第6話 ただの興味本位

◇◇◇◇◇



「――ざいまーす」

「エルザ・バルテルス! いま何時だと思ってるんだ!?」

「……うるさ……」


 エルザがのんきにあくびをしながら気だるそうにドアを開ければ、間髪入れずに耳に飛び込んできたのは馴染みの声だった。


「あんた、その無駄に元気がいいの、どうにかなんないの?」


 あきれながらそう言って、エルザはスカートのポケットから懐中時計を取り出した。

 ベルトループに引っかけた細いチェーンが小さく音を立てる。

 クルースニクの紋章が型どられた蓋をはずせば、時刻はちょうど昼飯時から二周ほど針が回ったところ。

 どおりで腹も減っているわけである。


――食堂、開いてるかしら?


 懐中時計をもとのポケットに押し込んで、エルザは小さく息をついた。

 昼時を大幅に過ぎているため、隊員用の食堂が空いているかどうかも怪しい。場合によっては外に食べに出なくてはならないが、それはそれでめんどくさい。だが食いっぱぐれるのも御免である。


――寮の冷蔵庫、水しか入ってないのよねぇ。


 隊長室の大きな窓から差しこむ陽射しがまぶしくて、エルザは眉根を寄せて目を細めた。

 上着の胸ポケットから取り出したタバコをくわえ、愛用のオイルライターを探す。

 しかしどのポケットにもその感触はない。どうやら寮の自室に忘れてきてしまったようだ。


「坊っちゃん、火」

「持ってねぇよ! 坊っちゃん言うな!」


 催促するように差し出した手のひらを、アルヴァーにベチンッ、とたたかれた。じんしんと痛む手を軽く振って、エルザはタバコをくわえたまま小さくため息をつく。


「使えないわね」

「悪かったな!」


 残念ながら隊長もタバコは吸わないし、おそらくこの部屋にライターはないだろう。わざわざほかの隊員に借りに行くのもめんどくさい。

 エルザはしぶしぶ、いったんくわえたタバコをケースにしまうことにした。


「ったく、もうちょっと上官を敬え。だいたいお前は、って聞いてるのか!?」

「……うるさい。こっちは誰かさんのせいで朝帰ってきたの。少しはねぎらえ。ちなみに今日はあたしは非番!」


 こちとらまだ寝起きなのだ。目の前でぎゃんぎゃん騒がないでほしい。

 だいたい夜番明けのくせに、よくもまあそんなに元気があり余ってるなと、エルザはこめかみを押さえながら目の前の男を見遣った。


「非番? だったらなんで来たんだよ」

「は? あんたに八つ当たりしに来たに決まってるでしょ」

「なっ!?」


 それ以外に理由はない。

 そうでなければ誰がわざわざ非番の日に、制服に着替えてまで支部に顔など出そうか。

 すべてはこの男に八つ当たりするためである。

 エルザはおもむろに腰を落とし、右足を後方へと下げた。

 狙いはもちろん、目の前の赤毛である。

 彼女の行動の意図を理解したアルヴァーは、両手を前に突き出してじりじりと後退しはじめた。


「待て、冷静になれ。こんなことをして、お前に、なんの得がある?」

「少しは気が晴れるね」

「そういう問題じゃない。俺副隊長! お前の上司!」

「同期じゃん。気にしたら負けよ」

「いやいやいやいや! 少しは気にしろよ!」

「おなか空いてるの。早くして」

「のぉおおぉぉお!?」


 にやりと口角を上げればみるみる青くなっていくアルヴァーに、笑いがこみ上げる。

 左足に体重をかけ、エルザが勢いよく右足を蹴ったときだった。


「あ、エルザちょうどよかった」


 隊長室のドアを開けたルティスは、半開きのままのドアを片手で支えながら、ふっ、とを頬をほころばせた。

 二人のこの状況については、毎度ながら華麗にスルーである。

 八つ当たりの邪魔をされて不満そうに目を細めるエルザに対して、アルヴァーはあからさまに安堵の表情を浮かべている。


「今朝きみが連れて帰ってきた男なんだけどね、少々手を焼いていて……。すまないが、下まで一緒に来てくれるかい?」


 昨日からとことんついていないらしい。

 ここで「ノー」と言えればどんなに楽だろうか。

 おそらくルティスには、「非番だから」という言い訳は通じないだろう。そもそもエルザが非番だとわかっていて言っているのだ、この男は。

 はじめから彼女に拒否権などない。


「はぁー……、仕方ないわね」


 エルザは大きく息を吐きながら、至極残念そうに足を下ろした。


「……お前、男連れで朝帰りたぁ……、やるじゃねぇか……」

「…………バカじゃないの?」


 にやにやと下世話な笑みを浮かべ、人の肩に腕を乗せる赤毛のすねを蹴る。

 この程度の八つ当たりでは物足りないが、続きは厄介事が終わってからだ。「あとで絶対に後悔させてやる」と、エルザは口の中で小さく言い捨てる。


「それじゃ、行こうか」


 ルティスに促されるまま、エルザは彼とともに隊長室をあとにする。

 例の不審者が拘束されている地下牢を目指して、廊下の奥の昇降機へと向かう。


「……なんであんたまでついてくるのよ」

「ただの興味本位だ」


 自信たっぷりなどや顔とともに昇降機に乗りこんできたアルヴァーに、エルザは訝しげに眉を寄せた。

 この男はそんなにも蹴られたいのだろうか。まさかマゾヒストなわけでもあるまい。というかそれはそれで嫌である。


「で? 例の男、なにかわかったの?」


 彼女のなんとも言えない表情から考えを察したのか、自分はマゾではないと騒ぎたてるアルヴァーを無視して、エルザはルティスに問うた。

 どういうわけか、彼は困ったように眉を下げて苦笑している。



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