第3話 大森林の主

 ラメエルは恐る恐る、森の精の顔を覗き込んだ。


「あの、森の精さん」

「……へ? 森の精って俺のこと?」

「そうですよ! ご自分で森の精って言ったのに忘れたんですか!?」

「そうだっけ? あっはは。一応、みんなからはサトゥーレントって呼ばれてるよ」

「ではサトゥーレントさん。さっき斬られたのに、なんでそんなにピンピンしてるんですか?」


 ピンピンどころではない。

 斬られた痕跡がまったくない。衣服も元通りだ。


「ああ。あんなもん、俺からしたら毛を一本切られた程度でしかないからねぇ」

「毛? どういう意味です?」

「それより先に、アレをなんとかしようか」


 サトゥーレントの視線の先には、灰色の塊があった。

 木々の間にあるそれは、巨大な岩に毛が生えたもののように見えた。


「アレは……?」

「俺はハイイログマって呼んでる。灰色でクマっぽいからさ。あ、クマって言っても分からないか」

「クマという動物ですか?」

「そうそう。ちなみに、匂いでもうとっくに気づかれてるからね」

「え? それじゃ、これ以上近寄らない方がいいですか?」


 ハイイログマまではまだおよそ50メートルはある。

 地面は歩きやすいとは言えないが、今引き返せば安全に逃げられるはずだ。


「それがさぁ、ハイイログマってあのデカさで足は早いんだよ」

「ということは……」

「あ、こっちくるぞ」


 さっきまで毛の生えた岩だったものが、むくむくと上に伸びていく。

 そのもっとも伸びた部分が、くるりと回るとこちらを向いた。

 そこにはルビーのように真っ赤な二つの目が光っていた。その下にある、同様に真っ赤な口を大きく開いた。その大きさたるや、人間の子ども程度なら一飲みにできそうなほどだ。


『ウオオオオオオオオ!』


 その咆哮は聞くものの全身を震わせ、全身の毛を逆立たせた。

 ラメエル以外の四人は一斉に武器を構えた。

 ラメエルも慌てて護身用のナイフを抜いたが、その程度の刃物ではハイイログマにかすり傷しか負わせられないだろう。


 ハイイログマは完全に振り返り、黒い爪が鈍く光る前足を地面につくと、信じられないスピードで向かってきた。

 太い木の根、岩、そのようなものを足場とし、飛び移るように移動してくる。

 あっという間にラメエルの目の前に来たハイイログマは、伸び上がり、右手を高々と上げた。

 そのとき、ラメエルとハイイログマの間に黒い影が入り込んだ。戦斧を構えたアールマティだ。

 彼も2メートルを超える大男だが、伸びたハイイログマの腕の先は、その倍以上の高さにあった。

 手の先から伸びている四本の爪は一本一本がまるで黒く光る草刈り鎌のようだ。


 アールマティの脳裏には、爪によって引き裂かれる自分の革鎧、そこから吹き出す熟成された赤ワインのような鮮血のイメージがくっきりと浮かんだ。

 死の恐怖。それは冒険者という家業をしていれば、一度ならず経験するものだ。

 今回のそれは過去一番だ。この負け知らずの戦士が、思わず両目をきつく結んでしまったほどである。


 だが、来るはずの衝撃がない。

 アールマティはゆっくり目を開けた。

 そこには、宙に大の字になって浮かぶハイイログマの姿があった。

 その両手には木のつるが巻き付いている。それはハイイログマの四肢を左右にきつく引っ張っているらしい。

 口も閉じられないようにつるが巻き付き、そのせいで声を上げることもできないらしい。隙間から唸り声と荒い息が漏れ出している。


「な、危ないだろ?」


 ドシンと大きな音がした。アールマティが後ろによろめき、大きな尻を地面に打ちつけたからだ。

 その音で、しばし呆然としていたガデイラが気を取り直した。

 恐怖と畏怖を含んだ視線をサトゥーレントへ向ける。


「これ、あんたがやったのか?」

「そうだよ――あっ、待て! アキレト!」

「いい加減にしろ。この薄汚い人間め」


 女の声がした。ガデイラがそちらを見ると、金髪のエルフが弓を自分へ向け引いているのが見えた。


「エ、エルフ!? いつの間に?」

「サトゥーレント様の御前だぞ。身の程をわきまえろ」

「止めろアキレト。弓を下ろせ」

「しかし、この者共の数々の無礼、もはや許せません」

「いいから! ったく。人間と仲良くしてくれって、いつも言ってるだろう」

「あ、あなたがたはいったい、何者なのですか?」


 ラメエルがサトゥーレントに向かって言う。勇気を振り絞ったのだろう、目には涙が浮かぶ

 アキレトは彼女を睨みつけた。


「このお方はこの大森林の主。サトゥーレント様だ。私はただのエルフだ」

「大森林の主……」


 彼女は改めてサトゥーレントの姿を見てみる。

 あまり見ない顔立ちではあるが、人間にしか見えない。


「木のつるを操ったのは、どういうお力なんですか?」

「力も何も、君たちが手足を動かすのと一緒だよ。この森は俺だからね」

「では、そのお姿は? 人間のように見えますが」

「そりゃ人間の姿をしたほうが、君たちも驚かないだろ? おっと、ハイイログマもそろそろ限界だ。放さなきゃいけないから、君たちも今日は帰りな。ハイイログマが尻尾を巻いて逃げ出すような生き物が、この奥にはウヨウヨいるんだからね」

「あ、アレ以上のもんがいるってのか!?」


 イニアエスは驚きすぎて手にしていた剣を落とした。


「ああ。コイツなんて可愛いもんだよ」


 サトゥーレントは後ろでうめいているハイイログマを親指で指した。


「その前に、一つお願いがあります!」


 ラメエルのこれまでより一層大きな声に、一同の視線が集中した。

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