薄明光 後篇


 少年達の瞳に映るのは、宗教画のごと鮮烈せんれつな輝きをはなつ風景。



 それは、光。



 彼らが生まれてこのかた、経験したこともないような自然光。


 薄明光はくめいこう、レンブラント光、天使の梯子はしご、多くの異名いみょうを持つ光。


 そんな〝光線こうせんの名〟をまだ知らぬ三人にとっては、ただの光。



 おごそかな光、それでいて暖かな光。


 安らかな光、そして清らかな光。


 そんな形容語句の数々も、三人はまだ学んでいなかった。


 ゆえに〝超ヤバくて、すげえレベルでビビった〟感じの、光。

 

 年相応としそうおう感嘆かんたんの言葉が彼らの唇から次々とれ出したのは、未知みちなる光に魅入みいられてから少し時間が経過した後だった。

 各々おのおのわれに返るまでの数分にも満たない時間を〝永遠〟とも感じてしまうほどに、大空からそそぐ衝撃に心を奪われる。


 雲間くもまからむ光は、少年達の記憶に深く刻み込まれた。


 はかなさと力強さを併せ持つ光は、彼らの心を激しく揺さぶる。


「なんか……自然も強いな。やるじゃん、大自然」


 ボスの唇から思わず口をついて出た言葉にトモとタケちゃんは力強くうなずく。三人がこれまで〝薄明光線はくめいこうせん〟に出会うことなく生きてきた原因は再現性の低さや気象条件だけが理由ではない。

 平成の、アニメやゲーム機のすさまじい進歩と発展、娯楽ごらくと情報が増えることで自然に目を向ける機会が減ったのである。少年達は再び空を見上げ、視覚と脳以外の働きの放棄ほうきこころみる。

 

 季節が梅雨つゆから初夏に移ることをしらせる虫の鳴き声も、舌に残っていたはずの甘い残滓ざんしも、雨上がり特有の空気が生むにおいも、汗によってへばりつくシャツが生み出す不快感も、三人の少年達は何一つ感じることがない、そんな気持ちになっていた。

 

 そこにはただ、光を見つめる瞳と、光を感じる心があるのみ。

 

「すっげえの見たな! 最高だった!」

 

 タケちゃんの声を聞き、ボスは嬉しい気持ちになる。楽しみだった屋上には怪物や宇宙人の姿など見当たらない。それでも期待した以上の光景を目にすることができた。探し求めていた〝何か〟を小さな町の中で見つけた少年達は「世界は楽しい」「自然や現実も侮れない」と再認識し互いに言葉を交わす。


「こら、お前ら……何してる!」


 三人が通う〝二組〟の隣のクラス、一組の担任を務める大沼教諭の怒号どごうが響く。


「やべえ、逃げろ!」


 少年達は蜘蛛くもの子を散らすように逃走をはかるが、あらかじめ待機していた増援の職員や用務員達の手によりあえなく捕獲ほかくされる。それもそのはず、屋上からも見える向かい側の校舎三階で会議が開かれており、ふと窓の外に目をやった大沼教諭は三名の児童がはしゃぎ回る姿を目撃して仰天ぎょうてんしたらしい。諸行無常、楽しい時間は終わりを告げ、ボスはやがて小学校へけるであろう親の姿を想像して気が滅入めいる。タケちゃんはバツが悪そうにニヤッと笑い、トモはうらめしそうな顔でボスを見つめた後にすっかり意気消沈いきしょうちんしてしまった。執行日を待つ死刑囚さながらにふるえ上がる少年達の前に、連絡を受けたそれぞれの保護者が現れた。


「いきなり電話かかってきたと思ったら、なんでこんなことしたの!」


 教職員達に深々ふかぶかと頭を下げた後に、ボスの母親が息子に対して放った第一声である。


「何となく楽しそうだから、入りたくなった」

 

 それ以上に価値の高い理由などなく、自身を突き動かす目的など他にあろうはずもない。何を当たり前のことをくんだ母さんはとボスは少し、不遜ふそんな態度をとる。しかしそれ以上にもうわけない感情の方が大きい。大人達が向ける視線に含まれた色は教諭も用務員も母親もみな一様いちように、怒りではなかった。心配である。大人は全員、三人をおもんぱかっている。


「お前らごめんな、大声出して怖かったよな」


 でも先生もびっくりしたからお互い様だ、と大沼教諭はくわえる。その姿に、母親から発せられた「ケガがなくて良かった」という言葉に、少年達は深く反省した。


「でも光すごかった!」


 タケちゃんが叫び、トモが笑い、三人はコツンと頭を叩かれる。


 

 月日は流れ、あの日ボスだった少年は作家になり文字を紡いでいた。


 彼は成人しても変わらず〝トモ〟と呼ぶ友人の愛称と、当時のまま〝タケちゃん〟として接する友人の苗字に含まれる〝フジ〟の文字を一文字ずつもらい受けて〝活動名ハンドルネーム〟を作り出す。

 みずからの名称ペンネームをトモ フジ テツとさだめた駆け出し作家の根本は、屋上に忍び込んだ頃からさほど成長していないのかもしれない。

 

「何となく楽しそうだから、書きたくなった」

 

 それ以上に価値の高い理由などなく、自身を突き動かす目的など今のところ、それ以外には存在しない。

 

 しかし当時の体験を振り返ることで心境に変化も生まれた。

 

「人に迷惑かけたり心配されるようなものは書きたくないな」

 

 苦い罪悪感は静かな自制心や決意に変わり、薄明光線の眩しい満足感は確かな探求心のいしずえとなり、人生の目的が定まる。

 

 その作家は何かを受け取ることで充実感を得るだけではなく、何かを生み出し達成感を〝作る〟行為に命の意味を見出した。

 

 トモフジテツはりし日に非日常の入り口としてながめた空も、身を置く創作活動の環境も、本質的には似通にかよったものだと悟る。とうとき〝未知〟への扉は、多くの者がそこかしこに用意していた。


 世界は、文字は、カクヨムは、きっと〝光〟に満ちている。



 <了>

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