第13話 知らない間に

◇◇◇◇◇



 東の空が藍色に染まりはじめるころ。

 本部より帰還したルティスとアルヴァーは、支部の状況に目を疑った。

 高い壁に阻まれた支部敷地内。その場しのぎのエントランスドアを開けるや否や視界に飛びこんできたのは、床に倒れている隊員たちの姿だった。


「どうなってんだ、こりゃ……!」


 瞬時に警戒心を高ぶらせるアルヴァーが、反射的にサーベルに手をかける。

 それはまさに異様な光景だった。

 倒れている隊員たちに外傷はなく、ただ気を失っているだけ。周辺には何者かに襲撃されたような痕跡もなく、そのことがかえって不気味さに拍車をかけていた。


「誰か、手分けして中の様子を見てきてくれ」

「「「は、はい!」」」


 ルティスの指示を受け、彼らに同行していた数人の隊員が慌てて上の階へと急いだ。バタバタと慌ただしく廊下を駆け、階段を駆け上がる足音が遠ざかっていく。

 どこかの部屋から、電話の呼び出し音が鳴りつづけていた。


「くそっ! エルザはなにやってんだよ!?」


 意識のない部下を揺り起こしながら、アルヴァーはここにはいないエルザに向かって悪態をついた。

 エルザがいながらこんな状況に陥るなど、とても理解できなかったのである。それほどまでに二人はエルザのことを信頼しているし、彼女自身にもそれに応えられるだけの実力があった。

 にもかかわらず。


「アルヴァー、まずは状況を整理しよう」


 ルティスの言葉に、アルヴァーは小さく舌を打つ。


「状況が不可解すぎる。もしかしたら、エルザでも対処しきれないことが起きたのかもしれない」


 もしくは彼女自身に、なにか良くないことが起こったか。

 最悪の状況を想定しながらも、現状がわからないことにはどうにも対処のしようがない。


「……ぅうっ」


 すると、廊下で気を失っていた隊員の一人が目を覚ました。

 まだ意識が朦朧としているのか目の焦点が合っていない。

 彼はこめかみを押さえながら、くらくらとしてはっきりしない視界を正そうと、何度もまばたきを繰り返した。


「おい、なにがあった?」


 隊員の前に膝をつき、アルヴァーが彼の様子をうかがう。

 ルティスとアルヴァーの顔を見上げた隊員は、息をつまらせながら首を左右に振った。


「わ、わかりませんっ……! 自分は、なにもっ……」

「隊長! 上の状況も同じです!」

「みんな、知らない間に気を失っていて、なにが起きたのかわからないと……」


 各階から戻ってきた部下たちの報告に、おのずと二人の表情が険しくなる。

 状況を聞けば聞くほど、それは異常とも言えるできごとだった。

 支部内にいた隊員全員が、気を失っていたであろうこの二、三時間の記憶がない、と証言したのである。

 それは任務から帰還した者も然り。支部の建物内に入ってすぐ、なぜかみな意識が飛んだというのだ。

 どおりで、本部から何度支部に電話をかけてもつながらなかったはずである。

 いったいこの数時間の間になにが起こったのか。

 隊員たちの証言だけでは、皆目検討もつかない。


「エルザは!? 隊長室にはいないのか!?」


 頼みの綱はエルザだけである。

 彼女なら、少しは有力な証言が得られるかもしれない。

 だがアルヴァーの問いに、隊員たちは互いに顔を見合わせるばかり。

 隊長室の確認へ向かった部下は、言い出しにくそうに視線を泳がせていた。


「そ、それが……、エルザさんの姿はどこにも……」

「は? どこ行きやがったんだよ、あのバカ!」


 いらだちから、アルヴァーはすぐそばの壁にこぶしをたたきつけた。隊員の一人がびくりと肩を揺らす。

 灰皿にたまった吸い殻と、ソファーの横に置き去りにされたサーベルが、彼女がたしかに部屋にいたということを物語っているのに、その持ち主だけが不在なのである。

 隊長室は、もぬけの殻だった。

 念のためにとほかの執務室や食堂、果てはトイレの個室まで確認したが、彼女の姿はどこにも見当たらない。

 そのときである。


 慌てた様子で駆けてくる一人の隊員が、行き詰まる空気を一瞬で打ち破った。


「隊長! 隊長、大変です!」

「どうした?」

「地下でっ! 地下に死人がっ!!」

「なんだって!?」


 足をもつれさせながら駆けてきた部下は、息も切れ切れにそう言った。


 争った形跡のない支部の状況。

 隊員たちの不可解な証言。

 行方不明のエルザ。

 嫌な汗が、ひたいににじむ。


――あいつにかぎって、まさかな……。


 アルヴァーは無言のままルティスと顔を見合わせると、どちらからともなく昇降機に向かった。




 ひんやりとした、湿っぽい空気が肌にまとわりついた。

 担架をかかえた部下たちが、ルティスとアルヴァーのあとに続く。

 その表情はみな一様に悲痛に満ちていた。せまい昇降機内に、なんとも言えない感情が渦巻く。


「犠牲者は一名。ペアを組んでいたもう一人は軽傷。みなと同様に、意識のない状態で発見されています」


 部下の報告を聞きながら、ルティスは横たわる隊員の死体のそばに膝をついた。かけられたばかりの粗末な毛布を静かにめくる。

 そこには変わり果てた姿の部下が、まるで枯れ果てた倒木のように横たわっていた。


「今日の監視任務は誰になっている?」

「日報どおりなら、セシルとロッズです」


 ルティスの問いに答えた部下が、ちらりと出入口付近に視線をやる。

 そこには別の隊員に介抱されている、意識のないセシルが横になっていた。

 ということはつまり。


「おそらくこれは、ロッズ、だと思われます」

「そうか……」ルティスは静かに息を吐いた。


 ロッズはまだ若かったはずだ。しかしその肌は老人のようにしわだらけで、まるで干からびてしまったように、骨と皮だけの無惨なありさまだった。


「ひでぇな……」


 アルヴァーは心痛な面持ちで、見開かれたままの部下のまぶたを閉じてやった。

 氷のような冷たさが、手のひらを通して伝わってくる。

 無意識に噛みしめた奥歯が、ギリッ、と音を立てた。


「先日の、グールの生き残りでしょうか?」

「いや、グールだとしたら、彼はヒトの形をしていないよ」

「では、いったい誰が……」一瞬、みなの中に沈黙が流れた。


「隊長! セシルの意識が戻りました!」



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