエルがなぜかまたやってきたという連絡がきた。
何か重大な話があるという。俺は嫌な予感がしつつ、祠に“顕現”した。
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