第2話 五人の人間

 アルメンは額に汗しながら片手に持った鎌で草を刈った。

 ここには獣道すら見当たらない。少し進むだけでも困難を極めた。


「本当にこっちであってるんだろうな? 学者さんよ」


 そんな疑問が湧くのも無理のない話だった。

 一行で唯一の女性、ラメエルは指先から糸を垂らした。先についた針がふらふらと揺れている。どうやら簡単な方位磁針のようだ。


「方角はあっているはずです」


 森に入ってすでに二週間がたとうとしていた。

 物資にまだ余裕はあるものの、そろそろ引き返すという判断をすべきではないか? そういう空気が一行の間に流れていた。

 そんな重苦しさを振り払うかのように、リーダーであるガデイラは言う。


「しかし、ここまで到達したのは俺らが初めてだろうな」


 伝説によれば、ここはすでに神の領域である。

 それらは古い言い伝えによって伝承されてきたが、実際に踏み込んだという実体験は誰も聞いたことがない。


「それは分からんぞ。森へ入ったまま帰ってこない者も多いんだ。ひょっとしたらもっと奥に行ったヤツもいるかもしれん」


 イニアエスの言葉にガデイラは肩をすくめた。

 悲観的な男だ、とも思うが、彼のそういう考えが皆の命を救ったことは一度や二度ではない。

 その時、一行の足元の地面が揺れた。細い木々が火薬が爆ぜるような乾いた音を立てて折れる。

 五人の中でも一番の大男、アールマティが邪魔な大岩を転がしてどけたのだ。


「……そろそろ休む」


 普段無口な彼が言葉を発した。それは事の重要性を表していた。

 疲れたという程度ならいいが、今のでどこか痛めたのかもしれない。

 ガデイラは一つ手を叩いた。全員の意識を向けるためだ。


「よし。少し休憩しよう」


 ちょうど小腹が減ったところだった。

 アルメンは待ってましたとばかりにテキパキと用意をはじめた。

 幸いにも、森には食料が豊富にあった。不足したことはない。


 注意すべきは危険な動物だろう。

 イニアエスは常に警戒を怠らない。生来の性格もあったろうが、彼の異常を察知する能力は特筆すべきものがあった。

 一行もそれを信頼していた。

 それなのに、その存在はすでに彼らの中心にいたのである。


「やあ。何してるんだ?」


 ガデイラは背負っていた剣を迷わず抜いた。


 ――ありえん。


 背中に大量の汗が生じ、衣服の色を濃く変えた。

 イニアエスはもちろんだが、この五人の誰一人にも気づかれず、この距離に入られるなど、ありえないことだった。

 しかも、見たところ人間だ。

 見たことのない奇妙な服装をしているが、言葉を話している。

 黒い髪に黒い目。異国の者だろうか。

 森の奥では何が起きるか分からない、ガデイラは口癖のように言い続けてきたが、この事態は彼の予想の範疇を超えていた。


「誰だ!?」

「びっくりさせちゃったか。スマン――」

「イニアエス!?」


 有無を言わさずイニアエスが斬りかかったので、ガデイラは度肝を抜かれた。

 彼の目は血走り、肩で呼吸をしている。額には大量の汗が水滴となって貼りついていた。

 剣を振り下ろし、謎の男の右肩から左脇腹にかけ、背中を斜めに切りつけた。

 これは助かるまいと誰もが思った。


「いやいや、まずは話を聞いてよ」

「ひっ! なっ、何なんだてめぇ!」


 確かに切ったはずなのに、傷はどこにもない。謎の男は何事も無かったかのように振り返った。反撃されると思ったラメエルは悲鳴を上げてその場に尻餅をついた。

 イニアエスの顔からは血の気が引き、病人のように真っ青だった。


「何って? んー、なんて言うべきかなぁ。神……的な?」

「神、だと?」ガデイラはなんとか言葉を発したが、歯がカチカチと音を立てている。

「そりゃ言い過ぎかぁ。あはは! まぁ、人間じゃないよ。森の精とでも言っておこうか。ちょっと大森林を代表して、忠告しにきたんだ。この先は危ないから入らないほうがいいよー、ってね」

「危ない? そんなことは承知の上だ。俺たちの腕ならば問題ない」

「そうかな? 俺にこんなに近付かれても気づかなかったのに?」


 ガデイラは言葉をつまらせた。


「で、でも! 知りたいんです! この先に何があるのか」


 珍しくラメエルが大きな声を出したので、一行の視線が彼女に集まった。

 そうしつつも視線の端に森の精を捉え続けたままでいるところが、彼らの経験豊富さを物語っている。


「別に、君らにとって価値のある物なんて何もないよ」

「物を求めているんじゃないんです。知りたいんです! どのような植物があって、どのような生き物がいて……そういうことをです」

「ほう。面白いねぇ、君。しかしその好奇心が身を滅ぼすかもよ?」

「例えそうなっても……知らないことがあることは許せないんです。それにすでに、あなたのような未知の存在を知ってしまったら、なおさら」


 自称、森の精は声を出して笑った。


「あはは。そっか、そっか。そんな人間も出てくるころあいか。君たちは彼女の護衛ってとこかな?」


 一行は無言を返した。


「うーん。命がけで知的欲求を満たすか、それが人間のさがなのかもね。そうかそうか」


 森の精はうなずきながら、腕を組み、何かを考えている様子だった。


「よし。せっかくここまで来たんだ。ちょっとだけ森のことを教えてあげようかな」


 どうする?

 無言のうちに一行は目を合わせ、考えをまとめようとした。


「お願いします!」


 まだ結論が出ていないというのに、ラメエルが先走って返事をした。

 ガデイラは何かを諦めたように、深くため息した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る