2話 クラーケンも食材です
「うっ……なぜこんな大きなユラユラする乗り物に……うげぇ……」
エレノアは船べりまで移動し、海に向かってリバース。
そんなエレノアの背中を、ブラピが前足でナデナデしている。
どうもブラピはエレノアのことを、小さくてか弱い保護対象として見ている節がある。
さて、ここは客船の甲板。
俺の村がある大陸と、別の大陸とを繋ぐ海路である。
ぶっちゃけ別の大陸なんて飛んで行けばすぐなのだけど、リクが船に乗ってみたいと言ったので、その望みを叶えてあげたのだ。
「ノアは大丈夫ですか?」
リクが心配そうに言った。
ちなみに、リクもエレノアを俺の娘だと思っている。
リクは相変わらず、女の子と見間違うような可愛いさだ。
髪の色はニナと同じ赤色で、エレノアと同じぐらいの長さ。
服装は冒険者っぽい簡易な戦闘服。
背中には俺がプレゼントした双剣を装備している。
「そのうち慣れるんじゃね?」
俺は心地よい潮風を浴びながら空を眺めた。
雲がフワフワ流れていて、とっても気持ちよさそうだ。
俺は甲板に寝転がって、船の揺れを楽しんだ。
この船には割と多くの客が乗っているのだが、甲板に出ているのは船員を除けば俺たちだけだ。
なんでだろうな?
ブラピが怖いのかな?
ちなみに、ちゃんとブラピの乗船賃も払った。
相場が分からなかったので、とりあえず金貨を100枚ほど渡そうとしたのだけど、1枚でいいと99枚は突き返された。
そんな安くていいのか?
「なぁリク」
「なんでしょう領主様」
「ブラピってやっぱ、普通の人が見ると怖いか?」
「どうでしょう? 僕は慣れているので、怖いとは思いませんけど」
「そりゃそっか」
俺は小さく溜息を吐いてから立ち上がり、うーんと背伸び。
そうすると、海面が盛り上がった。
いや、俺の背伸びは関係ない。
海面から巨大なタコが顔を出し、手足をウネウネと動かした。
どれが手でどれが足なのか俺には分からないけれど。
「クラーケンだ! クラーケンが出たぞぉぉ!」
船員の誰かが叫んだ。
「誰かぁ! お客様の中に勇者はいませんかぁ!?」
別の船員が慌てた様子で言った。
「姉貴が呼ばれていますけど……」とリク。
「まぁここには、いねぇよな」
今頃、ドラゴンたちと戦っているかもなぁ、と俺は思った。
「うぅ……アルト様……。クラーケンと言えば……有名な海の魔物……」
絶賛、船酔い中のエレノアが、ブラピの背中に乗って寄ってきた。
ブラピお前、面倒見がいいな。
「ノア大丈夫?」とリク。
「心配するな……我が下僕リクよ……」とエレノア。
「ふふ。ノアは領主様の大切な娘ですから」
そう言って、リクはエレノアの頭を撫でた。
リクはエレノアにすごく優しい。
まぁ、リクは元から優しい奴だけどな。
「ふふっ……君と僕が結婚したら、領主様は僕のパパ……ふふ……パパかぁ……」
リクがボソボソと何か言ったが、俺にはよく聞こえなかった。
なんせ、船員たちが右往左往して叫び回っているのだ。
それはそれとして、さてクラーケンか。
所詮は大きなタコに過ぎないので、元気ならエレノアに倒させるのだけど。
エレノアに視線をやると、グッタリしたままだった。
「俺がやるかぁ……クラーケンって美味いんだよなぁ」
「アレですか?」リクが言う。「前に食べさせてくれた『茹でダコの薄切り調味料がけ』?」
「そう。オリーブオイルでマリネると最高なんだよな」
マリネるというのは、食の大国で流行していた『漬け込む』のオシャレな言い方である。
ああ、食の大国って言うとケイオスがヴィーガン活動家の仲間になった衝撃が蘇ってしまう。
あの活動家たちは、この状況でも「クラーケンを殺すな。クラーケンにも権利がある」と叫ぶのだろうか?
いや、そんなことより、ちゃんと植物の権利も訴えてくれているのだろうか?
◇
客船の船長は自らの不運を呪った。
まさかクラーケンに出くわすなんて。
海はあまりにも広く、魔物に襲われることは稀である。
クラーケンという有名な魔物ですら、一生に1度、出会うか出会わないかという確率なのだ。
その魔物に今日、出会ってしまった。
偶然、運良く勇者でも乗っていないかと思って聞いてみたが、乗っていなかった。
「お仕舞いだ……20年の船乗り人生よさらば……。妻よ、息子よ……」
船の進行方向を塞ぐ巨大なタコを見上げ、船長は涙を流した。
「最近、なんか食材運がいいな俺」
甲板でブラブラしていた家族の父親らしき青年が、クラーケンを見ながら言った。
食材運?
聞き間違いか? と船長は思った。
◇
聖女カリーナは勇者パーティと冒険者ギルドを訪れていた。
早速、アンデッド集団の件を依頼しようと思ったからだ。
「全世界のギルドに同じ依頼を、ですか?」
ギルドの受付嬢がカリーナを見詰めながら言った。
カリーナはコクンと頷く。
アルトがどこで冒険者をやるのか聞き忘れたから、全世界のギルドに依頼するのは仕方ないのだ。
それに、別の冒険者が退治してくれても、特に問題は無い。
「分かりました。それでは依頼内容を確認しますね?」
受付嬢が言って、カリーナが頷く。
「Sランク依頼、アンデッド集団の殲滅。特筆すべき点は1つだけ」受付嬢が書類を見ながら言う。「集団のボスがリッチの上位種族であるリッチ・ロードであること」
「はい。間違いありません」とカリーナ。
一緒に来ていたニナは暇だったのか、ギルド内をウロウロしていて、オッサンに絡まれて喧嘩を始めた。
騎士が慌ててニナを止めに行って、ポンティと武闘家が苦笑い。
「報酬に関してですが」受付嬢はニナと冒険者の喧嘩をスルーして言った。「神殿が直接、依頼をクリアした者に支払う、ということで間違いないですか?」
コクン、とカリーナが頷く。
元々、これは神殿の案件である。
本来なら、神聖騎士団や勇者パーティで対応するのだが、2正面戦争の真っ最中で余裕がないのだ。
カリーナの背後で、喧嘩が拡大した気配があった。
武闘家が「派手にやるならオレも混じるぞ!」と嬉しそうに駆け出す。
「それでは当ギルドへの手数料をお願いします」
受付嬢がスッと紙切れを差し出す。
その紙には、手数料の金額が記されている。
カリーナは手持ちから手数料を支払った。
全世界のギルドに同じ依頼をするので、割高だったが、カリーナは気にしなかった。
なぜなら神殿のお金だからである。
そもそも、神殿育ちのカリーナはお金の価値があまり分かっていない。
むしろ、勇者パーティの中に正しくお金の価値を理解している者はいなかった。
騎士は貴族でお金持ちなので、庶民の金銭感覚がない。
武闘家は武道以外に何の興味もないので、お金に無頓着。
ポンティも魔法以外に何の興味もないので、お金のことをよく知らない。
ニナはそもそも、お金を食料の交換券程度にしか思っていない。
「ちょっとわたしも止めに行くわね」
ポンティが喧嘩の仲裁に向かう。
ギルド内は、てんやわんやの大騒ぎになっていた。
カリーナは頭痛がしたような気がした。
と、背後が静かになったので、カリーナは恐る恐る振り返った。
そうすると、ニナと武闘家が冒険者たちをみんな倒してハイタッチしている。
「……ゆ、勇者だという自覚を……」
カリーナの頬がヒクヒクしている。
真面目で優等生なカリーナにとって、ニナはそこらの荒くれ者とあまり変わらないように見えた。
ニナが勇者でなければ、永遠に関わることはなかっただろうな、とカリーナは思った。
まぁ、でも別に嫌いなわけじゃない。
むしろどっちかと言えば、刺激的で割と好きだったりする。
「いやぁ、強いな今代の勇者!」と倒された冒険者が笑顔で言った。
「武闘家もなかなかだぞ!」と別の冒険者。
そしてアッと言う間に酒盛りが始まる。
さっきまで喧嘩してたのに? とカリーナは目を丸くした。
「冒険者って、可愛いでしょう?」
受付嬢が微笑みながら言った。
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