5.同行
「特に変わった事は、無い。ですね」
扶川刑事に云った。
弘は、扶川刑事に誘われて、剣山第一駐車場に来ている。
昨日は、お母さんに運転してもらっていた。
だから、ここまで来る道が、よく分からない。
勿論、標識を確認しながら、運転出来ない事もないのだが。
道幅の狭い山道だが、車と対向は出来る。
しかし、道を間違えると、元の道へ戻る自信は無い。
それで、扶川刑事の車に誘導してもらった。
駐車場の一番奥に停まっていた、北尾さんの車はもう無い。
「何か、気付きませんか」
扶川刑事が、弘に尋ねた。
「そうですね。他に道は無いですか」
弘は気になっていた。
山道だから、いくつも道があるとは思っていない。
しかし、今、来た道が、北尾さんの通った道だと特定出来るのか。
「西阿町から剣山へ向かったとすると、今、通って来た道ですね。それに…」
扶川刑事が説明を始めた。
事故発生が、十六時過ぎ。
西阿町から剣山の駐車場へは、二時間程度だ。
だから、事故現場から直接、剣山へ向かったとすると、到着時間は、十八時過ぎになる。
十七時過ぎに、職場と家人に連絡を入れている。
だから、連絡を入れた時点では、剣山に到着していない。
北尾さんの車が、西阿町からNシステムに現れたのが、十八過ぎ。
場所から考えて、今、来た道を通ったと考えられる。
残念ながら、剣山へ向かう道路には、Nシステムが無い。
死亡推定時刻が十九時から二十三時くらいだ。
しかし、十九時以後だとすると、それまでに、下山して医療機関へ駆け込んでいる筈だ。
だから、北尾さんは、十九時前に、剣山の駐車場へ到着した。
そして、到着した直後、事故による怪我が原因で亡くなった。
扶川刑事の説明が終わった。
「けど、あの山道を運転して登れますかね」
弘は不審に思った。
この駐車場に、到着したのが十九時頃。
死亡したのが同時刻。
あの山道を瀕死の状態で、運転出来るのか。
あれ程、几帳面に、車を駐車出来るのか。
弘は、感じた事を話した。
「だから、助手席の誰かが、代わって運転したと思うんや」
扶川刑事が推理した。
「そうすると、普通に事故ではなしに、事件ですよね」
今度は、弘が想像を話した。
北尾さんが、剣山へ向かう途中、助手席の誰かと運転を代わった。
多分、北尾さんが、職場と家人に連絡を入れた時だ。
助手席の誰かは、剣山第一駐車場に車を駐車していた。
だから、剣山第一駐車場へ向かった。
駐車場に到着後、席を代わった。
助手席の誰かは、自分の車で下山した。
北尾さんはその直後、死亡した。
弘の推理は終わった。
「ただ。Nシステムに映っていたのは、北尾さんでした」
扶川刑事が、弘の話しを聞き終えて云った。
運転していたのは、北尾さんだった。
それは間違いない。
助手席には、誰も映ってはいなかった。
勿論、後部座席に居たのかもしれない。
しかし、それは、分からない。
扶川刑事が云った。
防犯カメラやドライブレコーダーの映像でも、確認出来なかった。
判っている事象だけで判断すると、当て逃げ事件だ。
追突事故を起こした北尾さんが、現場から逃げて、剣山の駐車場で死亡した。
事故で腹部を強打し、大量出血した事が死因だ。
表面上は、それだけだ。
ただし、色々と謎はある。
扶川刑事が列挙した。
まず、あの見通しの良い交差点で、何故、追突事故を起こしたのか。
何故、Uターンして、来た道を戻ったのか。
家人に何故、嘘を吐いたのか。
何故、北尾さんは、剣山の駐車場へ行ったのか。
ここまでは、弘も疑問に思っていた事だ。
時間的に、一時間のずれがある。
どこかへ寄っている。
何のために、どこかへ寄ったのか。
そして、同乗者は居たのか。
何故、事故の目撃者が、現れないのか。
これは、扶川刑事が、聞き込みをした結果だ。
「それと、もう一つ」
弘は、不思議だった。
追突された被害者は、何故、すぐに通報しなかったのか。
いくら、待ち合わせの時間が迫っていたとはいえ、すぐに通報していれば、北尾さんも助かったかもしれない。
「そうですよね。それが…」
扶川刑事が云った。
名前こそ出さなかったが、光宗市の有力者だそうだ。
そう云う事か。
何があるとは思ったが、そうなのか。
警察署で、事情聴取されたそうだ。
北尾さんは、追突して逃げた。
だから、飲酒運転だろうと思ったそうだ。
待ち合わせていた人物の正体は、明かせないと云う。
理由は、相手に迷惑を掛けたくないと云う事だった。
ただ、その男性は、被害者だ。
それ以上の聴取は、出来なかった。
「それも怪しいですね」
弘が云った。
すぐに通報していれば、北尾さんは助かったかもしれない。
「そうなんですよ」
扶川刑事が悔しそうに云った。
街の有力者だからと云って、これで打ち切りというのは、納得出来ないようだ。
街の有力者が、自分で車を運転していた。
そして、光宗市へ戻っている途中だった。
どこから、戻っていたのか。
「その街の有力者。どこへ行ってたのですか」
弘は尋ねた。
「西阿町です」
扶川刑事が答えた。
「何しに、行ってたんですかね」
弘は、更に尋ねた。
弘の問には答えない。
「それにしても…」
扶川刑事が、気を変えるように云った。
何故、北尾さんが、バッグを胸抱えていたと思ったのか。と尋ねた。
「リフトやなあ」
弘は答えた。
剣山のリフトの昇降口で注意された。
千景が、背負っているバッグを胸に抱えて、リフトに乗っていた。
弘は、扶川刑事に、打ち解けた口調になっていた。
亡くなった北尾さんの姿勢に、変化があった。
朝と夕方では姿勢が違っていた。
誰かが、北尾さんの抱えていたバッグを持ち去った。
だから、弘は、同乗者が居たと思っている。
「時間。あるんかいな」
扶川刑事が、弘に尋ねた。
「時間は、なんぼでも、あるわなぁ」
弘は答えた。
「そしたら、西阿町へ行ってみよか」
扶川刑事が、弘を誘った。
西阿町の事故が、あった交差点へ行くそうだ。
昨日、弘は、扶川刑事に初めて会った時、地味で凡庸な人だと思っていた。
容姿も動作も、派手な様子は無い。
確かに、地味で凡庸な人である事は、間違いないだろう。
しかし、だからこそ出来る、捜査があるのかもしれない。
その一つが、目撃者探しだろうか。
「目撃者らしい人の見当。付いているんやろな」
弘は、さり気なく云った。
「どっかで、昼飯、食べようか」
そうか。もう十二時になるのだ。
扶川刑事が、弘の問を躱して、昼食へ誘った。
でも、どうして弘を誘うのだろうか。
弘に、同じ匂いを感じたのかもしれない。
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