第10話 鬼の居ぬ間に
◇◇◇◇◇
グールの群れによる支部襲撃から三日後。エルザは隊長室のソファを我が物顔で陣取ってタバコをふかしていた。
脱ぎ捨てた上着が、無造作に背もたれに引っかかっている。
「二人そろって不在とか、ありえなくない?」
ローテーブルをはさんだ向かい側に座る隊員に向かってそう愚痴をこぼせば、彼はあいまいな表情で笑ってみせた。
現在、
不足している人員と武器の補充、支部敷地内の修繕費を要請するために、隊長みずから本部へ出張中だ。
通常であれば報告書と要請書を送ればいいだけなのだが、いかんせんいろいろなものが不足している。本部が重い腰を上げるのを待っていては、正直いつになるかわからない。少なくとも、銀製の銃弾の補充と支部の修繕は急を要する案件である。
「まぁ、状況が状況ですし」
グールとの戦闘で受けた被害はそれほど大きくはない。しかしながら直後に発生した地震により、被害が拡大してしまったのである。
メインエントランスはさることながら、壁にはいくつもの亀裂が走り、エントランスドアにいたってはほとんど使い物にならなくなってしまっている。
いまはかろうじて、板で補強した簡易的なドアをはめ込んでしのいでいる次第だ。
「とりあえずあの穴だけは、早いとこどうにかしないとですね」
困ったように笑う隊員に、エルザも小さくため息をつく。
なにより一番の被害は、前庭にできた地面の陥没だろう。できればこれ以上穴が広がる前に、さっさと埋めてしまいたい。
あのあとも何人かが足をすべらせて、見事に穴に落下しているのだ。おかげで穴には、常に縄梯子が掛けられている始末だ。
「ったく、アルヴァーはなにしてんのよ」
本来ならば隊長不在時は副隊長が支部に残るはずなのだが、アルヴァーもまた支部を空けている。
「副隊長は別件なんでしたっけ?」
「そーよ。どうせ父親に呼び出されたかなんかでしょ」
エルザは隊員から受け取った書類を眺めつつ、ゆっくりと紫煙を吐き出した。
隊長、副隊長がそろって不在のせいで、ここ数日の彼女の任務は二人の代行である。彼らと同期であるがゆえに、なかば押しつけられたと言っても過言ではない。
「エルザさん、この件については、ひとまず現場の調査は終了でいいですか?」
「いいんじゃない? これ以上はなんにも出てこないだろうし」
「わかりました。調査チームには帰還指示を出しときます」
「うん、よろしく」
エルザは報告書に目を通しながら、目の前の隊員にそう告げる。
サインを入れた何枚かの報告書をひとまとめにして、エルザはそれを隊員に手渡した。
「あとの案件は急がないから、隊長が戻ってからでいいわ」
「わかりました。それじゃ、失礼します」
小さく一礼して部屋を出ていく隊員を見送り、エルザはタバコの先端にたまった灰をひとつ落とす。
肺まで吸いこんだ紫煙を静かに吐き出しながら、彼女はソファの背もたれに体重を預けた。
――支部が大変だってのに、本部の連中はなにやってんだか。
所詮は対岸の火事ということなのだろう。自分たちに火の粉がかからなければそれでいいのだ。
――いつだって、大変なのは現場ばっかりね。
天井を見上げたまま、エルザは深々と息をついてまぶたを閉じた。
壁際の大きな柱時計が、コツ、コツ、と規則正しい音を奏でている。
そのとき、机上の電話がけたたましく鳴りだした。
エルザはソファから腰を上げると、執務机の端にある受話器を取る。
「はい、こちら
間延びした声で応答すれば、受話器の向こうから往来の喧騒が聞こえてくる。
『エルザか。予定どおり、西地区の駆除は終わったぞ』
「ドミニクさん、おつかれさまでした。報告書は明日でいいんで、酔いつぶれないうちに直帰してください」
ベテラン隊員からの任務完了報告にそう返せば、電話口でもう一人の隊員から「よっしゃー!」と歓声が上がる。
『さすが! わかってるねぇ、エルザちゃん』
「はいはい、ちゃん付けしないでくださいってば。ジョッシュさん」
受話器越しにこだまするおっさんたちの笑い声に、エルザもつられて頬をゆるめた。
――鬼の居ぬ間になんとやら、ね。
普段は、というか隊長は、支部への即時帰還と当日中の報告書提出を指示しているのだが、それに対して彼らが時おり不満を漏らしているのをエルザは知っていた。
おっさんたちいわく、「命懸けで殺り合ったあとは、一杯やりたくなる」んだそうだ。
実際一杯では済まないのだが、その気持ちはわからなくもない。ひと仕事終えたあとのアルコールは、最高にうまい。
だからこそ、こういうときはそのまま直帰指示を出したりしている。
――べつに急ぎの案件でもないしね。
そういえば、討伐任務のあとは「無性に嫁さんに甘えたくなる」とも言っていた気がする。
あんな凶悪そうな
受話器を置いたエルザは、おもわず腕をさすって苦笑いを浮かべた。
窓越しに空を眺めると、ゆっくりとした動作で新しいタバコに火をつける。
グールの襲撃が嘘のように、空は憎たらしいほどに晴れ渡っていた。
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