第13話 人間の文化

「いけません! サトゥーレント様!」


 アキレトは慌てた様子で俺の箸を持つ手をわっしと掴んだ。


「ちょちょちょ! どうした?」

「卵を生で食べるだなんて、お腹を壊します!」

「あ、そっか」


 そりゃそうよな。

 この世界でもサルモネラ菌みたいなもんがあるんだろう。

 とはいえエルフは細菌なんて知らないだろうから、生は危険、という知識だけあるんだろう。


「心配いらないよ。俺は人間の病気を治しただろ? 自分だって治せるんだよ」

「そういえば……本当に、大丈夫なのですか?」


 アキレトの目にうっすら涙が浮かんでいるのに気づいた。

 本心から心配してくれているんだろう。だがそれには及ばん。


「もちろん。でもエルフは真似しちゃダメだからな?」

「はい!」


 炊きたてごはんの上に卵を割ってかける。

 箸でぐるぐるとかき混ぜる。

 濃い黄色と白がマーブル模様を描き、やがてふわふわの黄色い泡ができあがる。

 何千年ぶりのTKG(卵かけご飯)だ!

 そのとき、俺は重大なことに気づき、手をピタリと止めた。


「はっ! 醤油がない!」


 なんてことだ。

 米を精米し、白米にする方法を見つけた俺は、テンションが上りすぎていたようだ。

 肝心なことを忘れていたとは。醤油のないTKGなんて。時速160キロの球が投げられるピッチャーがいるのにそれを取れるキャッチャーがいないようなもんだぞ!

 こうなりゃ塩でもなんでもいい。味をくれ!


「アキレト。エルフはどんな調味料を使ってるんだ?」

「調味料とはなんでしょう?」

「料理に味をつけるものだよ」

「味? 味ならそのままでついていると思いますが」

「なんと。塩もないのか?」

「塩? いえ、そのようなものは存じません」


 ぐぬうう。エルフ達は素材の味そのものを楽しんでいたのか。

 生まれたときからそういう食生活に慣れていれば気にならんのだろう。


「人間は? 人間たちはどうしているんだ!?」

「さあ? それは存じません」


 なんと冷え切った表情をするんだお前は。

 沸騰したお湯が一瞬で凍りそうだ。

 それほど興味がないということが、ありありと伝わってくる。


「僕が見てきてあげよっか?」

「うわっ! エステルか!」

「さっきからいたでしょ。なんで驚いてんの」

「いたのは知ってるけど、いつ“顕現”したんだよ」

「サトゥーレントが美味しいものに夢中で気づかなかっただけじゃん」


 耳元で急に喋るからびっくりしたわ。

 真隣には“妖精スタイル”のエステルがいた。

 妖精スタイルとは、俺が命名し、エステルにお願いしたものである。小さな人間の姿は今まで通りだが、半透明の蝶のような羽を二枚、背中につけてもらった。

 そんなもん無くても飛べるんだが、このほうが妖精っぽいし。


「そんな遠くまで行けるのか?」

「もちろん。精霊ならそんなのひとっ飛びだよ」

「そうだったのか。俺はここから動けんからな、お願いしていいか?」

「もちろん!」


 ※※※


 二日後、エステルが戻ってきた。

 ここから一番近い村までは、人間の足なら一日以上かかるだろう、とのことだった。


「ま、僕ならすぐだけどね」

「の割に、二日も何してたんだ?」

「いろいろ珍しくてさー。人間たちの生活も変化してるね」


 何年も同じような暮らしぶりのエルフと比べ、人間の文化レベルの成長は早いようだ。

 それは人間が弱い種族だからこそなのかもしれない。


「見物してて遅くなったってことか? まあ良い。それで調味料は何を使ってた?」

「なんか黒い水を使ってた。“ニョグム”って呼ばれてたよ」

「どうやって作ってた?」

「そこ! それを調べるのに時間がかかったってわけ。遊んでたと思われたら心外だなぁ」


 なるほど。そこまで見越して調べてきてくれたのか。

 この精霊、なかなか仕事ができる。


「なんかねぇ。魚を使ってた。ツボの中に白い粉と一緒に入れて、しばらくほっとくみたい」

「魚醤か! この際、それでもいいや」


 魚を使った醤油に似た調味料、それが魚醤だ。

 ということは知っているが、製法までは知らなかった。


「しかし、魚は湖や川魚で代用できるかもだが、問題は白い粉だな。それはたぶん、塩だろう」

「塩ですか。以前、おっしゃっていたものですね。どこで取れるのですか?」

「人間たちは海水から作っているんだろうなぁ」

「海、ですか。私はこれまで見たことがありません」

「うん。ここからは遠いからね」

「湖より、もっと大きいと聞いたことがあります」

「俺もこの世界のものは知らないけど、湖なんて比べ物にならないくらい大きいよ。あと、塩が溶け込んでいるからしょっぱいんだ」

「しょっぱい……」


 アキレトはあごに曲げた人差し指をあて、なにやら考え込んでいる。


「何か思い当たる節でもあるのか?」

「父が言っていたのですが、山の方に味のある石というものがあるそうなんです。動物たちが舐めているのを見て、ある者が試しに舐めてみたところ、舌が痺れるような不思議な味がしたとか……」

「味のある石……岩塩か?」

「私には分かりかねますが……」


 俺も詳しくはないが、もともと海だった場所が地殻変動などで陸地になると、そこで結晶化した塩が取れるとか聞いたことがある。

 俺はさっそくアキレトに指示し、エルフに捜索隊を結成させ、岩塩採取の旅へと向かわせたのだった。

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