第13話 我ら滅び失せるケモノに等しい(後編)
高級そうな赤いカーペットに、茶色の家具で統一されてる執務室の真ん中の机にその男は座っていた。白い顎髭に少し禿げた頭髪、沢山の勲章がつけられた軍服。その全てが憎い。
「久しぶりだ。野良猫……どうだ?仕事は順調か?」
少し高めの落ち着いた優しげに聞こえる声だが、アンドリューを見るなり大佐は見下したような笑顔でほくそ笑む。
大佐はアンドリューのことを野良猫と呼ぶ。野良猫というのはレヴァンの言葉でアバズレの子、教養がない子、汚い子という意味を含んだ蔑称がある。
その言葉に一瞬眉間に皺を寄せたが、一呼吸すると、元の顔に戻った。
「はい、死亡通知の件はほぼ遂行しました。しかし、あと5名ほど……未完成なので、もう、少しだけお待ちください……本日中に完成させますので」
「ははは、遅かったな。やっぱり学がない人はキツかったか……」
大佐は顔中の醜い皺をピクピクと動かし、下品な声で笑う。それを見た瞬間、顔面をナイフでめった刺したい衝動に襲われたが、グッと唇を噛み締め、拳をより固く握りしめた。
5000人近くの死亡者遺族への手紙を1人で、しかも約1ヶ月で処理するのは、困難を極める。それでも間に合わせる為に、自分の睡眠時間や食事の時間を削り、ミカエラが入院した時も、ネロが遊んでいる時も実は横で様子を見ながらずっとやっていた。
「……申し訳ございません……」
あくまでも謙虚で腰が低そうな態度を取りながらアンドリューはそっと言うと、大佐は急に大声で怒鳴り始めた。
「お前が無学でアバズレで下品な淫乱娼婦の穢れた血を持つ阿呆を使ってやってるんだ。これなのに……このザマとは……俺に恥をかかせるつもりか?こんな簡単なことが出来ないなんてそうに決まっている」
「ああ、でも……名門家出身の天才な俺はこれくらいちゃちゃっと出来るけど、なんせ教育受けてなく、阿婆擦れから生まれた野生児が、こんなこと出来るわけないか?出来ないのに期待してすまない。ああ、こんなやつの上司なんて……俺が可哀想」
アンドリューは、思わずいつもの癖でキッと睨んでしまった。するとそれに気づいた大佐は勢いよく立ち上がり、すごい剣幕で怒鳴る
「なんだ!その反抗的な目は……!この俺の……俺の言うことに逆らうなんて!俺はお前の上司なのに?逆らうのか!」
「目上の人に敬意が無いなんて、常識がねえやつだな。
「そうした方が俺の株も上がるしな」
次々しわくちゃの唇から出される罵詈雑言の言葉を、アンドリューは半分諦めたような気持ちで黙って聞いていた。
しばらく罵詈雑言タイムが続いていたが、5分ほどたった頃だろうか?急に間抜けな声で「アッ」と、声をだしてから、急に真面目な顔になって「さて本題に入ろうか」と言い出した。前置きが長すぎるとアンドリューは思ったが、言うとまた怒鳴り始めるので、それは心の中だけに留めて置くことした。
「ミカエラ=レア少佐の処遇についてだ」
自分のことのように心臓が激しく打ち、体が強ばるような感覚を覚える。祈るのは彼を軍から去らせること。戦闘が終わった時に必ず見る泣いた顔、そしてその夜に後悔と恥辱の言葉を吐きながら、身体を震わせ過呼吸ぎみになる姿を見る度に、胸が痛くなり、軍を去った方が彼の為では無いかと思うからである。それと同時に自分の身勝手な考えに嫌気が差した。誘ったのは自分の癖に。
「あれはまだ使える。我が軍の兵器みたいなもんだ。使えるうちはガンガン使え」
人を物のような扱いと言い方に、苛立ちを覚えたアンドリューは、眉間にシワを寄せる。
「あれは……って言い方……ミカエラは物や兵器では無いです!れっきとした人間です!」
「いんや、あれは兵器のような化け物だ!……天使の皮をかぶった化け物だ!いや……左半分の見た目が化け物らしいから、化け物でいいか……」
アンドリューは、机を勢いよく叩いた。普段なら何を言われても反論だけで済ませていたが、もう怒りの限界だった。そして着けていた白手袋を雑に机の上に置く。手は傷だらけで、掌の中央はもう元の姿にはならないだろうと思うほど、抉れている。
「……っ!あの子が自分の顔をどれだけ気にしているか!分かっているんですか?!」
掌から出ている血を見ると、少将は少し焦ったような顔を一瞬浮かべたが、やがてしわくちゃの唇をゆっくりとあげた。
「事実じゃないか。それに厭世家のお前がそんなことするんだ?言うんだ? 大事な部下だからか?部下なんて捨て駒だ。捨て駒に愛着なんて持つな 」
ミカエラ達はそれなりには大切にしている。そして、自分が厭世家なのも事実だ。だからなるべく人と関わりたい無い。人と問題を起こしたくない。しかし、それよりも人の地雷を踏み潰して楽しむ姿、本人の目の前で人の愚痴を言う姿、あっちに言っていいことを言ってこっちに言っていい事をいう八方美人、金と地位に眩み人を傷つけ、自己保身の為になんでもする人。それをやる人間は許せなかった。それが誰であろうとも。
「それが例え事実であろうとも言ってはいけないことがあります!大佐!発言を撤回してください!」
アンドリューは満月のような濃い黄色の目をカッと見開き、強い口調で言った。
「撤回なんてするものか。俺は事実を言ったまでだ。事実を言ってなにが悪い。……とにかく処遇については、これは上の決定事項だ。お前らのような
「それと、今回だけは俺はとても優しい人間だから温情で見逃すが、次に反論したら、君を北へ飛ばす!……ここまで来て左遷されるのは嫌だろぉ?」
大佐は気持ち悪い笑顔でそう言うと、アンドリューの顔を見た。自分の良さに酔った顔、嗚呼……さっき食べた昼食が出てきそうだ。
ーーああ、本当にこの人は人間としての屑だーー
アンドリューはその問いには答えず、手袋をはめ直し、丁寧にお辞儀と敬礼をすると「では、失礼します」とだけ言い、部屋を去った。
しばらくしたところで窓から外を眺めている赤く露出した服を着たソフィーを見つけた。ソフィーは赤色が嫌いだ。似合わないし、嫌なことを思い出すから……と言っていたり
「やだ〜アンドリューさん今日も顔が怖いですね〜!!!!」
ソフィーはいつもより高い声で明るく言う。アンドリューは、ほんの一瞬だけ、視界の端で今にもボタンが弾けそうなほど、膨らんだ胸を見た。
「……やるならもっと徹底的に相手を観察、考察してやれ!マリア=プラトー」
アンドリューは呆れたような声と表情で言うと、ソフィーの顔をした目の前の人は少し驚いたような表情を浮かべ、顔の前で手を振るような仕草をすると、鳶色の瞳で海色のカールがかかったロングヘアの女性になった。
「よく分かりましたね。少し戸惑うと思ったのに……」
「まず体!特に胸!それから服!……それから言葉遣い!それら全てが違う!」
「マリアの能力はその容姿を真似するだけで、真似した本人しか持ちえない能力や性格などは再現できない。だからこそやるなら、もっと徹底的に怪しまれないように、やらなければいけない」
マリアはつまらなそうな顔をしてから、少し棒読みで「はい」と、だけ言った。
「私、中佐のような人間を見ていると何故かむかむかします」
マリアは突然口を開くとそう言った。
「俺も君を見ていると何故か落ち着かない」
窓の外で新緑の木の葉が風に吹かれて、はらはらと散っている音以外は何も聞こえない。
それから2人ともお互い顔を見合わせずに、別々の方向に歩いていった。
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