第10話 スイエルという人間
年は十歳くらいだろうか。
先程まで泣いていたので目を赤くし、目蓋を腫らしてるが、今は落ち着き、しっかりとこちらを見据えている。
こうして見ると、なかなか利発そうな子だ。
「んじゃ、スイエル。あとでちゃんとお家まで送ってあげるからね。このエルフのお姉ちゃんの言うことをちゃんと聞くんだよ?」
スイエルは大きく一つうなずいた。
そして、予想外のことを言った。
「お腹すいた」
「ぶっ! あはは! そうだよなぁ。アキレト、なにか食べるものは持ってる?」
「非常食ならございますが……」
アキレトはいかにも嫌そうな顔をしている。
食べ物をケチっているというより、相手が人間だから渋っているのだろう。
「それ、食べたい」
スイエルが指したのは、目の前の供物だ。
なるほど、こりゃちょうどいい。
「おお。いいぞ、どれが食べたい?」
「お待ちを! それはサトゥーレント様への……」
「だったら、俺がどうしようと勝手だよな?」
「ぐっ!」
アキレトはますます顔を歪めた。
あんまいじめてやるのも可哀想だ。このへんにしといたるか。
しっかし、煽るわけじゃないだろうが、スイエルは選んだ赤い実を、実に美味そうに頬張った。
アキレトは苦虫を噛み潰したような顔でそれを見ている。
「美味いか?」
「うん!」
「うん、ではない。はい、だ!」
「こら、アキレト。まだ子供なんだからいいだろう」
「僕も、僕ら上位種に対する口の聞き方は気をつけるべきだと思うよ?」
「上位種って……エステルもいい加減にしろよ?」
「なんでだよー。サトゥーレントは甘すぎるよ」
「上も下もない。すべての存在は平等だ。二人とも、それを忘れるな」
しかし二人は納得いかない様子だ。
どうしたもんかね?
実を食べ終わったスイエルは指を舐めながら言った。
「おじちゃんは神様なの?」
「おじちゃん……」
おかしいなぁ。今の見た目はあのイケメン俳優と同じはず。あの人、確か二十代だったはずだ。
それでも子供から見たらおじさんってことか。
「無礼だぞ! サトゥーレント様とお呼びしろ!」
「さ、さとーれんとさま」
「まだちっちゃいから言いにくいんだろ。呼び方なんてなんでも構わん」
ちょっとだけ傷ついたけど、それは言わんとこう。相手は子どもだ。
「俺は神様ではないよ。ただの木だ」
「木? 木って、そのへんに生えているヤツ?」
「そうそう。その木だよ」
「ちっがーう! サトゥーレント様は木は木でも、ただの木ではない! この大森林の主だ!」
「あるじ? ってなぁに?」
「主とは……なんだ、この森の……神、か」
「やっぱり神様なの?」
「アキレト、ややこしくなるからしばらく黙ってろ」
「ぐっ」
アキレトも悪いやつじゃないんだが、真面目すぎるとこが短所っていうか。
「神様なら、お空をびゅーって飛べる?」
「うーん、そうだなぁ。俺は飛べないけど、鳥さんの目を借りれば、空からの景色も見えるぞ」
「えー! すごい! それじゃ、お父さんの病気も治せる?」
「スイエルのお父さんは病気なのか?」
「うん。そのせいで、ずっと寝てるんだって。お母さんが働いてて、わたしもがんばって、お手伝いしてるんだ」
「そうか。えらいぞ。しかし、病気か。アキレトは知ってたのか?」
「いえ。そこまでは。しかし、それゆえに一人でいたのでしょう」
「なるほど、父親は寝てるし、母親は仕事中。その隙を狙ったってわけだな。アキレト、すまんが父親がなんの病気なのか、見てきてくれ」
「なぜそんなことを?」
「今回のわびを兼ねて、治せるものなら治してやろうと思ってな」
「しかし、サトゥーレント様とはいえど、人間の治癒は可能なのでしょうか? い、いえ! もちろんこれは、侮辱する意味ではなく、私もサトゥーレント様が人を治療するところを見たことが無いので……」
「気にすんな。当然の疑問だ。実は、俺も確信はない。でも今ならできそうな気がしてるんだよ」
それは、この肉体の具現化ができたことによる、一つの仮定にすぎない。
ひょっとしたら、これを応用すれば肉体の異常な部分を再生できるかも、そう思ったのだ。試してみる価値はあるはず。
「エルフの力で治療できそうならやってもらってもいい。ダメそうならここまで連れてきてくれるか?」
※※※
十二後日。祠には担架に乗せられ、若い男エルフ二人によって運び込まれたスイエルの父がいた。
付き添いで来たスイエルも心配そうに俺を見上げている。
アキレトも見張りに来ていた。人間がここにいる、ということが不安らしい。
「よし。ではやってみよう」
俺は木に戻った。人間としての俺の姿が、まるで水蒸気のように空気中に溶けて消えたので、エルフたちは驚きの声を上げた。
そうしてからスイエルの父と“同化”した。この“同化”とは“感覚共有”のさらに一段上のものだ。違いは体のコントロールも得られるというところだ。ただし一度に一体だけという制限がある。
おお、なるほど。たしかに体の内側から痛みを感じる。
これはたぶん、肝臓だな。
医学知識はまるでないが、これを正常な状態にすることをイメージしてみよう。“人間化”を肝臓だけする、という感じだ。
だんだん、痛みが引いていく。
これは成功したみたいだぞ。
痛みが引いたところで俺は彼から離れ、また人の姿になった。
「これで多分大丈夫だろう。具合はどうだ?」
さっきまでぐったりしていた彼は、すっかり良くなった体が信じられないというように、あちこち触っている。
「はい! 嘘みたいに痛みが引いてやす!」
「それは何より。ところで、お酒はどれくらい飲む?」
この時代だ。酒が体に悪いということも知らない可能性がある。彼はまだ三十代くらいの若さだが、飲み方によっては肝臓を悪くしても不思議はない。
「こうなってからはまったくでやすが、以前は毎日、ぶっ倒れるまで飲んでやした」
「それだ、それ! 酒は体に悪いんだ。今後は娘のためにも飲むんじゃないぞ」
「もう、こんな病気になるのはまっぴらでさ。必ず、お約束はお守りしやす!」
スイエル親子は、ペコペコと頭を何度も下げ、帰っていった。
うんうん。いい事した後は気持ちがいいなぁ!
しかしこれが後に大変な事態を巻き起こすとは、このときの俺は予想もしていなかったのだ。
※※※
数日後、祠にいるアキレトから連絡があった。
「サトゥーレント様! 緊急事態です! 人間が攻めてきました!」
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