変化の兆し②
また叩かれるのが怖くてビクビクしていると、マーフィー先生は少しだけ平静を取り戻した。
かと思えば、こちらに鋭い目を向ける。
「……まさかとは思いますが、私の髪を切り落としたのはベアトリスお嬢様じゃありませんよね?」
「ち、違います……」
「本当ですか?私を怯えさせて、屋敷から追い出す魂胆では?」
「いいえ、そんなことは……」
半泣きになりながら否定すると、いきなり顎を掴まれた。
そして、無理やり視線を合わせられる。
氷のように冷え冷えとした青い瞳を前に、私は竦み上がった。
「チッ!おい、手を離せ!クソババァ!」
黒髪の男性は物凄い形相でマーフィー先生を睨みつけ、一歩前に出た。
そのタイミングで、マーフィー先生も手を振り上げる。
ま、不味い……!このままだと、また風を巻き起こすかもしれない……!
かなり興奮している様子の男性を見つめ、私は堪らず
「────もうやめて!」
と、叫んだ。
すると、何故かマーフィー先生がこれでもかというほど目を吊り上げる。
「ハッ……!お嬢様、まさか私に逆らうおつもりですか?奥様の腹を食い破って、生まれてきた分際で?」
「あ?んだと、てめぇ!今度はその口を切り落としてやろうか!」
「やめてください!お願いだから……!もうこれ以上、傷つけないで……!」
必死になって男性を止め、私は何度も首を横に振る。
が、話せば話すほどマーフィー先生の怒りは増していき……それに応じて、男性も声を荒らげていった。
まさに負の連鎖としか言いようがない。
ど、どうしよう……!?
悪化の一途を辿る状況に早くも頭を抱え、私は目尻に涙を浮かべる。
────と、ここで部屋の扉を開け放たれた。
「何の騒ぎだ?」
そう言って、中に足を踏み入れたのは────私の父であり、帝国の希望であるリエート・ラスター・バレンシュタイン。
光に透けるような銀髪と真っ青な瞳を持つ彼は、腰に聖剣を差している。
そして、騎士のように鍛え抜かれた体を押してこちらへやってくると、無表情なまま周囲を見回した。
「魔法攻撃を受けたと聞いたが、これは一体どういう状況だ?何故────貴様が我が娘の顎を掴んでいる?」
心做しかいつもより低い声で問い質す父に、マーフィー先生はハッとしたように息を呑んだ。
『しまった!』とでも言うように頬を引き攣らせ、彼女は慌てて手を引っ込める。
「こ、これは……えっと……そう!ベアトリスお嬢様が魔法を使った犯人だったので、お灸を据えようと思いまして!」
必死に表情を取り繕いながら、マーフィー先生は何とかこの場を切り抜けようとする。
────だが、しかし……父はそれを良しとしなかった。
「何故、貴様がお灸を据える必要がある?」
「えっ?それは……家庭教師、ですし……」
「たかが教師にそんな権限を与えた覚えはないが?」
「っ……!」
『明らかな越権行為だ』と言われ、マーフィー先生はビクッと肩を震わせた。
真っ青な顔で俯くマーフィー先生を前に、黒髪の男性はニヤニヤと笑う。
「よしよし、計画通り……ってのはさすがに嘘だけど、運が向いてきたのは事実だな!」
『ナイス、公爵様~!』と囃し立て、黒髪の男性はこちらへ身を乗り出した。
かと思えば、真っ黒な瞳をスッと細めた。
「俺が昨日言ったこと、覚えているか?」
酷く穏やかな声でそう言い、黒髪の男性は少しばかり身を屈める。
「公爵様はな、本当にお前のことを愛しているんだ。俺が保証する。だから────」
そこで一度言葉を切ると、男性は父の方を振り返った。
「────ここで全部ぶち撒けちまえ!あの女にやられたこと、言われたこと、嫌だったこと一つ残らず!」
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