第7話 どちらかといえば猫派
「それがねぇ……、目覚めてからずっと、『エルザに会わせろ』の一点張りで。暴れないだけましだけど、こちらの質問には一切答えないし」
ルティスから告げられる男の行動に、エルザがあきれてため息をついたのと、昇降機が停止したのはほぼ同時だった。
岩盤を掘っただけの、岩肌がむき出しの地下牢。その奥の鉄格子の向こうから、男がわめいている声が聞こえる。
――うわ、めんどくさ……。
エルザは再度息をつくと、重い足取りで声の主のもとへ向かった。
「あ! お姉さーん♡」
エルザの姿を見つけるや否や、満面の笑みで大きく手を振る男の姿にもはやため息すら出ない。
なにがそんなにうれしいのか。まるで主人に尻尾を振る大型犬を彷彿とさせる。
正直こんなにでかい犬はいらない。というか、どちらかといえばエルザは猫派である。
「ったく、これ以上面倒かけるな」
「お姉さん♪ お姉さんの名前、教えて?」
「…………」
彼は自分の置かれている状況を、はたして理解できているのだろうか。
否、できていないからこそこうして場違いな質問を寄越してくるのだろう。
錆びた鉄格子の向こうで悠々とあぐらをかいている男は、にこにこしながらエルザを見上げていた。彼は期待に満ちたまなざしで、おとなしく彼女の返答を待っている。
「お姉さん♪」
「…………」
「……答えてやれよ、エルザ・バルテルス」
隣でニヤニヤしているアルヴァーの足を、エルザはブーツのかかとで思いきり踏みつけてやった。
素直に教えてやるのがなんだか癪で黙っていたというのに、つくづく余計なことをしてくれたものだ。よりにもよってフルネームを口にした男への制裁としては、少々軽すぎるかもしれない。
「へぇー、『エルザ』か。すてきな名前だね♪」
「きみの名を、教えてくれるかい?」
満足そうに笑う男にルティスが問う。
しかし、男は無言でルティスを一瞥し、その視線はすぐさまエルザへと注がれる。
ルティスの質問に答える気はない、とでも言いたげである。
「……エルザ、すまないが」
「はぁ……。お前、名は?」
「ギルベルトだよ。よろしくね、エルザ」
ルティスに促されて、エルザが再度同じ質問を投げかけた。
すると、ルティスやほかの隊員に対する態度とは一変。ギルベルトは素直に応じるではないか。
あからさまな変わり身の早さに、エルザもため息をつかずにはいられなかった。
「ではギルベルトくん、きみはなぜ立ち入り禁止区域内にいたんだい?」
「……」
「……エルザ」
「……めんどくさ……。お前、昨日なんであそこにいた?」
「『迷子になってた』って昨日も言ったじゃん。それとも、二人で過ごした夜のこと、忘れちゃった?」
鉄格子の間から伸ばされたギルベルトの手が、おもむろにエルザの指に絡まる。
危害を加えるような意志を感じなかったせいか、エルザはされるがままにその手の行方を目で追った。
ゆっくりと手を引かれ、細い手首から先が鉄格子の内側へといざなわれる。
するとなにを思ったか、ギルベルトは絡めとった彼女の細い指先を、パクリ、と口にくわえた。
「ひっ!? おまっ! なにしてっ……!?」
「だっておいしそうだったから。……味見?」
驚いたエルザが咄嗟に手を引けば、彼は小首をかしげてあっけらかんとそう言った。どうやら悪気はまったくないらしい。
だからといってどこの世界に、出会って間もない人物の指を食べようとするやつがいるだろうか。
「だって俺、エルザのこと好きだし。なにか問題でもある?」
「大ありだ!」
「えー、好きな子なら食べたいって思うのが普通でしょ?」
「普通なわけあるか!」
なにを言い出すかと思えば、とんでもないことを口にしてくれたものだ。あまりの羞恥で、エルザの顔に熱が集まる。
内心慌てるエルザをよそに、ギルベルトはにこにこと彼女を見上げていた。
「お前、そんなことに興味なさそうなふりして、ってぇ!?」
「誤解をまねくような言い方をするなぁ!!」
不愉快極まりない笑みを浮かべて肘でつついてくるアルヴァーの脇腹を、エルザは力いっぱい蹴り飛ばした。
あいにくと手加減をしてやる余裕はない。腰がおかしな角度に曲がっていたことは、この際見なかったことにしよう。
というか、いまはそれどころではない。
人のことを「おいしそう」だの「食べたい」だのと言ってのけた男は、今度は満面の笑みで「エルザが好きだ」と連呼していた。
そして仕事熱心な隊員たちは、律儀に調書にペンを走らせているのである。
「ちょっとあんたたち! 余計なことは書かないで!」
「ねぇ、俺いつになったらここから出れんの? 家に帰りたいんだけど。あ、エルザも一緒に来る? てか持って帰っていい? いいよね。俺エルザのこと好きだし」
「お前はちょっと黙ってろ!!」
鉄格子のすきまから上着の裾を引っぱる手を、エルザはぺしっ、と勢いよくたたき落とした。
周囲も巻き込んで、完全にギルベルトのペースに振り回されている。
取り乱すエルザの姿が珍しくて、監視任務についている隊員たちが目を丸くしているではないか。
「ねぇー、エルザー」
「きみへの聴取が終われば、すぐにでも解放しよう」
冷静なルティスの答えなどさも興味などなさげに、ギルベルトは彼の姿をちらりと一瞥しただけだった。
その目はエルザに向けられていたものとは正反対の、ひどく冷めきった視線である。凍てつくようなまなざしは、エルザにちょっかいを出している男と同一人物とは思えないほど。
ルティスは彼の雰囲気にただならぬなにかを感じ、静かに目を細めていた。
「エルザ、非番なのにすまなかったね。さ、上に戻ろう」
もうここに用はないとばかりに、ルティスは鼻息荒く隊員たちに調書の修正をさせるエルザの肩を抱く。そうして昇降機へと促しながら、再度鉄格子の向こうを見遣った。
まっすぐこちらに視線を寄越すギルベルトと目が合う。
彼はただ、不敵な笑みを浮かべているだけだった。
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