第7話 生きることはやはり苦しい

眩しい光と息苦しさで目が覚めた。

白い天井とうっすらと鼻に沁みる消毒の香り。


腕や鎖骨に繋がれている点滴やカテーテルや栄養チューブ。


息をする度に曇る酸素マスク。


間違いなくここは病院だと理解したものの、何故病院にいるのかが分からなかった。


「ミカエラ……?ミカエラ!目が覚めたの?……本当によかった!」


 視界の端で、ソフィーが嬉しそうに微笑みながら、ぎゅっと手を握った。

いつも温かい手は今日は何故だか冷たい。


「ミカ……気が付いたか?ここは基地内の軍病院だ。なにがあったか覚えているか?」


 アンドリューは、いつもと変わらない仏頂面と、腕組みの姿勢でゆっくりと言う。

ミカエラは首を振ろうとしたが、上手く顔が動かせない。

首の方は火傷をしたような、鈍く深い激痛が身体を動かす度に走る。


「そうか……ミカ……お前は1週間程前に ズッヒャーハイト で撃たれで倒れていたんだ」


 アンドリューは、腕組みをしたままぶっきらぼうな声で言う。


 その瞬間全て思い出した。

自分が得体の知らない敵と戦っていたこと、そしてレオンハルトが撃たれたこと。


 ──レオンハルトは無事ですか?──


 声を出そうとしても、何故か声が全く出ない。

もう一度振り絞るが、掠れたような声さえ出ない。

その代わりに、ただでさえ息苦しい喉に焼かれるような激痛が走ると同時に、気道が閉まる感覚が襲う。


息が吸えない。吐けない。ミカエラは思わず喘ぐような呼吸になる。


「どうしたの?ミカエラ?」


「どうしたんだ!ミカ?!」


 2人は同時に目を大きく見開き、驚いたような声と顔でこちらを見つめる。


 必死に声が出ないことを伝えようと、何とか動く右手で小ぶりなジェスチャーをするが、2人は不思議そうな顔をするばかりだ。


「ミカエラ苦しいの?痛いの?辛いの?医者を呼ぼうか?」


 確かに痛いし、息苦しくて辛いが、今はそれどころでは無い。という意味で、何とか首を微かに横に振ると、「じゃあどうしたの?」と聞かれ、必死に『声が出ないの』と口をパクパクすることしか出来ない。


『声が出ない』という


たった6文字の言葉さえ伝えることが出来なくて、悔しくて悲しくてまた涙が溢れ出てきた。


「ミカどうしたんだ?息苦しいのか?ジェスチャーだけじゃ……言わないと分からないぞ」


 違う!言えないんだ。喋れないだ。何故か声が出ないんだ!見てくれよ、察してくれと、涙が混ざった目でじっと訴える。


 ──声が出ないんだ。なんにも呻き声さえ出ないんだ──


 ミカエラは息苦しさを我慢して、必死に声をもう一度出そうとするも、カヒュウという音で消される。


「コエガ……デナイ……?……ミカエラ!声が……出ないの?」


 しばらくしてから、ソフィーは目を大きく見開きながら、恐る恐る聞いてきた。

ミカエラはやっと気づいてくれたと、安堵しながら小さく頷いた。


「……ヴァルトを呼んでくる!」


 アンドリューも目を大きく見開いてから、滅多に崩さない仏頂面を崩し、勢いよく部屋から出ていった。


  しばらくして何故か軍医総監ヴァルトが、笑顔でゴム手袋をはめながら入って来た。


それにしても何故軍医のトップが、自分の主治医なのだろうかとミカエラは思いつつ、それを伝えるすべが無いミカエラは、考えることを辞めた。


「こんにちはミカエラくん。目覚めて良かった……声が出ないって?どう見せてくれる?」


 ミカエラは目で小さく頷くと、ヴァルトは「失敬」と言いながら布団を剥がし、ミカエラをベットから少し起こし、それからマスクを外し、口を開けるように指示をされた。


「もう一回出来るかな?声を出してみてくれないかい?」


 もう一度喉に力を入れるが、やはり掠れた声さえ出なく、同じように凄まじい息苦しさと喉の痛みだけが声の代わりだと言うように現れ、苦しくて顔を小さく横に振ると、「ごめんねー」と、言いながら、ヴァルトは、いきなり鉄の器具を口の中に突っ込んた。


 ポケットからペンライトを取り出し、ヴァルトはまるで宝探しをするように、口腔内をじっと見る。


金属のひんやりとした冷たさと、舌にじりじりとくる鉄独特の苦味と酸味。ミカエラは何事かと背中にひんやりとした汗をかく。


「……うん、いきなり器具を入れてごめんね。ありがとう」


 ミカエラの体勢やマスクを元に戻すと、ヴァルトは目の横の皺をクシャとさせ、笑顔でそう言う。


「……それでヴァルトさん、どうですか?」

 

 アンドリューは仏頂面を崩さず、腕を組みドアの入口にもたれかかっているような姿勢で低く濁った声で訊く。


「首を切られた時だと思うんだけど、声帯が損傷している」


「そこから何らかの理由で機能が麻痺して声帯としての機能が果たせていない……」


「ステロイドを投与しながら暫くは様子を見るけど、もしかしたら、ずっとこのまま……の可能性があることを頭の片隅に置いて欲しい」


 ヴァルトは一瞬目を伏せてから、真顔に戻りミカエラをじっと見る。

ミカエラも力がない目でヴァルトを見つめてから、目を伏せて向いた。

 『戻らない可能性が高い』一瞬他人事のように聞いていたが、喉の痛みと息苦しさ共にじわじわと実感が湧いてきて、背中に何か冷たいものが走り、心臓がバクバクと早く鳴ってるのが感じられる。

 どうして自分だけいつもこうなんだ?必死に生活をして何も悪いことしていないのに、どうしてよりによって一番大切にしていた声なんだ?上手く表情を作れない自分は、これからどうやって自分の意思を伝えればいいんだ?そもそも声を失った自分は生きている価値や意味はあるのか?

 そう考えて続けていると、身体が震え、息が上手く出来なく、なぜだか胸が苦しくなってくる。


「ミカエラ……」


 ──今は誰の言葉も聞きたくない。お願いこっちに来ないで──


 ミカエラは涙ぐんだ顔でソフィーを見ると、首を振った。それを見たソフィーは無言で一歩下がった。それから少し寂しそうな笑顔を浮かべると「また来るね」だ言って部屋を出た。周りの人々もそれを察したのか「またな」と言い、次々部屋から出て行く。

 誰もいなくなった後、ミカエラは大きく呼吸をしながら、光が無い虚ろな目から雨上がりの草露のようにポロポロと涙を流し泣いていたが、やがて体力が無くなっていたのか酷い眠気が襲い、静かに目を閉じた。

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