高速道路で、おじいさんを轢き殺した話
一部の方々にはお話している通り、トモフジテツという男はそれなりに長い間北海道に住んでいる。物心ついた頃から小学校を卒業するまでは他県で暮らしていたので、二十代中頃は「これまで生きてきた期間」を見ると「北海道歴と他県歴が半々」という状態だった。
今となっては、トモフジテツは身も心も北海道の人間として仕上がった。そんな北海道には鹿や
本件に関して言及するにあたり、いくつか前提となる内容を
連中は道路に飛び出す。自動車と衝突して、事故を起こす。イカれた精神性の鹿という奴は、自分と同等かそれ以上の大きさを誇る乗用機械と接触しても獣が勝利すると信じて疑わない。
石を投げれば鹿に当たるという
鹿との接触事故には自動車保険が適用されないケースがしばしば見受けられ、被害者が泣く泣く自費で車を直す光景も何ら珍しくなかった。
そして社畜の頃のトモフジテツや会社の仲間達は「出張」が発生しがちな業界で働いており、出張先も北海道内ということから
「なあトモフジテツ、聞いてくれや……今朝よぉ」
十年以上前のノンフィクション・ストーリー、
上司は鹿への恨みや修理代への憂いなどをひとしきり同僚や部下に吐露することで溜飲を下げた。
その直後、取引先の青年からトモフジテツの上司に着信が入る。この「取引先の青年」という男は良く言えば
上司は、と言えば昭和世代の気質も相まって「おおらか」とも「大雑把」とも表現できそうな中年男性である。更に特筆すべき特徴として、上司は中々に
「ところでな営業君、今朝……道路で鹿を轢いちまってさ」
周辺環境の騒々しさや上司の舌足らずが災いする結果であり、典型的な聞き間違い。使用端末はまだスマートフォンではなく、ノイズキャンセリング機能もないような時代だった。
トモフジテツの上司である中年は当時、鹿を轢いたと営業君に伝える。
他社の営業君として生きる青年は当時、じいさんを轢いたと中年から告げられる。
最悪のすれ違いが、発生してしまった。
じいさん、シカ……よもや、この二つの単語を聞き間違えることなどあるまいという先入観や固定観念も災いしたに違いない。
これも
動揺を隠せない口調で「それは本当ですか」と中年に対し矢継ぎ早に質問を浴びせていたという。
まあ、それはそう。
一方の中年は意に介することなく、
「営業くん、落ち着けってぇ。俺は別にケガとかしてねえからよぉ」
この言葉をトモフジテツも、昨日のことのように同僚はっきりと思い出すことができる。中年の通話を見守りながら「ああ、鹿の話してるな上司は」と顔を見合わせ苦笑いをした。
対する営業君は「いや、お相手は? 無事でしたか?」と中年に聞き返したらしい。営業君は育ちの良い人間として知られていたことから、野生動物の鹿畜生を「お相手」と呼んでもさほど違和感はなく、そんな丁寧すぎる対応が更なるすれ違いを生む結果となった。
「あー? 無事なわけあるかよ。知らんけど」
有料の高速道路で時速七〇キロを超える鉄の塊とぶつかり吹き飛ばされたともなると、鹿もただでは済まない。
なにせ、早く走るために存在する道である。のどかな片田舎のあぜ
中年の、至極当然とも言える説明を受け営業君は安否や被害状況の確認を継続した。好青年は諦めない、折れない、
営業君はこの時まだ「上司が老人を轢いてしまった」と誤認を続けている。
「俺の被害ぃ? それなぁ、十万で済むかな修理、もっとかな」
車のことは今はいいです、お相手は? とイラ立つ営業君に、中年も負けじと憤り電話ごしの口調に熱がこもっていった。
「今はいいとは何だ! こっちにしてみたら大問題だぞ!」
失礼しました、と営業君が謝罪し、再度「じいさん」の生死や顛末に関する事情聴取がとり
「車で
受話器の向こう側にいる「営業君」が顔面蒼白になった姿は想像に難くない。遺体はどうなったのかと恐る恐る確認は続く。
「知らねえよ。路肩によろよろ歩いていったからな」
続いて営業君は警察や救急への連絡は済んでいるのか、トモフジテツや中年が務める会社には報告がなされているのか、という当然とも言える部分に関しての質問を再開したらしい。
「警察う? 時間とられるから電話してねえぞ」
ここでにわかに、中年と営業君の間で口論が勃発しかけた。中年は会社員としての矜恃や時間に余裕を持って出張先に到着することの重要性を説き、営業君は社会通念上の正しさや道義の観点から年長者である中年へ臆することなく果敢に意見を述べていった。
「俺に保険金支払われるわけでもねえしなぁ、ざまあみろだよ死んでも。飛び出すバカが悪い」
その言葉に、営業君が遂に激昂する。
優しき好青年、堪忍袋の緒が切れる。
「人の命を何だと思ってるんですか!」
大声で叫んだ言葉を受けた中年は仰天し、結局その段階でようやく両者の誤解が解消された。
営業君の会社でも「おじいさんを轢き殺して逃げた取り引き先の中年がいる」という誤情報で大騒ぎになっていたことは、言うまでもない。
<了>
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