第2話

 宵岡さんの家は、これまでの人生では経験したことのないほど豪華だった。


どうやら駅の近くのマンションの一室に住んでいるらしい。


部屋の作りや綺麗な内装に見とれていると、


「どうかな、気に入ってもらえたかな。」


と宵岡さんが言った。


「はい、というか、僕には正直もったいないくらいです。」


「気にしなくていいのよ。思う存分甘えなさい。ところで、どの部屋にする?」


そう言って、宵岡さんは僕を連れて廊下へ向かう。


そこには、合計で6部屋もの部屋があった。


僕は一部屋ずつ見て回り、空調や日照の関係も考慮し、最も手前の、宵岡さんの隣の部屋を選んだ。


「あら、そこにするのね。…隣なんて、私のことが好きなのかしら。」


(ん?今なにか言ってたかな)


ボソッと話す宵岡さんの顔を見て、なぜか心臓を押されたような感覚がする。


さっきはいろいろ必死で、状況を呑み込めず混乱していたが、落ち着いてみると、彼女はかなり整った顔立ちをしている。


なぜか同居させてもらって大丈夫なのだろうかと少し心配になってきた。


 部屋を選んで、しばらくたった後、食事の時間になった。食事は、全部彼女が作ったらしい。


「どうかな?お口にあっているかわからないけど。」


そして、僕は、彼女が作った料理を口にする。


その瞬間、僕の頭に閃光がほとばしった。


「この味は...」


少なくとも、以前どこかで食べたことがある。


そう考えていると、ある結論に思い至った。


そうだ、これはもう帰らぬ母が作った料理に似ている。


この味をもう何年食べていなかっただろうか。


懐かしさ、感動と同時に、寂しさ、慕情がとめどなくあふれていく。


「ちょっとちょっと、ハル君、どうしたの、まずかったの?」


「え?」


そういわれて、初めて自分が泣いていることに気が付いた。


涙を止めようと思っても、それは堰を切ったかのように、次々にあふれ出してくる。


「すいません、おいしいです。あまりにも昔の母の味に似ていて。」


「そうなんだ、まあ、気に入ってもらえてうれしいな。」


僕は、涙も拭かずに夕食を平らげた。


食事を終えた後、僕は少し気になっていたことを聞いた。


「そういえば、宵岡さんって何のお仕事をされているんですか。あのビルを自分の私有地だと言ってましたけど。」


「私、実はあのビルの中にある予備校の講師兼経営者なの。」


「はあ、って、ええーーっ、あの瞬台予備校の!!?」


そう、あの予備校は、受験業界では知らない人はいない。


ターゲットを能力の高い層に絞り、優秀な生徒しか入学しないが、大半が東大、京大など最難関大学へ進学する。


当然、僕の学校でも多くの人があそこへ入学している。


それだけ名の知れた予備校を経営しているわけだから、このような高級な家を持っていても不思議ではない。


「名前知っててくれたんだ。あ、そうか、朝日河高校の子だったね。お友達の子とかが来てくれてるのかな?」


友達、か。


嫌なこと聞いたな。


僕はとりあえずその問いを無視することにした。


「まあ、僕はこんな生活で、高校入ってからほとんど勉強してないので、正直勉強の話とか全然分からないですけど。」


「じゃあ、この際、今までの遅れを取り戻すために勉強、頑張ってみるってのはどう?分からないところは私、少し教えられるし。あ、別に無理強いはしないけど。」


勉強か、それも悪くないかもしれない。


僕のあの頃の学びへの情熱はどうやら燃え尽きていなかったようだ。


「やります。勉強、やります。ただ、何から学び始めたらいいのか分かりません。なにせテストもロクに受けたことないので。」


「そうなんだ。じゃあ、この機会に模試を受けてみよう。私の予備校で、来月、全国規模の共通テスト模試があるの。そこで実力を測ってみましょう。」


「それって何円ですか。」


「いや、お金はかからないわよ。というか、これからは必要なお金は全部出してあげるわ。」


「え、そんな、僕は居候している身なのに。」


「いえ、高校生、今の時期、学業に、部活に、忙しいほうがいいわ。わざわざ働く必要もない。それに、あなたは今まですごく頑張ってきたのよね。そのご褒美だと思いなさい。」


「あ...ありがとうございます。」


僕は、自分が生まれて初めて認められたという事実と、目の前の親切なお姉さんのやさしさで、またしても涙が出そうになった。


そのとき、宵岡さんは僕を抱きしめた。


「ほんとに偉かった。君は報われるべきだよ。だから大丈夫、心配しないで。」


その瞬間、堰を切ったように涙が溢れだした。


 僕はその夜、布団しかない自室で寝付けずにいた。


こうして助かったものの、あのお姉さんは何か隠しているかもしれない。


そして、どうして僕なんかにお金を使ってくれるのだろう。


いくらお金があったとはいえ。とりあえず、極力何も使わないまま、探りをいれてみるか。


そう考え、入眠を試みた。


明日も朝早いし…と、そこで、明日も学校があることに気づいた。


学校に行く用意はできていない。


どうしよう、とりあえず宵岡さんに相談するか、いや、もうあの人は寝ている。


とりあえず明日は早く起きて、取りに行かねば。


そう考えた。




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