第54話 まさか一人じゃ怖いとか

「くっ……!」


 アルヴァーの視界の端で、部下の一人が地に沈んだ。

 間髪入れずに彼に覆い被さったグールは、おそらく彼を喰らうのだろう。

 アルヴァーは容易に想像できてしまった彼の末路に奥歯を噛みしめる。


 しかし、その光景に一瞬意識をそらしたのがまずかった。

 仕留め損なったグールの一匹が、隙をついて背後から襲いかかってきた。


――くそっ、間に合わねぇ……!


 気がついたときにはすでに敵は目の前に迫っており、回避行動を取る暇がない。

 アルヴァーは自身の失態に舌打ちした。

 反撃に転ずるには、まずはグールの攻撃を防がなくてはならない。

 アルヴァーはサーベルの刃をグールに向け、衝撃に備えて身構える。

 だが、グールは腕を振り上げた瞬間にその動きを止めてしまった。

 瞬きの間にそれはただの肉塊となり、重力に従って地面に崩れ落ちる。


「任務中はもっと集中したら?

「っ!!」


 聞き間違うはずのない声色に、アルヴァーは息を飲む。

 見開いた視界の先。

 灰と化す肉塊の奥で、サーベルを手にしたエルザが笑っていた。

 その表情に浮かぶのは自信と挑発。

 アメシストの瞳は生き生きと輝き、先日までの無気力な彼女とは似ても似つかない。

 捜しつづけた彼女の姿が、そこにあった。


「エルっ……!」

「エルザ! こっちだよ!」


 遠くから聞こえたギルベルトの声に、エルザの視線がアルヴァーを飛び越える。

 呼ばれるがまま駆け出し横を通りすぎようとする彼女の腕を、アルヴァーは咄嗟につかんでいた。

 以前はつかめなかったその手は、今度こそ振り払われることはない。

 エルザはゆっくりとアルヴァーを振り返る。


「なに? まさか一人じゃ怖いとか言わないでよ?」

「んなわけあるか!」


 小さく肩をすくめながらそうため息をこぼすエルザだが、一方でアルヴァーはそんな彼女の態度にどこか安心していた。

 しかしそれを悟らせないように、彼は小さく息を整えた。

 そうしてまっすぐにエルザの瞳を見つめれば、二人の視線が交差する。


「……この城のやつなのか?」アルヴァーが声をひそめてそう問う。


「お前の、仇ってやつは」

「えぇ」


 短くも澄んだ音色で紡がれた返答に、アルヴァーはわずかに目を伏せた。

 だがそれも一瞬のことで、すぐに彼はいつもの調子でエルザの名前をフルネームで呼ぶ。


「これが終わったら、お前に聞きたいことが山ほどあるんだからな! 死ぬなよ!!」

「りょーかい、ふふっ」


 アルヴァーの言葉に、エルザは一瞬驚いたような表情を見せた。

 しかしすぐにいつもどおりの返事をすると、彼女は小さく吐息を漏らして笑う。


「なにがおかしいんだよ」

「べつにー? アルヴァーは心配性ね」

「はぁ!? いいからとっとと行けよ! 呼ばれてんぞ!」


 アルヴァーは咄嗟にエルザの腕を振りほどいた。

 ふわりと微笑んだエルザが、流れるようにギルベルトのもとへ駆けていく。

 その背中を見送りながら、アルヴァーもまた笑みを浮かべてきびすを返した。

 クルースニクの行く手を阻む敵は、まだ残っている。

 彼は懸命に戦う仲間たちのもとへと駆けだしていった。



「ルティス! そっちはどうなってる!?」


 大量の灰が舞い上がる広場は混乱していた。視界はひどくかすんでいる。

 アルヴァーが抜き身のサーベルを握ったままルティスに駆け寄ると、彼は周囲の隊員に指示を出している最中だった。


「あらかた片はついたよ。そっちは?」

「なんとかな。悔しいが、あのオオカミとチビッ子のおかげだ」


 城の外にいたグールのほとんどは灰と化し、辺りには腐った肉塊と灰の山がいくつもできあがっていた。

 ここぞとばかりに暴れまわったダグラスとアリシアの手助けもあり、クルースニクの被害は予想よりもはるかに抑えられている。

 狩りのついでだと言ってはいたが、おそらく当初から二人はそのつもりだったのだろう。


「本当に、食えない種族だな」

「エルザは?」

「あぁ、例のヴァンパイアのところだ」


 アルヴァーは端的に答える。

 物静かにたたずむ古城が、ただただ不気味で仕方がなかった。


「オオカミとチビッ子も、たぶんそこにいんだろ」

「クルースニクとしては、先を越されるわけにはいかないね」


 そう言って、ルティスが部下たちに集合をかけようとしたときだった。


「あらあら。いい男がたぁーっくさん♡」


 聞き慣れぬ女の声が、二人の鼓膜を震わせる。

 それはエルザのものでも、先ほどまで広場にいたはずのアリシアのものでもない。

 おそらくは彼女たちよりも年上、熟女独特の色香が漂う絡みつくような声色だった。


「何者だ?」


 まだわずかに風に舞う灰を飲みこむように、白い霧が周囲を覆う。

 優雅な足取りで姿を現したのは、ベルンハルドの妻―ダニエラだった。

 漆黒のロングドレスを身にまとい、サイドに入った深いスリットからは艶かしいほどの生足を惜しげもなくさらしている。

 つややかでみずみずしい肌は、まるで花盛りの少女のよう。

 豊満な胸を支えるようにして組んでいた腕をほどき、彼女は細い指先を見せびらかすように人差し指を立てて唇に添えた。


「あら、こういうときは殿方から名乗るものではなくて? まぁいいわ」

「っ!?」


 ダニエラの姿が消える。

 瞬きをする間もなく、再度彼女が現れたのはアルヴァーの目と鼻の先だった。

 一気に間合いを詰めたダニエラは、真っ赤な唇を歪めた。


「どうせわたくしに、食べられてしまうんですもの♡」



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