一章
第5話 佐藤蓮斗
佐藤
それが俺の前世での名だ。
日本に生まれ、日本で育った。
これと言って特筆すべきことのない、ごく普通の一般人にすぎない。
小さな頃から大人しく、友達は少なかった。
存在感が薄く、母曰く、幼稚園の先生ですら名前を忘れてしまうことがあったそうだ。
その象徴的な出来事といえば、お遊戯会の件である。
俺の組はお芝居をやることになっていた。
昔は端役というものがあったらしい。俺らの世代では「そのような差別的なものは無くそう」という思想になっていた。すべての子供に名前のある役が与えられ、セリフが充てられた。
だがそこで、俺の存在感の薄さが発揮されてしまったのだ。
なんと、披露する当日まで、俺に役が無いことに、誰も気がついていなかったのだ。
もちろん、自分では気づいていた。しかし、その頃から俺は目立つことが苦手だった。
人前で大声でセリフを言う。そんなことするくらいなら、このまま役割なしで終えてしまったほうがいいと思っていたのだ。
しかし運悪く、直前になって先生に気づかれてしまった。
すでに時遅く、練習する時間はない。
そこで先生が考え出した苦肉の策は、俺に木の役をやらせることだった。
木だからセリフはない。動きもない。ただ舞台に立っていればいい。
その代わり、出番は一番長い。ずっと舞台上にいるのだから当然だ。
俺からすれば、それだけ恥を晒している時間が長引くだけなのだが、先生はそれがせめてもの償いだと思ったらしい。
俺は立派に、木の役を務めた。
そこにずっと居るのに、まるでその存在を感じさせなかったという。
ある意味、完璧に木になっていた。
驚くべきことに、実の親ですら、そこに俺がいることを忘れてしまったらしい。
それほどまでに存在を消す才能に、親も驚くと同時に呆れてしまっていた。
先生に苦情の一つでも入れようと思っていたそうだが、そんな気も失せてしまったらしい。
俺もそんなことで妙な騒ぎを起こしてほしくはない。
その判断は好都合だった。
とにかく、目立ちたくなかったんだ。
誰かに見られる、注目されている、そう意識すると心臓の鼓動が早くなり、手のひらに汗をかいた。
何かがきっかけでそうなったというより、生まれつきそんな性格だったのだと思う。
そんな人から意識されない能力、とでもいうべきものは小学生になっても依然として効果があった。
お遊戯会は学芸会と名を変え、お芝居も少しは本格的になった。
役はきちんと与えられ、村人Aのような役名のない端役も存在するようになった。
だが、俺は相変わらず木の役になった。
というのもクラスメイトであり、幼稚園から一緒だった佐藤くんが、俺の木の役がいかに見事だったかを力説したからである。
佐藤がそこまで言うなら、ということで俺は見事、木の役に決定した。
俺としても、セリフや動きが無い木は楽だし、文句は無かった
この木の役は大好評、とはならなかった。
というより、誰の記憶にも残らなかった。ただのセットと思われていたのだ。
それは、俺にとっては大成功と言えた。
高校では文化祭というものが行われた。
我がクラスは、なんと演劇をやるという。
俺は裏方を希望した。
セットや小道具を作る役だ。
表舞台に立つなんて、まっぴらごめんである。
ところが何の因果か、ここでまたしても木の役をやることになったのである。
演劇ともなれば、木の役などという意味の無い役は存在しない……はずだった。
だが、芝居の途中で演者に小道具を渡す役目が必要となったのだ。流れ上、袖に帰るのは不格好、ということで黒子を使おうか、という話になったのだが、黒子の衣装というものが存在せず、用意するとなると予算オーバーになってしまう、という問題に陥ってしまった。
ここで誰かが出したアイデアが、木の役を用意するというものだったのである。
そして、小道具係であった俺が、木の役兼、小道具を手渡しする役目を仰せつかったわけである。
俺はここでも見事に人間として認識されることなく、木をやりきった。
大学へ進学したとき、世の中では大変な問題が起こった。
帝国を自称する侵略国家が戦争を起こしたのだ。
それは、はじめは日本には無関係に思われていた。
俺も平和な日本が戦火に巻き込まれるなどと想像もせず、呑気に大学生活を送っていた。
隣国まで迫ってきていた帝国がついに日本に侵攻してきた、そのようなニュースが報道されてから国内も大きく変わってしまった。
気づけば、俺たちの日常は無くなっていた。
瓦礫と化した建物に、血と火薬の匂いに、生命活動を終えてしまった人間に、俺たちは慣れていってしまう。
最初は流れていた涙も、いつしか枯れ果ててしまった。
そして、何がどうなったのやら、俺は死んだらしい。
らしい、というのは、その瞬間の記憶がないからである。
気づけば俺は、真っ暗で何も見えず、何の音もしない静寂な空間にいた。
動くこともできなかったが、特にそれを不便とも思わなかった。
動こうという気も起きなかったのだ。
ただ日々、自分を大きくしよう、しなければならない、そういう目的と使命感のみがあった。
誰かから言われたわけでもなく、自らの奥底から湧いてくるような欲求だった。
それが生きるということだったのかもしれない。
そんな状態が百年以上続いたある日、転機が訪れたのだった。
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