第8話 死んでたらきっと見れなかった
鼻へ繋がれたチューブが痛痒いせいで気になり弄っていると、啄木鳥が木に穴を開けるような高速ノックが病室に響く。
ベッドに横になっていたミカエラは返事の代わりに、近くにあった鈴を鳴らした。すると、凄まじい速度でドアが開き、ソフィが入ってきた。相変わらず行動が賑やかだ。
「やっほーーい遊びに来ちゃいました〜!あ、ミカエラ、酸素マスクは取れたんだね!良かった!」
ソフィーはそう言いながら、ベットサイドに座る。ミカエラは、自分だけ寝ていては申し訳ないと、まだ痛みと息苦しさが残る体を無理やり起こそうとした。
「ミカエラは無理しないで寝ていて!」
ソフィーは、起きようとしたミカエラの身体を軽く押さえつけて寝かせると、布団を胸元までかける。それから寝てるミカエラと同じ目線になるように座り直した。
ベッドに横になった状態で、掌を出すようにというジェスチャーをしたが、ソフィーは何故か、お手をした。これからコミニュケーション関係が大変だな……と、考えたら、鈍い頭痛がしたのでしかめると、ソフィーは驚いた表情を浮かべる。
「なんか、しかめていたけど大丈夫?もしかして調子悪いなら、日を改めるけど……」
ミカエラは慌てて首を振ると、ソフィーは安心したような表情を浮かべ、ミカエラの額を撫でた。
しょうがないのでミカエラは、ソフィーの手首を無理やり掴むと、掌に指で文字を書いた。
ソフィーは一瞬驚いた顔をしたが、掌で文字を書いていることが分かると、少し嬉しそうな顔をした。
──
「全然気にしていないよ。だってしょうがないじゃん。徐々に受け止めて色々なことを考えよ?」
──でもアンさん達に嫌な気分にさせてしまった──
「いや?ミカエラよく考えてごらん?アンさんがあれくらい嫌だと思っていたら、キリがないよ?私のイタズラなんて特に」
続けてソフィーは、ミカエラの目を見つめてから、手をそっと握りしめながら
「アンさんも、きちんと分別がある大人なんだから事情くらい分かるし、気にしないよ!」
と、ソフィーはいつものように微笑んだ。
ミカエラは、凪のように静かに安堵の息を吐くと、良かったと口を動かした。
「……ミカエラ……これだよミカエラ!」
突然ソフィーは嬉しそうに目と口を大きく開け、歯を見せてニンマリと笑う。
「ミカエラ!ついに!ついに!私の得意分野が役立つ時が来たよ!」
突然の大声にミカエラは大きく肩をビクッとさせる。
「あ……急に驚かせてごめんね」
ソフィーは少し目を見開き、捨てられそうで鳴く子犬のような声で言う。
しかし、再び子供のようにはしゃいだ声になり、興奮したような早口で喋り始める。
「読唇術。私の得意分野の読唇術!ほら試しに少し口を動かしてみて!」
ミカエラは不思議に思いつつ、言われるがままに頭に浮かんだ言葉である『トマトがスープ飲みたい』と、口を動かした。
それと同時に、こんな時にトマトスープをのみたいと言うなんて呑気だなと思った。
「えぇ……トマトスープ飲みたいの?!まだ流石にその体じゃあ飲めないでしょ……飲んたら、誤嚥で肺炎で昇天タイムだよ……」
ソフィーは笑みを浮かべつつ、少し困惑したような顔を浮かべた。
当たり前だ。数日間昏睡状態の重病人が突然そんなこと出来るわけない。
ましてや、声帯が麻痺してるのだから、下手したら食べ物が気管に入り、肺炎になる可能性もある。
『うん、おかしいことくらい分かっているけど、なんかあの酸味が身体が欲していてね……点滴だけだと、喉が干からびそうなんだ』
「うーん……分かった。あとでヴァルトさんに聞いておくよ……」
それから、お互いにハッとしたような顔になり、数秒後に同時に笑顔を浮かべた。
「ほら!ミカエラ!今までと同じように会話出来るじゃん!やったね!」
ソフィーはそう言うと、ニッコリと歯を見せて、欲しいものを貰った子供のように無邪気にはしゃぎ「良かったねえ」と、ミカエラの手を握って喜んだ。
その時のソフィーの顔は本当に嬉しそうで、その顔を見ていると自分までも何故か嬉しくなった。
「おーい入るぞ」
お互いに喜んでいると、硬く重いノックが3回響いた。アンドリューだ。
2人はお互いに目を合わせ頷くと、ソフィーが返事をした。
「ミカエラお兄ちゃんひたちぶりネ」
返事をした途端、少女が隙間から部屋に入ってくる。
桃色のおかっぱの髪に、黄緑の瞳が特徴的なこの少女はアンドリューの娘だ。
容姿が全く似てないのは、アンドリューとは血が繋がらないからだ。
今はこのようにどこにでもいるような女の子だが、アンドリューの養子になったばかりの3年前は、酷くボロボロでやつれていた。
「ミカエラオニイチヤンだいぢようぶヨ?」
ネロはベットの横の椅子に腰をかけると、ミカエラの顔をマジマジと見て舌っ足らずが混じった言葉でそう言った。
ミカエラはネロの頬をそっと撫でる。温かくふっくらとしている。
「えへへネ」
ネロは嬉しそうにそう笑うと、何か恥ずかしかったのか、持っていた猫のぬいぐるみで口元を隠した。
「ネロ!ミカは
後から入ってきたアンドリューは、ドアに寄りかかりながら、いつもとは違う優しげな声音と眼差しをネロに向ける。
アンドリューはネロを愛してる。例え血が繋がっていなく、人種が違っても。そう感じさせるには十分の仕草だった。
「ああ、そうだ……ミカ」
アンドリューはベットの傍に近づくと、持っていた紙袋から万年筆とスケッチブックと赤いマフラーを取り出した。
「その……意思を図るのに苦労するだろ?」
「あと、赤いマフラー……首の傷……気にしているんだろ?もし良かったらこれで隠せ……」
アンドリューはぶっきらぼうにそう言うと、少し目を細め口角を上げた。
さっそく代わりに受け取ったソフィーが、万年筆のカートレッジにインクを吸わせてから、ミカエラは万年筆を受け取ると、スケッチブックにこう文字を書いた。
『ありがとうございます』
アンドリューは、頭を掻きながら少し目を細めて笑い、ソフィーは何も言わずに、ニッコリと歯を見せてミカエラの肩に手を置いた。
ああ、これで少しは会話が出来る。
少しだけ熱くなった目頭を抑え、目を閉じると上を向いた。
窓から見える空は厚い雲ゆっくりとしたスピードで移動していき、鴉が二、三匹同じ方向へ飛んでいった。普段は気に留めないありふれた光景さえ、美しくそして愛おしく感じた。
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