第57話 これぞ我が娘
次の瞬間、ギルベルトの背後から響いた他人をあざ笑うかのような声に、彼は反射的に身をひるがえそうとした。
背中に走った激痛に、ギルベルトはおもわず表情をゆがめる。
重力に逆らって弾き飛ばされた体は回転しながら宙を舞い、広間を彩るシルクの布を巻きこんで床に落下する。
「ギル!!」
ヴァンパイアである彼がこの程度の攻撃で倒されるはずがない。
わかってはいても、エルザは彼の安否を案じずにはいられなかった。
「ククッ、よそ見とは、余裕だな」
「っ!?」
一瞬のうちに視界を奪ったベルンハルドの姿に息を飲む。
反射的に後方へと跳び退くも、ステッキの軌道を確認するまでもなく手にしたサーベルの感触が消える。
しまったと思う間もなく、ベルンハルドの節ばった手にエルザの細い首がつかまれていた。
「か、はっ……!」
足が宙に浮く。
どこか遠くで、サーベルが床に落下した音がする。
「くっ……! かっ……!」
呼吸ができない。
声が出せない。
喉がにぎり潰されそうだった。
エルザは男の手を振りほどこうともがく。
足をばたつかせ、ベルンハルドの腕に爪を立てる。
しかし力は抜けていくばかりで、男の腕に傷ひとつすらつけられない。
「はぁ、もう少し期待していたんだがなぁ」
ため息をつくベルンハルドの口角が、いびつに弧をえがく。
彼はエルザの首をつかむ手に力を込めた。
「……っ!」
酸素を求める喉の奥が引きつった。
視界がぼやける。
手足がしびれて力が入らなかった。
こんなにも力量の差があるなんて思わなかった。
勝てずとも、相討ちくらいはと考えている時点で甘かったのだ。
相手はヴァンパイア。
憎しみだけではどうにもできない力の差に、エルザの視界がゆがんでいく。
朦朧とする意識の中で、悔しさと絶望の波が押し寄せていた。
「エルザぁああぁぁ!!」
ギルベルトの叫びが、部屋の空気を震わせる。
それと同時に、エルザの体が宙を舞った。
ギルベルトとは反対方向に投げ飛ばされたエルザの体は、抗うこともできずに壁へと叩きつけられる。
放射線状に入った亀裂から、バラバラと石の塊が崩れ落ちる。
倒れた石柱が、エルザの体を下敷きにして砂煙を立てた。
「っん、めぇええぇぇぇ!!」
「ハハハハハッ!」
ギルベルトがベルンハルドめがけて駆けだす。
その目には憎しみが宿り、鋭い牙をむき出しにして、彼は義父の懐にもぐりこんだ。
エルザのスピードに合わせていた先ほどまでとは違い、本来の自分のスピードで相手に食らいつく。
長い手足を駆使して、尖った爪でベルンハルドの急所だけを狙いにいく。
「やはりヒトの身にヴァンパイアの血は過ぎたるもの! 我らヴァンパイアこそが、頂点を極めし者なのだ!」
「ごちゃごちゃうるせぇんだよ!」
「なにをそんなに怒ることがある? あぁそうか。惚れていたんだったなぁ! 不出来なダンピールの小娘に!」
「しゃべりすぎなんだよ、クソジジイ!」
そのときだった。
身の毛もよだつような殺気に、ギルベルトとベルンハルドの動きが止まる。
それはあきらかに目の前の人物から発せられたものではない。
燃え盛る炎のようにたぎる殺気に、ギルベルトのひたいに汗がにじんだ。
瓦礫が崩れる音がする。
自然とそちらに視線を向ければ、見知った人影がたたずんでいる。
巻き上がる砂ぼこりの中で、エルザは静かに呼吸していた。
破れた袖の下には痛々しい傷ができていたが、それがみるみるうちに癒えていく。
ひたいから滴った鮮血が、ぽたぽたと床に落下した。
「エル、ザ……?」
エルザは足元に向けていた顔をおもむろに上げる。
瞳の色は赤。
口端から覗く八重歯は鋭く尖り、両手の爪は長く伸びていた。
深く赤い瞳が、ロウソクの火に照らされて妖しくきらめいた。
「フハハハハッ! おもしろい! 命の危機にさらされて、おのずとヴァンパイア化したか!」
こらえきれぬ高揚感に、ベルンハルドは声を上げて笑った。
だが次の瞬間、エルザの姿が二人の視界から消える。
かと思いきや、ベルンハルドは無抵抗のまま勢いよく弾き飛ばされていた。
間髪入れずにあとを追いかけるエルザの攻撃が、彼の肉体をみるみる切り裂いていく。
いままでのスピードが嘘のように、エルザは一心不乱にベルンハルドに迫っていた。
「くっ……!」
ベルンハルドの表情から笑みが消える。
呼吸が乱れはじめる。
いままで見せていた余裕が、なくなっていた。
いくら力のあるヴァンパイアといえど、重ねた年齢にはかなわないのだろうか。
勢いを増すエルザの攻撃についていけなくなったベルンハルドの足がもつれる。
その隙を彼女が見逃すはずがない。
エルザは即座に床に転がっていたサーベルを拾い上げ、そのままベルンハルドを壁際まで追い詰める。
左手で逆手につかんだサーベルを、ベルンハルドに向かって振り上げた。
「っ!?」
サーベルの切っ先が、憎い仇の頭に突き刺さる。
エルザは間髪入れずに、自身の右手をベルンハルドの左胸に突き立てた。
鋭い爪が肉を裂き、骨を砕き、生暖かい感触が手のひらを包み込む。
手中で脈打つ心臓。
文字どおり、命をにぎっていた。
「……終わりよ」
エルザは静かにそう告げる。
いままでまともに合わせたことのない視線が交差する。
「すばらしい……! これぞ我が娘……!!」
弾ける鼓動。
まとわりつく不快感。
口から血を吐いたベルンハルドは、満足そうに笑っていた。
なにがそんなにうれしいのか。
今となっては、彼にその理由をたずねること自体が無駄であろう。
徐々に干からびていく肉体は、まるで消し炭のようにぼろぼろと崩れていく。
黒い灰は、エルザの指の間をサラサラサラ……、と流れていった。
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