第3話:本殿参拝

 井戸のある広場から神社への大階段は一直線で上りやすかった。相変わらず苔むしてはいたが、どの石段もしっかりとした形をしており、歯抜けにもなっていない。


 すぐに、真っ黒い森の切れ目にそびえる大きな鳥居が視界に現れた。鳥居は全体に太い縄が巻かれており、まるで柔らかい肉で覆われた巨人の足のようだ。八千代はできる限り急いで最後の数段を上り、不気味な鳥居をさっとくぐり抜けた。


 鳥居の先には開けた石畳の空間が広がっており、参道の奥に縄九巳神社の本殿が佇んでいた。もっとも、境内は提灯一つではとても照らし切れる広さではないため、八千代に見えるのは本殿に続く石畳と、左右に立つ物言わぬ灯篭だけだ。


 これまでの迫ってくるような闇と違い、境内の闇は囲って見つめてくるような闇だった。近くに何かがいるのではなく、離れたところに何かがいて、こちらの様子を伺いながら堂々と立っている。風に揺れる藪の向こうで、八千代が来るのをじっと待ち受けている。そんな妄想が膨らんでいく。禊によって得た清涼感と加護が切れないうちに、広い参道を通り抜けてしまわなければ。


「はっ、はっ……っ……っ」


 八千代はできる限りの早足で石畳の道を本殿へと急いだ。ぼんやりと浮かんでは消えていく左右の灯篭は人型の妖怪のようで、足を止めた瞬間に襲ってきそうな気がする。山登りで疲労したふくらはぎが悲鳴を上げている。感覚のなくなった足の裏には、いくつも血豆ができてしまっているはずだ。


「し、失礼します……っ」


 最短距離で参道を駆け抜けた八千代は、本殿脇の短い階段を上って小さな木製の扉をくぐった。バタン、と扉を閉めると、膝に手を当てて前かがみになって呼吸を整える。


「はぁ……はぁ……はぁー……」


 徐々に落ち着いてくると、こんなに急いで抜けて来なくてもよかったのではないかと思えてきた。大階段で感じた恐怖は気配や音という八千代を恐怖させるに足る実体があったが、鳥居をくぐってからの恐怖は思い返せば完全に八千代が勝手に恐れてしまっただけであった。鳥居と分かっていながら妄想を巡らせ、暗くて広い空間であるというだけで過剰に怖くなり、灯篭の姿でしかないのに恐怖してしまった。


「もっと冷静にならなくちゃ……」


 八千代は脳裏に、常に冷静沈着な七鳴の姿を思い浮かべる。どんな時でもはっきりと意志を持つことが肝要であると、八千代は日頃から七鳴に言い聞かせられていた。


「私は大丈夫……やり遂げます、お姉様」


 八千代は深呼吸すると、フッと提灯を消して下駄箱の上に置いた。途端に辺りは暗くなり、本殿の堂内から漏れ出てくる灯りがぼんやりと足元を照らすのみとなる。続いて履き物を脱ぎ、下駄箱の適当な箇所に揃えて入れた。思っていた通り、足の裏や指にはいくらか豆ができてしまっていたが、出血したりはしていない。


「いやな暗さ……」


 板張りの廊下を進み、縄九巳神社本殿の堂内に入った八千代は辺りを見回してため息をついた。堂内には蝋燭が数本灯されていたが、それだけで広い空間を照らし切れるはずもなく、気休め程度のものだった。


 光ができれば闇はよけいに濃くなってしまうため、あちこちに焦げ跡のような闇溜まりができている。しかもそれらの闇は、蝋燭の灯りが風に吹かれてゆらゆらと揺れるたびに壁や床を生きもののように滑らかに動くのである。


 八千代はこれならばいっそ真っ暗闇の方がよかったと思った。堂の四隅や祭壇の裏の暗がりから、今にも何かが飛び出してきそうな気がする。あるいは闇がそのまま化け物となって八千代を飲み込んでしまうかもしれない。


 早く作業を終えてしまおうと、八千代は早足で堂内を進んだ。縄神様の祭壇前についたら荷物を下ろし、何度も練習した印を結んでから手を合わせる。


「オンアロリキャソワカ、オンロケイジバラキリソワカ、オンマナワクミヤソワカ……」


 八千代は祝ぎ言を唱えながらちらりと祭壇を見上げた。暗闇の中に、奇妙な九つの丸い縄がぶら下がっている。それは五芒星となるように配置されており、キシキシとわずかな音を立てながらゆっくりと揺れていた。八千代の脳裏に、七鳴から事前に聞かされていた縄九巳神社の由来が浮かんでくる。


 縄九巳なわくみとは、縄と九と巳という字に解体できる。巳とは蛇のことであり、縄もまた蛇を指す言葉でもある。九という数字は、九津郷や九九里巳村といったこの地域の名称によく登場するが、元をたどれば八岐大蛇伝説に由来するのだという。


『東語拾遺』によれば、九九里巳山には元々八つの首を持つ荒ぶる大蛇が住んでおり、鎮めるための生贄として春先に生娘を捧げる風習があった。時代を経て生贄は処女の初経の血を捧げるものとなり、やがて処女の巡礼という形に落ち着いていった。その過程で山神様のおわす座として縄九巳神社が建立されたというわけである。


 この大蛇は八岐大蛇伝説を汲んだいわば亜種の山神様であり、処女を捧げるのは豊作を祝うという意図が込められていると、七鳴は八千代に教えてくれた。


「この生贄の風習を考えるに、縄九巳とは生首、あるいは縄首が転じたのかもしれないわねぇ。九九里巳はくくりみ、すなわち首括りのこととも言えるわけだから、つじつまは合うわ」


 さらに七鳴は三月末日に行われる〈縄花招き〉の儀式についてもこの由来と絡めて八千代に解説してくれた。八千代はお姉様からそういった民俗学や歴史の話を聞くのが好きだった。日々の生活の中で、例えばお地蔵様の役割について疑問を持つと、八千代はお姉様の部屋を訪ねて質問攻めにした。七鳴は「変わった子ねぇ」と苦笑いしながら、八千代の気の済むまでためになる話をしてくれた。


「〈縄花招き〉では山から里へ縄神様を招くでしょう。これは日本全国に見られる山神様を農耕神として春に呼び込んで秋にお返しする儀式と類似しているのよ」


 七鳴の見立てでは、縄神様は農耕神の一種である。まず、縄は蛇を示唆するため、縄神様が蛇神であることに疑いの余地はないだろう。そして、蛇神は龍に通じ、天候を司る農耕神の一面を持っている。奥山に位置し、冬は深い雪に覆われ、夏は山の壁のせいで日照時間が少ない九九里巳村が好天を神様に祈るのは理にかなっていると言える。加えて、郷の物流を支えると同時に生活の基本である蛇這川じゃごんがわの存在もまた、水にまつわる神様である蛇神を祀る流れに繋がっていく。そこに生贄を求める八岐大蛇伝説という下地が加われば、縄神様の正体が蛇神であり、その属性は農耕神であるということは明白であった。


「……これが、山神様の依り代」


 八千代はお祈りを終えると、改めて眼前の祭壇を眺めた。縄神様の現身であるとはいえ、ぶら下がっているのはただの縄でしかない。けれども、じっと見つめているとどうにも不安になってくる。五芒星、すなわち両手足を広げた人間の五つの突起を縛る形。


 八千代は堂内の闇が人型になって自分の後ろで立ち上がってくるような気がした。それは八千代を抱き上げて縄神様の贄として磔にしてしまう。一度妄想を始めると駄目だった。巨大化した不安は八千代の肌に粟を立たせ、隙間風の音さえも耳が勝手に化け物の息遣いに変換してしまう。


「……っ」


 八千代は縄神様から視線を逸らして立ち上がると、祭壇の右手側にある扉を素早く開けた。そして、逃げるようにして本殿と奥宮を繋ぐ真っ暗な渡り廊下〈九業くごう〉へと足を踏み入れた。

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