第52話 雑魚に構ってる暇なんて

◇◇◇◇◇



「みんなに、話しておきたいことがあるの」


 午後のティータイム。

 いつものダイニングルームで、ローテーブルを囲んでいる最中だった。

 エルザはおもむろに言葉を発する。

 彼女の真剣なまなざしに、おのずとみんなの視線が集まる。


「あたしは、あの男が……」震える声をごまかすように、乾いた空気を飲み込む。

 視線を落としたエルザは、膝の上で両手をにぎり合わせて力を込めた。


「ベルンハルドが憎くてたまらない。あいつのやったことを許せそうにない。できることなら、殺したいとさえ思ってる」


 静かな空間に、エルザの声だけがこだまする。

 ギルベルトは、アリシアは、ダグラスは、どんな表情をしているだろうか。

 なにを思っただろうか。

 怖くてみんなの顔が見れない。


「……わかりましたわ」はじめに口をひらいたのはアリシアだった。


「お姉さまがそう望まれるのでしたら、わたくしもお手伝いさせていただきますわ」


 鼓膜を揺らしたアリシアの言葉に、エルザはおもわず顔を上げる。

 多少なりとも恨み言のひとつでも言われるだろうと思っていたのに、返された言葉はエルザの意志を尊重するかのようで。

 困惑を隠せないエルザは、すぐに言葉が出てこなかった。

 まっすぐに注がれるそれぞれの瞳が、優しい色をして彼女に向けられている。


「ごめん、アリシア」

「お姉さまが謝る必要なんてありませんわ。ヴァンパイアにとって親子関係なんてものはそれほど重要ではありませんし、いくら父といえども、あの男のおこないには虫酸が走りますわ!」


 向かいに座るアリシアが、頬をふくらませてテーブルをたたく。

 彼女にもいろいろと思うところがあるらしい。


「俺も、親父の仇討ちでもしようかな」

「ギル……!」


 肘かけに頬杖をつきながら、ギルベルトがいたずらっ子のように笑う。


「ちょうどクルースニクも動きだしている。便乗するか?」


 ダグラスの提案に、ギルベルトは名案だとばかりに指を鳴らした。

 ベルンハルドとて馬鹿ではない。

 襲撃にあうとわかっていて、そう易々と通してくれるはずないのだ。

 おそらく根城である城内には、大量のグールが待ち構えていることだろう。


「俺たち、雑魚に構ってる暇なんてないしね!」


 目的はベルンハルドただ一人である。

 数だけのグールに、いたずらに体力を奪われるわけにはいかない。

 不要な戦闘はなるべくなら避けたいところである。

 クルースニクがヴァンパイア退治に乗り出すというなら、それを利用しない手はないだろう。

 雑魚の相手は彼らに押しつけてしまえばいいだけの話だ。


「そうと決まれば、さっそく準備に取りかからなくては! お姉さま! ちょっと付き合ってくださいまし!」

「へ? あ、ちょっと、アリシア!?」


 強引に手を引かれアリシアに連れて行かれるエルザを見送って、ギルベルトは深々と息を吐いて背もたれに体を預けた。


「……これでよかったのか?」


 冷めたコーヒーの残りを口に運びながら、ダグラスが落ち着いた口ぶりでそうこぼした。


「エルザが望んだことだからね。アリシアが良しと言うなら、俺が止める理由はないよ。それに」


 上体を起こしたギルベルトは、アクアマリンの瞳を細めてわずかに口角をつり上げる。


「エルザを守るには、を取り返さなきゃね」

「それが本音か。食えないやつだな」

「それは褒め言葉として受け取っとくよ」


 こぶしを前に突き出したギルベルトに、ダグラスはため息をつきながらも自身のこぶしを軽く打ちつけた。



 数日後、エルザはアリシアに言われるがまま、彼女の用意した服に着替えさせられていた。


「動きやすさを重視して、クルースニクの制服を真似てみましたの。着心地はいかがです?」

「うん、悪くない。ちょっとわたしにはかわいすぎる気もするけど……」


 そう言いながら、エルザは鏡に映る自身の姿に苦笑する。

 襟元を彩る紫色のリボン。上半身に沿うように型どられた黒いコート。

 ウエストから広がる裾の内側は、ボリューム感のあるパニエと紫色のスカートである。

 頭頂部でまとめられた長い金髪が揺れるのに合わせて、色を合わせたリボンが鮮やかに目を引いた。


「エルザかっこいー♡」


 普段とは違う凛としたエルザの姿に、ギルベルトの頬はゆるみっぱなしである。


「お兄さまのタイは、お姉さまとおそろいで紫色にしましたの。ちなみにわたくしは、お姉さまと色違いですわ!」


 得意げな笑みでそう言いながら、アリシアはダグラスの襟におそろいの赤いタイを結んでいた。


「アリシア、本当にいいの?」

「構いませんわ。あたくし、前々からあの男は気に入りませんでしたの」


 まだ自身の判断に不安を感じているエルザに対して、アリシアは両手を腰に当て、鼻息荒く胸を張る。


「お兄さまとお姉さまを苦しめる男なんて、あたくしが始末してさしあげますわ!!」


 天を仰いで高笑いするアリシアに、もはや苦笑いをこぼすしかない。


「……落ち着け。エルザが困ってる」


 ダグラスはシャツの襟首をゆるめながら、小さな頭を押さえつけた。


「よし! じゃあそろそろ」「あ、ちょっと待て」


 ギルベルトのかけ声をさえぎって、ダグラスはふとなにか思い出したかのように階段下の物置を物色しはじめる。

 なにか忘れ物かとも思ったが、そもそも彼は手ぶらでも戦えるはずである。

 いったいどうしたのかと思って見ていれば、彼は唐突にエルザの名を呼んだ。


 同時に投げて寄越された長いなにか。

 宙に浮くそれを、エルザは咄嗟に手を伸ばして受け取った。


「っ! ダグ、これ……!」


 ひと目見た瞬間、エルザはおもわず顔を上げた。

 手の中にしっくりと馴染むそれが、カチャ、と小さく音を立てる。


「純銀のサーベルだ。ないよりはましだろう?」


 黒い鞘に収まるそれは、たしかにエルザの愛用していたものと同型のサーベルである。

 ガードにはまだ真新しいクルースニクの紋も刻まれている。


「ダグ、どうして……」

「前にクルースニクのやつからかっぱらってきた」


 驚くエルザに対して、ダグラスは得意気な表情で小さく笑う。

 エルザは手にしたサーベルをじっと見つめると、スッと呼吸を止める。

 ゆっくりと鞘から引き抜いたサーベルが、光に当たってきらりときらめいた。


「うわぁ……。エルザ、お願いだから、それ俺たちには向けないでね」

「わかってるわよ、ばか」


 そろって壁際に身を寄せたギルベルトとアリシアが、引きつった表情を浮かべてエルザを遠巻きに見ていた。

 ヴァンパイアである二人からしてみれば、純銀のサーベルなど脅威以外の何物でもない。


「試し斬りならお兄さまがおすすめですわ!」

「ちょちょちょアリシア!? 押さないで!!」


 ぐいぐいと兄の背中を押すアリシアに、ギルベルトの顔が蒼白になる。


「ったく、遊んでないでさっさと行くぞ」


 付き合っていられないとばかりに、ダグラスはエントランスホールのエルザたちを追い越していく。

 慌てて彼のあとを追いかけるギルベルトとアリシアに、エルザは「なんだか締まらないなぁ」と思いながらも、こちらを振り返って足を止める三人に向かって足を踏み出した。



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