第14話 状況証拠

 迷わずセシルへのもとへと向かったアルヴァーが、仲間の手を借りながら上体を起こしたセシルの肩に手を置く。

 一瞬びくり、と体を跳ねさせたセシルは、アルヴァーの顔を見るなり、ぼろぼろと涙をこぼした。


「セシル、なにがあった?」


 おびえた様子を見せるセシルを刺激しないように、アルヴァーはつとめて穏やかに声をかける。


「ぁああぁ、あいつが……! あいつがロッズを襲って、それでっ、ロッズが、ロッズがどんどんっ……! オレっ、誰かに知らせなきゃって……! だけど、そこからなにも覚えてなくてっ、ぁああ、すみませっ……! ごめんなさっ、ごめっ……!」

「もういいセシル。悪かった」


 大きな体を丸めて全身を震わせるセシルの背を、アルヴァーは静かにさすってやる。

 子どものように泣きじゃくって、セシルは何度も何度も謝罪の言葉を唱えていた。


「セシルを、救護室へ連れていってやってくれ」


 常日頃から元気いっぱいで人懐っこいセシルが、こんなにもおびえきってしまうとは。

 グールの強襲にも怯まなかった彼の目撃した恐怖は、いったいどれほどのものだったのだろう。

 仲間に促され、ふらふらとおぼつかない足取りで地下をあとにするセシルのうしろ姿を、みなが黙って見送っていた。


「…………」

「ま、まさか……、エルザさん、ってことは……」

「バカなこと言ってんじゃねぇ!!」

「ひっ……!? す、すみませんっ……!」


 隊員の漏らしたつぶやきにすばやく反応したのはアルヴァーだった。

 間違ってもそんなことはありはしないと、横目で部下をにらみつける。


「アルヴァー、これを見てくれ」


 シン……、と静まり返る空間に、ルティスの冷静な声が響いた。

 アルヴァーは遺体となったロッズのそばに歩み寄ると、ルティスの視線の先へと意識を集中させる。


「…………これは……、血を、抜かれている……?」


 まるで体内の水分を根こそぎ奪われたかのような遺体の状況に反して、現場に残された血痕はごくわずかだ。

 遺体には刃物や銃弾による外傷はほとんどなく、首を絞められたような形跡などもない。


 あるのは首筋に残された、不自然なふたつの小さな傷だけ。


「まさか……! ヴァンパイアか?」

「おそらくね」


 状況から推測される犯人像に、二人は苦虫を噛みつぶしたように顔をゆがめた。眉間に刻まれたしわが、よりいっそう深くなる。


「隊長!」


 そのとき、現場を検分していた隊員の一人が大声を上げる。

 反対側の壁際から急かすように呼ぶ声に、二人は腰を上げて彼のもとへ向かった。


「隊長、これっ! エルザさんの銃です……!」


 部下の指さす先には、鈍く光る銀色の銃が転がっていた。

 グリップに刻まれたイニシャルは『EB』。

 エルザの所持していたものに間違いない。

「なるほどね」ルティスが納得したようにつぶやく。


「おそらくエルザは、異変を感じて地下へ下りてきたんだろう。そこで運悪く、ヴァンパイアと交戦となった」

「だとしても、どこからヴァンパイアが侵入したってんだ」


 問題はそこである。

 地下への出入りは、昇降機もしくは階段を使用するしかなく、岩肌がむき出しの洞窟のような地下牢に抜け穴の類いはない。

 仮に隊員たちが気を失っている隙に入りこんだのだとしても、なぜ地上ではなく地下にいた者を狙ったのか。

 謎は深まるばかりである。

 ルティスもアルヴァーも思案顔のまま黙りこんでしまい、部下たちも静まり返ってしまっている。

 聞こえるのは土壁のすきまから吹きこんでくる、細い風の音だけだ。


「…………」

「…………」

「聴取のため地下牢に拘束していた男、彼はいま、どこにいる?」


 ふと、ルティスがそう口にした。

 そのつぶやきに我に返ったように、隊員の一人が奥へと駆けていく。そうして地下牢の奥を調べていた別の隊員といくつか言葉を交わすと、二人は慌てた様子で隊長のもとへ戻ってきた。


「いません」

「は?」


 部下からの予想外の報告に、アルヴァーはおもわず自分の耳を疑った。

 『いない』とはどういうことなのか。

 牢のカギはセシルのベルトにきちんとぶら下がっていた。回収したカギは本数がきっちりとそろっている。

 男には、自力で牢から出る術がないはずだ。


「それが……、牢のカギが破壊されていて、例の男は逃走したものと思われます」

「決まりだね」


 部下の言葉に、ルティスはすべてを悟ったかのように顔を上げた。

 状況証拠は、彼の推測を裏づけるには十分だった。


「そいつが、ヴァンパイアだってのか?」

「そう仮定するのが一番つじつまが合う。あの男はヴァンパイアだった。そして、エルザはそれに気づいたんだ」

「だったら、エルザはいまどこにいんだよ。万が一殺られてるとしたら、どこかに死体が転がってるはずだろ?」


 想像したくもない状況だが、なにせ相手はヴァンパイアだ。最悪の事態もありうる。

 敵の力量は予測がつかない。クルースニクといえども、ヴァンパイアと殺り合ったことはほとんどないのだ。話には聞いていても、実際に戦闘になった場合どう転ぶかはまったく計り知れない。

 だがしかし、地下空間に戦闘の痕跡はないに等しい。

 あるのはわずかな血痕と、弾が使用された形跡のあるエルザの銃だけ。


「……おそらくは、連れ去られたと仮定するのが妥当だろうね」

「なんであいつなんだ。人質のつもりか?」


 言い方は悪いが、仮に人質なら地下にいたもう一人の隊員でもよかったはずだ。

 それなのにわざわざエルザを選んだということは、なにか理由があるのだろう。

 たとえば、エルザ一人が意識を保ったまま地下に下りてきたからか。

 もしくは隊員の一人を殺害したところを目撃されてしまったからか。


「アルヴァー、エルザは、……だよ」


 ルティスの静かな声色に、アルヴァーは反射的に彼の顔を見た。

 険しい表情で彼女の銃を見つめるトパーズ色の瞳は、恐ろしいほどに冷たい。


「お前まさか、『ヴァンパイアはダンピールの血に引き寄せられる』って伝承、信じるのか?」

「だけど実際、ヴァンパイアと思われる男にエルザは連れ去られた」


 二人の間に沈黙が流れる。

 珍しく冷ややかな殺気を放つ隊長に、その場に居合わせた隊員たちのひたいに汗がにじむ。


「くそっ!!」


 吐き捨てるように言ったアルヴァーの声が、地下に反響していつまでもこだましていた。



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