おじいさんを轢いた件

(備考)

先日、色々あってノリで一発書きした読み切りです。

近況ノートで誘導している.pdfファイルだと「00082.pdf」に該当する作品です。

加筆や改稿挟むか悩みましたが、そのままいきます。

水平線短編大賞のフォーマットに合わせた内容のベタ移植なので、そのうち手を加えたいです。

(以下、本文)


 一部の方々にはお話している通り、筆者はそれなりに長い間北海道に住んでいる。物心ついた頃から小学校を卒業するまでは他県で暮らしていたので、二十代中頃はこれまで生きてきた期間を見ると「北海道歴と他県歴が半々」という状態だった。


 どうでもいいか。そして今となっては身も心も北海道の人間として仕上がっていると思う。そんな北海道には鹿やヒグマに狐と多くの厄介なモンスターが棲息している。中でも今回は、前職でいわゆる社畜しゃちくとして過ごしていた頃に当時の僕や同僚が腹を抱えて笑った「鹿」のエピソードについて書きたくなった。


 この話をするにあたり、何点か前提となる内容をあらかじめ明記しなければならない。まずはテーマとなる「鹿」について。


 奴らは道路に飛び出す。自動車と衝突して、事故を起こす。石を投げれば鹿に当たるということわざが北海道で古くから語られるように、愛車が凹んだり大破して涙する者は後を絶たない。


 鹿との接触事故には自動車保険が適用されないケースが多く、被害者が泣く泣く自費で車を直す光景もしばしば見受けられる。


 そして社畜の頃の筆者や会社の仲間達は出張のある業界で働いており、北海道内ということから自分達の車を使った移動機会が多かった。すると、おのずと鹿との遭遇率も跳ね上がる。


「なあトモフジテツ、聞いてくれや……今朝よぉ」


 十年以上前の出来事、一足早く出張先に到着していた筆者に当時の上司が神妙な面持ちで愚痴をこぼす。結論から書くなら彼が通勤中に高速道路で鹿と正面衝突したというだけの話。


 上司は鹿への恨みや修理代への憂いなどをひとしきり同僚達や筆者に吐露することで溜飲を下げ、その直後に取引先の青年から上司に着信が入った。取引先の青年は良く言えば几帳面で悪く言えば多少の神経質さを持ち、上司はと言えば昭和世代の気質も相まって「おおらか」とも「大雑把」とも表現できそうな中年男性である。そして、上司は中々に滑舌かつぜつが悪い。


「ところでな営業君、今朝……道路で鹿を轢いちまってさ」


 あとから知ったことだが、便宜上「営業君」と表記した取引先の青年はこの時の「鹿」という単語を「じいさん」と誤認したらしい。周辺環境の騒々しさや上司の舌足らずが災いする結果であり、典型的な聞き間違い。使用端末はまだスマートフォンではなく、ノイズキャンセリング機能もないような時代だった。


 これものちに知った内容となるが、営業君の様子が一変し動揺を隠せない口調で「それは本当ですか」と上司に対し矢継ぎ早に質問を浴びせていたという。


 まあ、そうなるよなと思う。


「落ち着けって、俺は別にケガとかしてねえからよ」


 この言葉を筆者も同僚もはっきりと覚えている。会話を見守りながら「ああ、鹿の話してるな」と顔を見合わせ苦笑いをした。


 対する営業君は「いや、お相手は? 無事でしたか?」と上司に聞き返したらしい。営業君は育ちの良い人間として知られていたことから、野生動物を「お相手」と呼んでも違和感はなく、そんな丁寧な対応が更なるすれ違いを生む結果になってしまう。


「あー? 無事なわけあるかよ。知らんけど」


 時速七〇キロを超える鉄の塊とぶつかり吹き飛ばされたともなると、鹿もただでは済まない。上司の、至極当然とも言える説明を受け営業君は安否や被害状況の確認を継続した。


 営業君はこの時まだ「上司が老人を轢いてしまった」と誤認している。


「被害? それなぁ、十万で済むかな修理、もっとかな」


 車のことは今はいいです、お相手は? とイラ立つ営業君に、上司も負けじと憤り電話ごしの口調に熱がこもっていった。


「今はいいとは何だ! こっちにしてみたら大問題だぞ!」


 失礼しました、と営業君が謝罪し、再度「じいさん」の生死や顛末に関する事情聴取が行われる。上司は、りな様子で答えた。



「車でいた奴なぁ、死んだんじゃねえか?」



 受話器の向こう側にいる「営業君」が顔面蒼白になった姿は想像に難くない。遺体はどうなったのかと恐る恐る確認は続く。


「知らねえよ。路肩によろよろ歩いていったからな」


 続いて営業君は警察や救急への連絡は済んでいるのか、筆者や上司が務める会社には報告がなされているのか、という当然とも言える部分に関しての言及を始めたらしい。


 事が事な以上まあ、そうなるよなと今これを執筆しながら改めて思う。


「警察う? 時間とられるから電話してねえぞ」


 ここでにわかに、上司と営業君の間で口論が勃発しかけた。上司は会社員としての矜恃や時間に余裕を持って出張先に到着することの重要性を説き、営業君は社会通念上の正しさや道義の観点から年長者である中年上司へ果敢に意見を述べていった。


「保険支払われるわけでもねえし、ざまあみろだよ死んでも」


 その言葉に、営業君が遂に激昂する。聞くところによると「人の命を何だと思ってるんですか!」と大声で叫んだらしく、結局はその段階でようやく両者の誤解が解消された。



 営業君の会社でも「おじいさんを轢き殺して逃げた奴がいる」と大騒ぎになっていたことは、言うまでもない。

 


<了>

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