第6話 息をすることはとても苦しい

 自分の部屋と同じ木製のドアを開ける。

 そこにはソフィーがよく知る人が、死人のように青白い顔で横たわっていた。


  よく似た別人だったら、いいのに……と、いう願いのような希望で目を擦ってみたり、見開いたりするが変わらない。


 少数民族の特徴である、黄緑色の髪に、白磁のような白い肌。

 そして長いまつ毛に顔半分の火傷跡。

 間違いなくミカエラだった。


 包帯とガーゼだらけの顔と身体には、腫れてるせいか、面影がうっすらある程度だ。


 身体中に様々な管が付けられ、苦しいのか、顔を歪ませ、なんとか機械に助けられながら呼吸をしている。


「ミカエラ……!ミカエラ……! 」


 ソフィーは必死に呼びかけたが、ミカエラの瞼はピクリとも動かない。

 布団からチラッと出ていた手をそっと握ろうと触れると、真冬の水のように冷えている。

 触れた瞬間、ソフィーは思わず手を引っ込めてしまった。


「……ァ……ンさん……! こぉ…れ……どういった状態ですか……手がし、死人みたいに冷たい……」


 ソフィーは冷静に喋ろうと努力をするが、声が微かに震え、言葉が乱れ、息が上がっている。

 自分自身に落ち着け、大丈夫だと言い聞かせているのに、身体がいうことを聞いてくれない。


 おかしい……なんでだ……


 そう、を殺した時だって……こんなぐちゃぐちゃな感情にはならなかったのに……


 今はもう何も考えられなかった。


「俺も見ていないから詳しく言えんが、腕と腹と足を撃たれ、左半分の顔と首を鋭利なもの……おそらくナイフで切られたらしい……」

「あと……すまん……救命の為にちょっと……肋骨が数本折れた……」


 ソフィーは、なんで肋骨が骨折するんだよ言いかけたが、大体経緯は薄々分かる。

 それに聞いてしまったら余計ショックを受ける気がして、言葉を飲み込んだ。


「それにしてもこれは本当に酷いよな……よく耐えたなミカ……偉いぞ……」


 アンドリューは仏頂面を崩さずに腕組みを解くと、ミカエラの傷だらけの頬をそっと撫でる。


「さっき切られたと言っただろ?どうやら切られた直後に焼かれて……止血されているらしい。」


「見つけた医者とかがやったんじゃないですか?ほら……ショウネツキキャクホウ?みたいなやつあったじゃないですか!」


 すると、アンドリューは目を伏せ静かに首を振った。


「残念ながら焼却止血法ショウキャクシケツホウは今の医学では傷を余計に酷くして『危険』と言われているからやらない」


「それに、ここに所属している軍医達に聞いて回ったが、誰もやっていないみたいだし、一番最初に俺が発見した時は、もう既にやられていた」


 ソフィーはミカエラの包帯が巻かれている顔左目周辺をそっと撫でながら「嘘でしょ……」と呟いた。


 包帯の隙間からは、凸凹の乾燥した肌が見えている。

色白く澄んだ顔半分とは大違いだ。


「何故いちいちそんなことを……もしかして……わざとだったりってことは……?」


「意図は知らんが、わざわざ火傷している部分である顔半分を切り、その直後に炎で止血している辺りを考えると、ミカエラの弱点を知っていた可能性が高い」


「普通だった、そんなめんどくさいことやらないからな。もしかしたら、ミカエラに怨みがある人間かもしれない」


 アンドリューは眉間に皺を寄せ不愉快そうな顔で傷口を見る。


 ソフィーも不愉快そうに顔を歪ませてから、拳を握りしめ「ぶっ殺してやる」と、小さな声だが、殺意がこもった声音で呟いた。


「……それにしても前よりも火傷を酷くさせてしまったな……ここの部分は神経を損傷して痛覚を感じないといえ、心が痛いだろうな……すまない」


 アンドリューは、陰りがある表情でミカエラを見つめてから少し目を伏せて、包帯が巻かれた頭をそっと撫でた。


「首にも傷が出来てしまいましたからね……顔に火傷が出来た時に相当落ち込んで気にしていたから、今回もミカエラ相当気にするだろうな……」


  ミカエラの左目周辺は、数年前に大火傷を負ってしまったせいで、神経が損傷して痛覚や感覚を感じ取れなくなっていた。

それだけではなく、表情筋や皮膚が損傷した為、上手く表情を浮かべることが出来なくなった。


その為、彼は基本的に無表情に見える。


 それ以来、ミカエラは火や、それに関連するものを見る度に、極度に怯えたような表情を浮かべるようになった。

そして咳き込みながら、何か庇うような仕草している為、自分の能力が戦場以外ではまともに出せない。


 また、火傷した部分を人に見られたくないのか、前髪と包帯の二重で隠している。


自室以外ではに火傷跡を見せないようにしている。



「ソフィー、あー悪りぃ……これから少しやることがある から……一旦帰るな。また来る」


 アンドリューは、ふと思い出したような表情を浮かべる。

そして、目を伏せてから「また来るな」と言い、ミカエラの髪をいつものように、わしゃわしゃと撫でた。


「ソフィー! さっき俺に休めと言っていたけどお前もな! 無理せずきちんと休めよ! 」


「お前が体調くずしたら元も子もないからな! 」

 

 ドアが閉まる直前、アンドリューが思い出したように後ろを振り向く。


 その顔はいつも通り顰めっ面だが、瞳は心配そうに2人を見ていた。


  アンドリューと入れ替わりに2人の男性が入ってきた

 1人は、ロイヤルブルー色で艶がある長髪を後ろで一つに縛っている。

 深緑色の軍服の上に白衣を着ており、上品な雰囲気が漂ってる。

 もう1人は、ワインレッドの髪を耳あたりでまとめて1つの三つ編みにしてある。

 エメラルド色の瞳の下には青い星の刺青が掘られている。

 頬のソバカスだけ見ると、素朴な青年に見えるが、全体的に見ると少しチャラチャラとした人に見えるだろう。


 見る限り青髪の男性は30代後半に、赤髪の青年は、自分達と同じくらいの歳に見える。


「こんにちはソフィーちゃん。僕はミカエラくんの主治医になった、ヴァルト・ツヴァルト=ウェルトヒェン。こっちの赤髪の子は、僕の息子で研修医のネオ=ウェルトヒェン」


 青髪の男性はそう言うと、ニッコリと笑い、丁寧にお辞儀をした。

 それに続いて赤髪の青年もお辞儀をして、ニッカリと八重歯を見せて笑った。


 ウェルトヒェンといえば、何百年も前から、帝都の医療を支え続けた公爵家であり、知らない人の方が少ないだろう。


 もちろん先代の軍医総監もヴァルトの父にあたる人だ。


 残念ながら先代は、数年前の北部ヒンメル奪還時に、野戦病院を爆破され命を落とした。

 過去に治療して貰ったことあるが、先代はとても温厚で技術が高く、向上心が高い人だった。


「どうして、軍医総監様がこんな所にいらっしゃるのですか?お仕事は……?」


 ソフィーは一礼をして、敬礼をしながら、怪訝そうな顔でヴァルトを見つめた。

 例え“少佐 ”という比較的上の階級であっても、主治医に着く医者が軍医総監なんてそうそう無い。


「いや、これもきちんとした仕事だよ。それに後輩のアンドリュー君にどうしてもって、頼まれてね……」

「それと『様』っていうのは堅苦しいから、呼び捨てか、さん付けでいいよ」


 ヴェルトは笑いながら、鞄から医療器具を取り出し、布団を退かすと、ミカエラの服のボタンを丁寧な手つき外し、診察を始めた。


「あの……ミカエラは大丈夫なんですか……」


 ソフィーは目を伏せ、先程から寒くないようにと、さすり続けている青白く、力がない手を握りしめながら小さな声でぽつりと言う。


「んーまあ、とりあえず峠は超えたよ。言えることはそれしかないけど、彼の回復力を信じよう。彼は峠を超えたられたんだから!それはとっても凄いことだよ!」


「本当に二、三日前はどうなるかと思ったよ」


 続けてヴェルトは、少し驚いたような表情と声で、ソフィーの火傷だらけの手を見た。


「ソフィーちゃん!その手どうしたんだい?大丈夫かい?」


「あー……いや、小さい頃に炎に手を突っ込んでしまいまして……はは……馬鹿ですよね?それよりミカエラはどういった状態ですか?」


 思わず手を隠す。

 それからポケットから黒いレースの手袋を出すと、急いで身につけた。


「うーん……今のところ見てる限りだと、失血が酷い……あとは、脳機能は正常だけど、呼吸器系が結構不安定かな……元々持病があったのかな?とりあえず意識が戻ってみないと、まだなんとも言えないから……とにかく目が覚めたらこっちに知らせてね」


 ヴェルトは、ミカエラの手を布団から取り出し抓ると、一瞬ピクリと手が動いた。


「ほらね。最悪な自体は免れた」


 と言ってから、鞄に使っていた医療器具を消毒してから、しまうと「それじゃお大事に」と、笑顔で手を振り部屋を出て行った。

 暗くて寂しい部屋には呼吸の音だけ響いている。


「苦しいよね……」


 もちろん返事は無い。それでもソフィーは、ミカエラの冷たい頬をそっと撫でながら話しかけ続ける。


「……うん、でも……なんとか約束守ってくれたんだね」


「本当にありがとう……」


 布団をかけ直しながらソフィーは、深く降り積もった雪さえ熱く溶けてしまいそうな眼差しでミカエラを見た。


「まさか『行ってらっしゃい。無事生きて帰ってきてね』って会話が最後に交わした言葉なんてそれじゃ悲しいもん……」


 ソフィーはそっと左耳に髪をかけると、太陽のイヤリングがキラリと揺れる。

 それからミカエラの冷たい手を握り、それを頭に乗せた。


 手はするりと力なく滑り落ちた。


いつもなら撫でてくれる色白く華奢な手は、いつの間にか病人のか細く青白い手に変わっていた。


「嗚呼……こんなになるまで戦って……本当に馬鹿!馬鹿……大馬鹿!」


「私を……もう一人にしないでよぅ……置いていかないでよぅ……ひとりぼっちは、さみしいんだから……」


 ソフィーは、冷たい手が少し温かくなるように、優しく頬擦りをしながら、湿った声で呟いた。

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