少女には宵の星を

春宮 絵里

夜宵と真昼

15歳のその夏、夜宵は突然私の前に現れて消えていった。

忘れられない。ずっと近くで見ていたかった。





◇ ◇ ◇ ◇ ◇





二学期の終業式、夏休みがいよいよ明日に迫っていて教室が浮き足立っていた。

「真昼は夏休み何するの?」

「私は親の手伝いでどこも出かけられないよぉ」

「あぁ、そっか別荘に来る人増えるもんね」

私、望月真昼の両親は別荘の管理人をやっている。

夏は繁忙期で旅行など土台無理な話だった。



その日の夜、私は友達とカフェでご飯を食べて、

自分の部屋で夏休みの宿題に手をつけたものの、テレビをつけてぼうっとしていた。

ここは避暑地として有名な土地。

ここのところ父も母も出ずっぱりで家には私一人でいることが多かった。

そう、つまり退屈していた。

別荘地が近い我が家は徒歩で海まで行ける。

プライベートビーチってやつだ。

海辺を散歩しよう。

お気に入りの白いノースリーブのワンピースに、月のネックレスをつけて、

スマホと小銭をポケットに入れて、白いミュールを履き、外に出た。

我ながら肌を白く、髪も茶けていて色素が薄いので似合う。

自分は綺麗だという自覚があった。



海岸はもうすっかり暗くなっていた。

濃い藍色の水平線を堤防の上から眺める。

この時間が私の1番好きな時間、波が寄せては返す、そんな時だった。

急に後ろから声をかけられた。

少女の声だ。私と同じくらいの歳の子の。

「だーれもいないと思ってた。あなた、名前は?」

振り返ると、月明かりに浮かび上がる美しい少女が私を見つめていた。

私はそのゾッとするような美しさに目が離せなかった。

息が止まるほど、瞬きも忘れるほど。

「望月真昼」私は震える声で名乗っていた。

「望月真昼、望月真昼ね」彼女は何度も私の名前を繰り返すと、突然海に向かって走り出した。

私は突然の行動に驚きつつも、彼女を追いかけた。

「ねえ!あんたの名前はなんて言うの!」

肩で息をしながら、海岸で足を止めた彼女に問いかけた。

「わたし?ふふ、夜宵だよ。」

夜宵の私と似たような形の、黒いワンピースの裾が揺れる。

夜に溶けているような黒髪。星がモチーフのネックレス。

青白い肌が目立つ夜に、夜宵の繊細な美貌が映えていた。

「夜宵、私…」

真昼の声を遮るように夜宵が近づいてくる。



「わたしはね、幽霊なの」夜宵はにやりと笑った。

この退屈が覆るような、そんな、匂いがした。





◇ ◇ ◇ ◇ ◇





あぁ変な子だ。美しい変な子なのだ。

私は試したくなった。

夜宵がちゃんと神秘的で不思議な少女なんだということを証明したくなったのだ。

「夜宵」

真昼は夜宵を呼び、子供みたいに笑った。

そのままなんの脈絡もなく飛び込むと、夜の海に飲み込まれた。

沈んでいく。5分くらい息を止めていると、何かが飛び込む気配を感じた。

思ったとおりだ。夜宵は幽霊の少女なのだ。

水中で目が合う。痛覚などはない。ただ二人が友だちになった瞬間だった。

顔を見合わせると水面に二人の少女が顔を出した。

「涼しいね。望月真昼」

「そうだね。生きているって実感できる」

「わたしは幽霊だもん。死んでるよ」

月明かりが水面を反射して、夜宵の周りが煌めいていた。

神秘的な姿を横目に、海の上でたわいのない話をした。

「スマホ、水没しちゃったなぁ」

真昼のポケットから出した携帯に、夜宵は一瞥しただけだった。

夜宵の青白くて不気味な肌を月明かりが照らしている。

この世のものではないものをのぞいている気分だった。

真昼は駆け寄り手を繋ぐ。

冷たいけど実感はある。

よかった夜宵は人間だ。

そう思いたい。思うことにした。



15歳、夏休みの1日目、海岸の月明かりの元で私は幽霊の少女と出会ったのだ。





◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「またね望月真昼、明日この時間この場所で」

夜宵は濡れた服のまま、こちらを一度も振り返らずに別荘地域に消えていった。

急速に色付き始めた世界に私の胸が震えている。

夜宵が、夜宵こそが私の渇きを埋めてくれるモノなのだと。



私は家に帰り、シャワーを浴びて、泥のように眠った。

新聞を片手にコーヒーを飲んでいた両親に、別荘のある地域に誰か来たか聞いてみた。

すると、東京から少女が別荘にやってきたという。

前にも言われていたようだが、ここは避暑地として有名な土地だし、特に私も気にしていなかった。

闘病のため、この澄んだ空気の避暑地に療養しにきたらしい。

絶望感が押し寄せてきた。そうか。

夜宵は普通の子なのだと、がっかりしていた。

色が褪せていく。

真昼の澄んだアンバーの瞳から涙がこぼれ落ちていた。

夜になると昨日と同じ服で家を出た。

もしかしたら、夢なのではないか。

私のことを覚えていないのではないか。

やっぱり人間だったのか。

そんな不安が頭をよぎっていった。





◇ ◇ ◇ ◇ ◇





私は重い足取りで海へ向かうと、予想に反して夜宵は堤防の上で海を眺めていた。

一枚の絵画のようなその姿に目を奪われる。

あぁ、彼女は。消えてしまいそうに儚い。

え?ほんとうに透けているようだ。

瞬きすると夜宵の姿が消えていた。

「望月真昼だ。人間だ。来ると思ってた」

夜宵は微笑をたたえながら、私の後ろに立っていた。

「あんた、やっぱり幽霊なんだね」

「そうだよ。幽霊なの」

「嘘つき。親から聞いた。あんた、桐生ってところの娘なのに、

生きているのに、人間なのに」

真昼の目から涙が浮かんでいた。

「違う、違うって、私は幽霊なの」

そう言って、夜宵は笑った。

真昼のワンピースが揺れて風が入れ替わる。

「そうか、そうだよね。あんたは幽霊だ」

真昼は堤防の上を寝転んだ。

「ねぇ、夜宵も見なよ。ほんとうに綺麗なの」

夜宵も真昼の隣に寝転んだ。

少女たちの瞳に映るのは満点の星空だった。

「ほんとうに、夢みたいに美しい眺め」

夜宵の感嘆の声に気をよくした私は、星座の蘊蓄を語った。

満月も私たちだけを照らしている。

一晩中二人は語り尽くし、自分たちにできないことは無い。

そんな無敵感が支配するような夜だった。

「望月真昼、わたし、しばらくこれそうにないの」

「どうして?」

真昼が目を見開いて聞くと夜宵が答えた。

「幽霊が地上にいられるのは三日だけだからなの、

しかも夜だけ」

「そっか……」

「望月真昼、また今日みたいな満月の日にここに来る。

そのときにわたしのほんとうの目的教えてあげる」

夜宵が今までに見たことのないような妖艶な笑みを浮かべて、海の中に飛び込んだ。

消えてしまう。私の、私の夜宵が。

後を追って海に飛び込むも夜宵の姿がない。

人間ではできることのないこと。

幽霊だから。

目頭が熱くなった。

「夜宵、あんた幽霊だったんだね」

私は家まで走って帰ると、28日後をカレンダーにマークした。





◇ ◇ ◇ ◇ ◇





今日は前の満月からほとんど1ヶ月経った満月の日。

日が暮れ始めると同時に海辺に向かった。

夜宵、夜宵。

逢える。今日。あんたに。

「夜宵いいい!」

真昼は今までの人生で一番大きな声を出した。

「望月真昼。ふふ、探してた?」

真昼が振り返る間もなく理解していた。

後ろに夜宵がいると。

「夜宵っ」

真昼は夜宵に抱き付き、涙を流した。

「望月真昼、星見よっか」

慈愛の笑みを浮かべた夜宵に頷いた。



堤防の上、少女二人が手を繋いで寝転んでいた。

「夜宵、あんたは幽霊なの?」

「そうだよ。幽霊なの」

「そっかぁ、そっか!」

真昼は夜宵に晴れやかな笑顔を向けた。

「ほんとうはね、友だちを探していたの。本当の友だちよ。普通じゃだめ。

生前の願い通り、ほんとうの友だち」

夜宵の伏せられた目、長いまつ毛が震えている。

肌が透き通っている。そう、消え始めている。

「願いが叶うとどうなるの?」

真昼は何となく勘づきながらも尋ねずにはいられなかった。

「成仏するのよ、もうお別れね。望月真昼」

「なんで!せっかく友だちになれたのに。

私も一緒に行く、私を置いていかないで夜宵」

「望月真昼、わたしのほんとうの友だち。ありがとう。忘れないでね、わたしのこと」

夜宵は満足そうな顔をして、光の粒子と共に消えていった。

夜宵が消えたところに星のモチーフのネックレスが残されていた。

「夜宵、夜宵、聞こえてる?あんたのこと忘れないわ。一生」

ネックレスを握りしめながら星空に向かって呟いた。



私は一生この夏の思い出を抱えながら生きていくのだ。死ぬまでずっと忘れずに。



海に反射する星々の中に夜宵はいる。

そんなあんたに捧ぐ思いを此処に綴る。





◇ ◇ ◇ ◇ ◇





8月31日の新聞より抜粋。

死亡推定日は7月30日、避暑地として有名な〇〇市の海岸より桐生夜宵さん(15)

と思われる死体を発見。彼女の体には複数の暴行の跡が残されていたため、

家庭内暴力やいじめの線で調査を行うと警察からの発表がありました。

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