第4話 精霊の力

 ラメエルは心臓の鼓動を抑えようとしているのか、胸に右手を置いている。その手は激しく震えていた。落ち着け、と言い聞かせるようにその手で服を握りしめる。


「サトゥーレント様! またお会いすることはできますか!?」


 その意外な発言に、サトゥーレントも驚き、目を見開いた。

 この小柄な、二十歳そこそこに見える女の子のどこに、そんな度胸が秘められているのか。


「やれやれ。森の危険は分かったろうに、すごい勇気だね。でもその調子じゃ本当に死ぬよ?」

「引け、人間ども。命あるうちにな。貴様らなど、ここでは一日すら生きのびられまい」

「アキレト、あんまり脅してやるな」

(いや、僕もアキレトと同意見だね)


 人間たちはギョッとし、辺りを見回した。何者かの声が聞こえたからだ。

 聞こえた、とは正しい言い方ではなかった。脳に直接意思が届いた、そんな感じだった。


 次の瞬間、縛られていたハイイログマが、白い巨大な何かに包まれた。

 ブチブチと音を立て、拘束していたつるが引きちぎられる。

 巨大なそれから飛び出たハイイログマの二本の足は、みるみる上空へ持ち上げられていく。

 その両足が天の方を向いたと思った瞬間、それは白い山のように大きな何かの中に飲み込まれていった。


 白い山の先端がゆっくりと下を向いた。

 それは青い目が冷たく光る。全身を白い鱗で覆われたトカゲらしきものだった。

 しかしその大きさは周りの木々を超えていた。トカゲだとしても規格外だ。


 人間たちは木の洞のように口をぽかりと開けた。

 もはや、恐怖すら通り越し、放心してしまっていた。

 しかしサトゥーレントはさほど驚いていないようだ。


「あ……。何も食うことはないだろ。可哀想に」

「あれはまさか……オポウラ山に住まうという伝説のホワイトドラゴンじゃないか!? 実在したのか!」


 ガデイラが絞り出すように言うとラメエルは首を横に振った。


「ここは森ですよ。ホワイトドラゴンは山にいるはずでしょう?」

「あー、何ていうか、ホワイトドラゴンは俺の友だちのようなもんでな。森に来ることもあるんだ」


 イニアエスは持っていた剣を落とし、ガデイラにしがみついた。


「か、帰ろう! ガデイラ! ホワイトドラゴンだと? こんなもん、命がいくつあっても足りねぇ!」

「分かった。お前がそう言うなら今日は帰ろう。ラメエルもいいな?」

「で、でも! サトゥーレント様! 先程のお願い、聞いていただけますか!?」

「貴様! いい加減に――」言いかけたアキレトをサトゥーレントが手で制した。

「分かったよ。これを見てもそう言うなら、もう何を言っても無駄だろう。だけど約束してくれ。人間たちはエルフと仲良くすること。それと、森の資源は必要以上に持ってかないこと。狩りも生態系を壊さないように、ほどほどにね。言うまでもなく、森の奥は危険だから入らないこと!」

「サトゥーレント様のお言葉、しかと他の人間どもに伝えよ」


 アキレトが、まるで教師が生徒に指導するように言うと、ラメエルはヘッドバンキングかのように激しく首を縦に振った。


「いや、アキレトもその人間を下に見るような物言いをやめろ」

「しかしっ!」

「しかしじゃない!」

「うっ。かしこまりました」


 ほうほうの体で帰っていく人間たちに、サトゥーレントはひらひらと手を振った。


(さっきも言ったけどさぁ。僕も人間は嫌いだなぁ。生意気だよ。その点、エルフは自分の立場が分かってていいよね)

「ありがとうございます。我らが平穏に生きられるのも、サトゥーレント様はもちろんのこと、エステル様をはじめとする精霊様のおかげです」

「俺なんて、別に偉くもなんともないよ。ただの木だ。エステルにもいつも言ってるだろ。ほら、そろそろ戻れ」


 ホワイトドラゴンは、白い光を放ったと思うと徐々に小さくなっていった。

 一点に集中した光は、サトゥーレントの顔の前にまでくると、その姿を背中から蝶のような羽根を生やした少女に変えた。

 身長はサトゥーレントの顔と同じくらいしかない。長い緑色の髪が特徴的だ。

 少女はエメラルドのように輝く緑の目でウインクしてみせた。


「僕もいつも言ってるじゃない。僕らは動物より上位の存在なんだって」

「俺もいつも言ってるだろ。この世界にいるもの同士、上も下も無いって」

「えーっ。だって動物なんて、寿命はあるし、食べなきゃ生きていけないんだよ?」

「じゃあハイイログマを食ってやるなよ。無駄な殺生だろ」

「あれは脅かすためでしょ。あれくらいやらなきゃ、また入ってくるよ! それでもまた会いたいなんて言ってるんだし」

「それが人間の好奇心ってやつだ。言っとくが、俺だってもともとは人間だったんだぞ」

「えー? サトゥーレントは違うよぉ。僕たちと一緒だよ」


 はぁー。

 このやりとり、もう何度目だろうか。

 俺だって、前世は人間だったんだ。

 愚かな人類め、てな具合に下に見られるわけがないだろう。


 そう。前は普通の人間だったんだ。

 ある日、気がついたらこの世界にいた。しかも、木として。

 生まれ変わり、というより違う世界に来たので異世界転生ってやつだろうか。


 この世界。

 ここがどこなのか、俺はいまだ知らない。

 広い宇宙のどこか別の星かもしれない。

 ひょっとしたら、全て俺の頭の中で見ている夢、なんてこともありうる。

 それにしてはあまりにリアルだが。


 ここにはまだ、豊かな自然がある。

 人間の文明もまだ始まったばかりだ。

 人間だけではない。エルフもいる。前世には想像上の種族だったが、ここでは実在する。そして人間嫌いときている。

 彼らが争うこと無く、手を取り合って生きていける。そんな世界を作りたい。

 人間同士ですら争いを止められなかった、前世の世界のようにはしたくはない。


 ただの大きな木である俺が、どこまでできるかわからない。

 身に余る願望かもしれん。

 しかし、できる限りのことはやるつもりだ。


 そもそもただの木である俺がなぜこんなことになっているのか。

 まずはその話をしなければなるまい。

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