第16話 迷宮都市ブレニッケの支配者(後編)

 商談が終わったことで、エルザは背もたれに体を預けた。


「元とはいえ貴族が相手だと、話が早くて助かりますわ……。聞いていた評判とだいぶ違いますが、ランストック伯爵に冷遇されていましたの?」


 ストレートに聞かれたことで、慎重に答える。


「いえ。伯爵からは相続できない養子縁組として保護され、孤児でありながらも過分な待遇をいただきました。別宅でも、貴族らしい食事でしたね。……ただ、どうにも力が弱く、伯爵のご期待に応えられず、放逐された次第」


 疑わしい目つきで、エルザは自分の髪をいじった。


「そう……。辺境伯家ならば、最前線でモンスターの餌? それに比べれば、ずいぶんと温情がありますわ。行き先も、本人に選ばせたぐらいですし。……領地に来る元貴族となれば、詳しく調査して当たり前ですわよ? それにしても、腕力だけが――」


 視線で合図をしたメイドを見たエルザは、指先で、来るように、と命じた。


 耳元で囁いたメイドに対して、頷く。


「構いません。ここへ案内しなさい」


 会釈をしたメイドは、足早に去っていく。



 やがて、応接間の大扉が開かれ、思わぬ人物が入ってきた。


 その男は、片足を後ろへ引き、片腕を胸の前で横にしつつも、その方向へ残った腕も伸ばす、貴族の挨拶をした後で、顔を上げる。


「お久しぶりです、エルザ嬢! 先触れもなく、訪問した無礼をお許し……なぜ、貴様が、ここにいる!?」


 ランストック伯爵家の次期当主、義理の兄だった、ギュンターだ。


 いや。

 俺のほうこそ、聞きたいぞ……。


 釣られて、ギュンターのほうを見たが、今はエルザに招かれた身だ。


 彼女に視線を戻したら、目が合う。


 クスリと笑い、エルザは座ったままで、ギュンターに向き直る。


「ごきげんよう、ランストック様……。こちらにいる御方は、あなたもご存じだと思いますが、ジン様ですわ! わたくしが招いたので、ご心配なく」


 暗に、お前は招かれざる客だと、揶揄やゆした。


 その意図を感じとり、憮然ぶぜんとした表情になるギュンター。


「執事やメイドもいるとはいえ、不用心ですよ? こいつは、もはや貴族ではなく、無頼のやから! エルザ嬢に何かあってからでは、遅いのです!」


 広げたおうぎで顔の下半分を隠しつつ、エルザは笑った。


「お気遣いいただき、ありがとうございます。もっとも、あなたに名前で呼ばれる覚えも、ございませんが……。ペルティエと、お呼びくださいませ」


 見るからに不機嫌なギュンターは、言い直す。


「失礼しました。ペルティエ嬢……。そろそろ、座りたいのですが?」


 乱入しておいて、この態度。


 自分の家が伯爵だから、子爵よりも偉い。と思っていそうだ。


 扇を下ろしたエルザは、壁際に立っている執事を呼ぶ。


「ジェロム!」


「はい、お嬢さま……」


 会釈した執事は、ギュンターに歩み寄り、仕草で案内した。


 ……俺たちから離れた、1人用の椅子に。


 明らかに、侮辱している。

 わざと怒らせているのだろう。


 案の定、ギュンターは怒気を隠さず、全身からオーラを発した。


「どういうことかな? ペルティエ子爵家は、ランストック伯爵家を敵に回すつもりか?」


 俺を睨みながら、言われてもな……。


 エルザは涼しい顔で、ギュンターを見た。


「そのようなおっしゃりよう、誠に遺憾ですわ……。ご覧の通り、今は別件の話し合いです。ランストック様が来られた以上、『忙しいから』とお引き取り願うのも失礼ではないか? と思っただけでございますわ」


 エルザ・ド・ペルティエの発言をまとめれば――


 呼んでもいないのに、お前が来たんだろ?

 こっちの都合で対応するから、待てないのなら、出直せ。


 貴族らしい、嫌みな対応だが、ギュンターは素直に帰るべきだ。

 今なら、体裁を繕ったまま、出直せる。


 けれど、奴はボッチ用の椅子から立ち上がって、叫ぶ。


「こんな奴は、話す価値もありません! 私は同じ貴族として、この場に来たのです!!」


 扇を膝の上に置いたエルザは、毅然きぜんと言い返す。


「でしたら、ご用件をどうぞ? わたくしの予定を中断するほどの内容であれば、良いのですが……」


(くだらない話だったら、ペルティエ子爵家として、お前の実家にクレームを入れるぞ? という脅しだな)


 そう思いつつ、ギュンターを見れば、奴は意気揚々と語り出す。


「もちろんです! ……ここに滞在させていただきたい!」


 理解しかねたのか、困惑した表情のエルザが、戸惑ったように聞き返す。


「ランストック様は、何を仰りたいので? ペルティエ子爵家があなたの滞在を拒んだ覚えは、全くございません」


 ひょっとしたら、自分の家族がギュンターに言ったのかもしれないと、エルザは思ったようで、ジェロムと呼んだ、老齢の執事のほうを見た。


 だが、彼も、心当たりがない、と言わんばかりの表情で、首を横に振る。

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