第12話 我ら滅び失せるケモノに等しい(前編)

悲しいことがあっても、嬉しことがあっても時間は平等に流れ、教会の近くにある手向けの花は花をこぼし、若々しい新緑の葉はエメラルドのように煌めいていた。


「アンさんからちょうど1ヶ月ですね……」


 アンドリューが食堂で昼食を食べていると、ソフィーが目の前の席に座って来た。いつものようにニッコリと笑っているが、その瞳の奥はどこか寂しさと怒りが混じって濁っていた。


『あれ』と暈す様な言い方にアンドリューは一瞬はてなを浮かべかけたが、たまたま近くにあったカレンダーを見て思い出した。


「5月5日……そうだなぁ……ズッヒャーハイトを奪還してそんなに経ったのか……」


 アンドリューはあえて別の事柄を言うと、ソフィーはハッと目を見開いてそれから口角を少し上げた。


「……1週間程度そちらに行けてないが、ソフィーがそういった雰囲気を出すということはなんかあったのか?」


 アンドリューは少し声を高くして、恐る恐る聞くと、ソフィーは少し俯いたような姿勢で話し始めた。


「経過は良好ですよ……今は車椅子で移動できるようになりました。……ただ、元々ミカエラを嫉妬して嫌っていた人達がこの機会に軍から下ろそうとしているんですよ!」


「下ろそうとするのは構わないです!私もそう思っていますから……虫さえ殺せない彼の性格上軍人は似合わない……もっと平和な……」


 それからソフィーはスープの中に入っていたじゃがいもを勢いよくフォークで刺して口に運ぶ。


「許せないのは、下ろす時の感情なんです!性格上や任務か遂行出来ないじゃなくて、嫉妬や『こいつを下ろしたら出世が出来るかも』という汚い感情なんです!」


「無表情だから?アマデウス人だから?気弱だから?それとも……最年少で少佐になったから?」


ソフィーは更に強い力でフォークで具を刺す。


「なんにも知らないくせに!話したことないくせに!周りの否定的な意見や噂ばかり呑んで勝手に想像して妬んで!しまいには肌の色が違うから?迫害民族だから?はい、排除?!ふざけるのも大概にしてよ!」


「というか、この国の国民性としてまず最初に上げられるのが嫉妬しやすいですよ!神話に出てくるレヴィアタンとか、よく分からないけどいい迷惑ですよ!」


「彼はただコツコツ勉強をしたりして頑張っただけ。なのに周りはまるでミカエラに母親を殺されたような顔で『才能強い能力があっていいですね』って」


「確かにこの歳で少佐まで上り詰めたのは才能や能力とかもあるかもしれない。だけどその才能を開花させたのは、紛れもなく努力したから手に入った結果なんだよ!」


それからソフィーは一呼吸した後


「噂を盲信しているだけの人は知らないでしょ?彼が息を乱しながら、能力の制御をしていたこと。間違っても誰かを傷つけることが無いようにと、毎晩一生懸命練習していること」


そう早口で言って、悔しそうな顔を浮かべた。



この国の国教である、コラン教の神話によると、国の名前の由来となったレヴィアタンという海で怪獣が暴れ、何時でも津波に襲われて、困り果てていたところに、後の開祖であるコランと、いう東洋からやってきた花売りの少女に退治をさせたそうだ。その後人々はちょうど来ていた飢饉から飢えを凌ぐため、神聖な動物なので食べてはいけないというコランの言いつけを破り、人々は飢えを凌ぐために食べてしまったことによって、『能力』を授かったが、その代償として『嫉妬しやすい』 という呪いを抱えてしまった。だからこの国の人は、自分が持っている素晴らしいものを見ようともせず、無いものねだりばかりしている。


ーーそれは自分自身も例外ではない


「……そうだな……俺もそう思うよ。」


自分自身で発した言葉がブーメランのように返ってくる。それも鋭く、深く。

お前だってに嫉妬していた癖に。何も理解せずに、勝手に妄想して羨ましがってたくせに。酷くムカついて八つ当たりしたくせに。

客観的に見てるもう一人の自分のようなものが耳元でそっと囁く。


 アンドリューは大きく息を吸ってコップを置くと、ため息をついた。


「やっぱり若くして士官になると苦労するなぁ……」


「で、アンさんそいつら許せないのでぶっ飛ばしてもいいですか?上官命令出してくださいよ!」


 光が無い目でケタケタと笑いながら、こちらを見るソフィーの姿に背筋に変な寒さがゾッと走った。


「駄目だ。上官命令はそうやって使うものじゃない。ソフィーお前は大人しくしてろ!」


「あはは……冗談ですよ!冗談!」


 どう見ても冗談に見えない。とアンドリューは思ったが口にはしなかった。ソフィーは其れを誤魔化すように、絹のような歯を見せて大きく笑いながら手を合わせると「ご馳走様。それじゃお先に……お疲れ様です」とゆっくりと席を立った。



部屋に帰ると、書類やら封筒が溜まった机が目に見えた。重い気持ちで椅子に座ると、ため息をついてからある文章を作成し始めた。


『非常に残念なお知らせですが、ご子息は1886年4月5日 ズィッヒャーハイトの作戦中にて戦死されられました。』


 アンドリューはそこまで打つと、タイプライターから手を離し、溜息をついて書類を封筒の中に入れた。1ヶ月近く前からやっている『死亡通知』も、もうあと数枚だが、残っている人間は全員アンドリューの部下というのもあり、一単語さえ打つのも辛くなる。


「あぁ、クッソ……!あのクソジジイなんて仕事任せてんだ……ああ、畜生!」


 つい独り言で叫ぶと、近くで人形遊びをしていたネロがびっくりしたようにこっちを見た。


「アンタんこわあいネ」


 アンドリューは、一瞬驚いたような顔をしてから、申し訳なさそうな顔になり「ああ、ごめんよ」と言うと、ネロはニパっと笑い「いいよー」と言うとこちらに来て飴を机の上置いていった。

 アンドリューはニヤケそうなのを必死に我慢していつも通りの仏頂面でネロを撫でる。

よく周りから「その顔で撫でるな。怖い」と言われているが、アンドリューにとって、誰であろうと、綻んだ顔を他人に見せるのが恥ずかしいのだ。


「ねえ、サッきかラなんの仕事シごとをシているのネ」


 ネロは机の下から必死に背伸びをしてこちらを見ようとしているが、身長が足りなくてあと寸でのところで見れないらしい。


「戦死した仲間の遺族への死亡通知だ」


「シボウ?」


ネロはお腹を見せながら、首を傾げる。


「そう、死亡だ……」


 アンドリューはもう1枚紙を取り、タイプライターにセットした。次はレオンハルトのだが、彼は3年前に起きた『イーリス大爆発』という戦艦同士がぶつかり、街がひとつ吹っ飛んだ事故で母親を失っている為、父親はその1年後流行りの疫病で死亡している。その後に引き取った親戚は、彼の事を無視をしており、二度とレオンハルトの関連のことを送り付けるなと、言われたので、本来ならば書く必要は無い。それでも書こうとするのは……やはり一番最初に遺体を見つけたのに、その死を受けれられないからかもしれない。アンドリューは静かに目をつぶった。


 怨霊のような感情が頭の中を駆け巡る。希死念慮らしい考えを持つ彼にとってはああ、良かったのかという感情がポコりと湧き出て、慌てて嘘だと否定しながら可哀想まだ18歳なのにという憐憫、なんで先に死んでしまったんだという怒り、もう二度と話せない寂しさが込み上げてきた。


「……嗚呼……本当になんで良い奴ほど早く死ぬんだよ……畜生!」

「あいつは馬鹿で、何でも考えず直ぐに行動に移すような奴だが、死んでいい人間では無いんだよ……」


 自分より若い……いや、若い奴はそれなりに未来があるのだから死んではいけない。死なせてはいけない。

 アンドリューは、机に飾ってある向日葵を両手で抱えた女性が、笑顔で写ってる写真が入った額縁を指でそっと撫でると、またタイプライターを打ち始めた。


「ーーくん!アンドリューくん!」

 はっと気がつくと名前を呼ばれていた。横を振り向くと、軍服の上にシワひとつない白衣を着たヴァルトが笑顔で立っていた。昔はその笑顔にムカついていたが、今はもうムカつかない。


「うわぁ……いつの間にいたんですか……不法侵入じゃないですか……」


「きちんと名前も呼んでノックもして入ったよ。アンドリューくんが集中してただけだよ」


「それでどうしたんですか?ここまで来るなんて珍しいではないですか?」


 ヴァルトは少し躊躇ったような顔をしてから、息を吐き、腕を組んだ。


「……大佐が呼んでいるよ。ここに来たのはそのパシリ……腐れ縁の友家が近所という名のパシリ」



 うわぁ……今、一番会いたくない人に呼ばれるとは運が悪いなと思った。何よりも顔を見た瞬間、思いっきり椅子や生ゴミを投げる予感しかしない。いや、絶対に投げるだろう。


「あのクッソ無能ジジイ……なんの用事だ……要らんことに呼ぶな……また嫌味か?」


 口から出る声は自然と低く、重く、そして尖った言葉が次々と出てくる


「アンドリューくん殺意がこもった目をしないで怖い。君ただでさえ顔怖いんだから。そして仮にも大佐は君の上司だからね……?」


 ヴァルトは困ったような笑顔で笑いつつ、「まぁ分からなくもないけど」と小声でぽつりと呟いた。


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