第53話 灯台もと暗し
◇◇◇◇◇
東部郊外の深い深い森の中。
鬱蒼と生い茂る草木の、そのさらに奥まったところにそれはあった。
規則的に積み上げられた石の塀が高くそびえ立ち、遠くに古い城の屋根が見えている。
植物の蔓は外壁を覆うように縦横無尽に伸び、どこか湿っぽい陰鬱とした空気が辺り一帯に漂っていた。
「なかなか、いい雰囲気じゃねーか」
「こんな場所がうちの管轄内にあるとは、灯台もと暗しだね」
隊を率いるルティスとアルヴァーは、頑丈な鉄扉を見上げながらそう言った。
彼らのうしろには多くの部下たち。
そろいの制服に武器を手にして、彼らは今か今かと号令を待っていた。
「隊長! ほかに入口はなさそうです!」
城壁沿いに偵察に出ていた隊員たちが、左右同時に駆けてくる。
裏口、もしくは隠された出入口などがあれば、隊を分散させて挟撃することも可能だ。
しかしどうやら目論見どおりにはいかないらしい。
「やはり正面突破しかないようだね」
「とはいえ、この重い城門をどうやってこじ開けるかだな」
ルティスの言葉に、アルヴァーは腕を組んで目の前の門を見上げた。
重厚感のある漆黒の鉄の扉。
それは訪問者を拒絶するかのように固く閉ざされたまま。
隊員たちが束になって押し開けようとしても、扉は一切微動だにしなかった。
「こうなったら、城壁を乗り越えるしか方法が」
「情けないですわね。そのくらい開けられないんですの?」
突如ルティスの声をさえぎるようにして、聞き慣れない少女の声がこだまする。
それと同時に周囲に霧が立ちこめ、空気がひんやりと冷えていく気がした。
「っ!? お前ら……!?」
「ごきげんよう♪」
そこにいたのは巨大な漆黒のオオカミ。そしてその背にちょこんと乗る、かわいらしい少女である。
エルザをさらったヴァンパイアの一味の登場に、アルヴァーは腰のサーベルに手を添えた。
彼に倣うように、待機している隊員たちも慌ててそれぞれの武器に手を伸ばす。
現場に緊張が走った。
ルティスは、今にも飛び出そうとしていたアルヴァーと部下たちを冷静に制する。
今ここで彼らとやりあうのは得策ではない。
「なぜ、きみたちがここに?」
「あら、教えてさしあげる義理はありませんわ」
濃さを増す霧の中、両者視線を合わせたまま、ただ時だけが過ぎていく。
虫の鳴き声も生き物の気配もない。
どちらか一方がわずかでも動けば、この不気味な静寂の均衡は崩れるだろう。
ところが。
「ちょっとー、二人とも待ってよー」
「もう! 遅いですわよ、お兄さま!」
ギルベルトの声が、膠着する空気に風穴を開ける。
語尾を伸ばしながらのんきに現れた兄に、アリシアは腰に手を当てながら頬をふくらませて応えた。
「急に走り出すの反則! いくらなんでもライカンスロープの足についていけるわけないでしょ! エルザ、平気?」
「えぇ、大丈夫」
「っエルザ!?」
ギルベルトに手を引かれ当たり前のように姿を見せたエルザに、アルヴァーはおもわず声を上げた。
彼女が来るだろうことを予想はしていたが、いざ実際その姿を目の当たりにすると動揺を隠せない。
なにせ最後に見た彼女は、生きることを諦めてしまったかのように無気力だったから。
アルヴァーの動揺に連動してか、隊員たちの中にもざわめきが広がる。
「エルザ、お前どうしてっ……!」
「ちょっと静かにしてくださいませんこと?」
無意識にエルザに駆け寄ろうとしたアルヴァーを、アリシアのひと言が制する。
少しいらだっているような、突き刺さるような声色に、ざわついていた隊員たちもいっせいに、シン……、と静まり返る。
落ち着いた足取りで鉄扉の前に歩いていったアリシアは、おもむろにブラウスの腕をまくった。
足を肩幅にひらいて仁王立ちになると、膝を曲げて静かにその場に腰を下ろす。
白く細い指先が、鉄扉の下部にあるわずかな凹凸に添えられる。
「いきますわよ! よいっ、しょぉおおぉぉ!!」
力強いかけ声とともにアリシアが全身の筋肉をこわばらせた瞬間、鉄の塊が鈍い金属音を響かせながら浮き上がる。
錆びてはいても頑丈な鎖が、反動で一気に巻き上がる。
摩擦で削られた城壁が、パラパラと石のくずを落としていた。
「おほほほほっ! こんなもの、ハーキュリーズの能力をもつわたくしには朝飯前ですわ!」
天を仰ぎながら高笑いするアリシアの声が、暗い夜空に響き渡った。
可憐な少女のまさかの行動に、隊員たちも口を開けて呆けてしまっている。
「いったい、どういうつもりですか?」
ルティスがギルベルトに問う。
ヴァンパイアである彼らには、クルースニクの手助けをする義理はない。むしろ対立関係にある。
にもかかわらず、まるで示し合わせたかのように現れた彼ら。
共闘するとでも言いたげな意思さえ感じられる彼らの行動。
ルティスには、ギルベルトたちの真意が計り知れなかった。
「他意はないさ。俺たちは俺たちの目的を果たすだけ。このチャンスを利用するかどうかは、きみたち次第だよ」
くすくすと笑みを浮かべるギルベルトに、ルティスも挑発的な表情を返した。
「……アルヴァー」
ルティスの呼びかけに、アルヴァーは大きくうなづいた。
そして自身の腰に携えたサーベルを抜くと、高々とそれを掲げる。
肺いっぱいに吸いこんだ空気を、彼は腹の底から一気に吐き出した。
「てめぇら! 気合い入れろぉおぉぉ!!」
「「「おぉぉおおぉぉぉ!!」」」
森中に威勢のいい声がこだまする。
どこからともなく、鳥たちがいっせいに羽ばたいた。
「「「キエェェエエエェェェ!!」」」
次の瞬間、隊員たちのかけ声に交じって、奇妙な叫びが鼓膜を震わせる。
アリシアによって開け放たれた門から勢いよく突入したクルースニクを迎えたのは、予想どおりグールの大群だった。
「死にたいやつから前に出ろ! この牙の餌食にしてくれるわ!」
ダグラスは歯をむき出しにして、襲いくるグールを次々と噛み殺していく。
ふわりふわりと舞うように跳ねるアリシアは、持ち前の怪力で腐った頭を地面に叩きつけていた。
「遅れを取るんじゃねぇ! 行くぞ!!」
先陣を切ったアルヴァーに続いて、隊員たちも次々にグールを仕留めていく。
あちらこちらから気味の悪い断末魔と銃声が飛び交い、血と腐った肉のにおいが嗅覚を刺激する。
舞い上がる灰とともに、血しぶきが宙を舞った。
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