7.不在

あれっ?

居ない。


仕事を休んで、千景と着替えを持って来た。

千景が、どうても、弘と一緒に、事件を調べたいと云うからだ。


しかし、もう宿に居ない。

この時間に居ないという事は、随分と早い時間に外出したのだろう。

早朝から、どこへ出掛けているのだろう。


折角、千景と一緒に来ているのに。

千景は、今日から、民宿に宿泊する事になっている。

帰寮するまでに、事件に決着を着けると、意気込んでいる。


千景は、涙ぐましい努力と、必死の馬力で、膨大な学校の課題を終わらせた。


景子は、弘のスマホに電話で連絡を入れた。

メッセージだと、無視する可能性がある。


ただ、電話にしても、着信音をサイレントにしている事がよくある。

予想通り、電話に出ない。


やはり、メッセージで伝える手立てしかない。

いつ、既読になるか、分からないのだが。

しかも、既読になっても、何の反応も無い事がある。


だから…

千景…「山科」に来てるよ…

と、千景からメッセージを送信させた。


「山科」とは、決して京都の山科ではない。

景子は、旧姓、山科景子という。

名字の「山科」を民宿の名称にしている。


景子の実家は、農家だった。

かなり大きな家屋に手を加えて、民宿も営んでいた。


しかし、両親が体調を崩し、農業を続けられなくなった。

それで、母方の実家に戻り、生計を維持している。


実家の大きな家屋は、地元の不動産屋さんに管理を依頼している。

民宿も、そのまま、不動産屋さんに任せている。


民宿のすぐ近くに、吊橋があって、結構観光客が訪れている。

吊橋を渡ると、川に沿って何軒か、食べ物屋がある。

弘の好きな、アマゴや、アユを店先で、塩焼きにして提供している。


つまり、弘にとっては最適の場所。

の筈だ。

だから、「山科」は、弘が利用するのに、結構、融通が利いて便利。の筈だ。


なのに、こんなに早くから、どこかへ出掛けている。


弘…そうか。昼過ぎに戻るから、ちょっと、待っとってよね。…


千景の、メッセージ送信には、不思議と反応がある。


千景…どこに行ってるん…

景子が、メッセージで、居所を確認するように頼んだ。


弘…剣山。…

すぐに返信があった。


千景…山登りしてるん?…

千景が驚いている。


あれ程、山登りは、もう嫌だと云っていたのに。

今度は、一人で山登りに出掛けてる?

訳がない。


弘…いや、駐車場や。…

お父さんは、剣山の駐車場へ出掛けている。


剣山の駐車場なら、秋山一家が、北尾さんの遺体を発見した現場だ。


千景…また、変なもん、発見したの…

千景が冷やかす。


弘…ちょっと、変なもん、見付けたと言うか、気になる事があるんや…


これまた、すぐ返信があった。


景子…また事件に、うつつを抜かしてるん?何か分かったの?…

景子は、心配しての小言のつもりだ。


「山科」へ泊まる事になった時点で、そんな事は分かっていた。

仕事を休んでまで、「山科」に泊まり込んで事件を調べるつもりだ。

分かっていたのだが、ちょっと異常だ。


と、その時。

「おはようございます」

誰かが、景子に挨拶をした。

見覚えがあった。

刑事さんだ。


「扶川さん。おはようございます」

千景が挨拶を返した。


そうか、扶川刑事だ。

遺体を発見して、警察に通報した。

その際、最初に聴取をしたのが、扶川刑事だった。


「ご主人、もう、お出掛けですか」

扶川刑事が、話し掛けてきた。

会う約束は、していなかった。

だから、居なくても、仕方ない。


弘は、もう、剣山へ出掛けている。

景子が伝えた。


駐車場ですか。と、扶川刑事が尋ねる。

「実は…」

扶川刑事が、説明を始めた。

弘が聞込みに、同行している。

と云っている。


景子は、扶川刑事さんの、邪魔をしていないのか、心配だった。

その旨、尋ねた。


扶川刑事曰く、変にそこら中、関係先周辺を荒らされるよりましです。

と、応えた。


どうやら、お父さんが、事故現場に出没して、気になった、いや、目障りだったようだ。

扶川刑事は、お父さんが、何故か、今回の事件に、執着しているようだ。

と云った。


景子が説明した。

この事件だけではない。

事件に遭遇すれば、喜んで、自分から巻き込まれに行く。


「要するに、病気ですか」

扶川刑事が、失礼な事を単刀直入に云った。


景子は、返答に困った。

こんな時は、愛想笑いしかない。


そして、扶川刑事が「じゃ」と云って、どこかへ出掛けようとした。


「今から、剣山の駐車場へ行くんですか」

千景が扶川刑事に尋ねた。


「いや、今からやったら、入れ違いになるやろから、今日は、一人で行きます」

扶川刑事が答えた。


千景が扶川刑事に云った。

「そしたら、私を連れてってください」

扶川刑事が驚いたが、景子も驚いた。


千景が聞込みに、連れて行け。と云っている。

でなければ、千景も、事件の関係先を回って、荒らしてしまう。

かもしれない。

と扶川刑事を脅した。


扶川刑事が、戸惑っている。

景子の方を困った顔で見ている。

助けを求めているようだ。


景子は、先程の仕返しに、冷ややかな目で、見ていた。


仕方がない。

と、扶川刑事が折れた。

現場周辺へは連れて行く。

しかし、聞込みの現場へは、同行を許可しない。

それと、景子にも保護者として、同行を求めた。


そして、扶川刑事が云った。

「娘さんも、病気ですか」


今度こそ、景子は怒った。

しかし、言い返す言葉が、思い付かない。


そして。

「病気ではありません。血筋です」

と、半ば扶川刑事の云った事を肯定してしまっていた。


気付くと、お父さんからのメッセージが途絶えている。

しかし、景子の送信したメッセージは、既読になっている。


だが、その後、何等、お父さんからの反応は無い。

「お母さん。云い方が緊いから」

千景が云った。


景子は、お父さんを叱るようにしか、話していない。

だから、怖がって、すぐ、逃げるのだ。

と、千景が説明した。


成程。

そう云う事か。


扶川刑事の車に、景子と千景が乗り込んだ。

千景は、助手席で、景子は後部座席だ、


「けど、なんで、そんなん、分かるん」

景子は、不思議に思って千景に尋ねた。


「それは、血筋、やからな」

千景が得意そうに、景子の口調を真似て云った。


扶川刑事が、失笑している。

「それでは、出発します」

行先は決まっているそうだ。


もう一度、農作業員風の男を探すようだ。

昨日、お父さんの言った事が、気になったそうだ。

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桐一葉の聖櫃 真島 タカシ @mashima-t

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