東方への衝動

 ゲオルグは職員室の扉をノックして開け、彼の社会科教師アロイス=ホフマンの席に向かった。

 「ホフマン先生、今週の課題受け取ってくださって、ありがとうございました。」

 ホフマンは何やら困った顔をして、こう言った。

 「いや、君、それにしても、あのレポートは単純に質が悪いよ。流石にあれで今週の授業を出たことにするのはまずい。」

 ホフマンの話を聞いたゲオルグは焦った様子になって、

 「文献が悪かったですか?」と尋ねる。

 ホフマンは、

 「いや、文献はいい。だがあれは古い。それに引用する場所がどうにも微妙だ。君、自分の結論を補強する部分だけを引用しているだろう。自分に都合のいい文献の使い方をしているね。いや、悪いことではないが、しかし結論が『神聖帝国は結界に守られている』というのは危ういよ。」

 と素直に自分の考えを述べた。

 しかしゲオルグは単位が欲しかったので、

 「ホフマン先生、お願いします。留年したら親に合わせる顔がありません。3年前、4年後から働きに出るから後期課程まで行かせてくれと親に必死に頼んだんです。本当は前期課程でやめさせられるはずだったのを、無理やり親に頼み込んでアルバイトもしながらここまで来たんです。他の授業の単位はなんとか取れたのです。あとはこの授業だけです」

 と必死で頼み込む。

 しかしホフマンは冷静に反論をする。

 「いやね、君、君がだいたい全部の授業に出ていたら、何も言わない。君の言うことも信用しよう。しかし、君はどうもだめだ。授業も結局出ていないじゃないか。だからこうしてレポートを出してなんとかしようとしたんだろう。」

 ゲオルグは更に焦った様子で次のように言う。

 「もう、うちには生活費がないんです。父が2年前病気で倒れたから。両親も貯金を切り崩して、なんとか卒業させてくれようとしたんです。もし留年なんてしたら、目も当てられません。ホフマン先生。ここで留年もここで退学もまずいんです。」

 ホフマンは質問をする。

 「わかったわかった。前向きに検討しよう。ところで君は卒業して何になるんだい。中等教育学校卒で学歴的には大学校卒には敵わないかもしれないが、ここは名門南ベルリン中等教育学校だ。それの後期課程を出たというならこの国では大したものだ。結構将来の自由度は高いと思うんだが。」

 ゲオルグは答える。

 「商人です。東方交易がしたい。」

 「ヴォルゴグラード鉄道の貨車を買えるほどの金が君にあるようには思えんが。」

 「うちの父は月に三度の市で露店を出すような、小規模な東方商人だったんです。貨車は共用のものを利用できる権利を父から譲渡される予定です。そしてヴォルゴグラードの厩にうちの馬と馬車がまだ居ます。」

 「君のお父さんはもしかして黒雨病で?」

 「そうです。まだ亡くなっては居ませんが、じきです。今は年金が降りてますが、父が亡くなれば、母も弟妹も終わりです。」

 ホフマンは話を聞いてしばらく考え込んだ。ゲオルグが固唾をのんでその様子を伺っていると、ホフマンは口を開いた。

 「君、どこで交易をする予定だ?」

 「ハザール汗国の首都:アストラハンと、ペルミ=エカテリンブルク連合汗国の首都:ペルミです。」

 「ハザールではこんな話術は通用しないぞ。私の観察力を舐めない方がいい。だがペルミだったら通用するだろうな。」

 「どういうことですか。」

 「君のお父さんピンピンしてるだろ。教員が保護者の健康状態を全く知らないわけがないだろう。それに私は君の担当というだけではない。私は君が後期課程に入ったばかりの時から知っているし、今年は君の担任だ。」

 「バレてましたか。アストラハンには行かないほうがいいですかね。」

 「ハザールの商人や民衆の質は下手したらこの国より高い。ペルミのあたりに絞ったほうがいいだろうな。」

 「結局単位はくれないんですよね。ホフマン先生。」

 「君と話すのは面白いからな。もう一年話したい。と言いたいところだが、来年から私はこの学校をやめて、ハノーファーにある私立の中等教育学校に赴任する予定なんだ。」

 「はぁ。」

 「卒業していいぞ。どうせお前やお前みたいな面白いやつとはもう喋れないし、責任もこれくらいじゃ問われないだろうしな。」

 「ホフマン先生のそういうところ最高ですよね。」

 「褒めても何も出せないぞ。」

 AC4032年の春、ゲオルグはこのような経緯でベルリンから出ることが決まった。

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