後編
今日は満月の日だった。
事前に宮崎先輩から注意を受けていたものの、前回の実験で人間寄りだと判明していたので悟は完全に油断していた。
まさかこれほどまでに乾くとは。
どうやら満月の日は吸血鬼としての本能が高まるようだ。
「ふむ、なるほどねえ」
部室に行ってそのことを宮崎先輩に相談すると彼女は唸った。
「考えても分からないし、一度吸ってみようか」
「いいんですか?」
「警察に通報したらごめんとだけは言っておくよ」
「ごめんじゃ済まされないのが警察です!」
冗談冗談と宮崎先輩はからから笑った。
「ほら、どうぞ」
宮崎先輩は制服をずらして僧帽筋の辺りを見せる。
悟はごくりと息をのんだ。
やはりこれも吸血鬼としての衝動なのだろう。数日前であれば何も感じなかっただろうが、今ではまるで高級料理のようにも感じる。
「い、いただきます」
悟は遠慮がちに宮崎先輩の肩を噛んだ。
牙を上手く使うと、少しの力でも皮膚を食い破ることができた。
宮崎先輩の血が悟の口内に流れ込む。
吸血鬼としての本能が最大限に喜びを発しようとしているのが分かった。
もっと強請りそうになったが、無理やりに抑え込む。
これ以上は本当に警察に通報されてもおかしくはない。
血を吸われた先輩は何やらふわふわとしていた。
「うーん・・・吸血鬼に血を吸われるとこうなるのか」
「す、すみません。暴走していたみたいです」
「謝る必要はないよ。むしろ私は君に感謝しているくらいなんだ。オカルトが好きでこの部活に入ったけど大半が幽霊部員で活動者は私だけ。だから、初めてオカルト研究部らしいことができたことが私は凄く嬉しい」
そう口にしてから宮崎先輩はハッと口を押える。
「いま、何か言ってた?」
先程の言葉を伝えると宮崎先輩は深く溜息をついた。
心なしか恥ずかしそうにしている。
「どうやら吸血すると対象の思考力を少しの間だけ奪うみたいだね。自白剤のような成分が吸血と同時に流されるのかな」
「ということは今のは本音・・・」
「うるさい!」
その後、乾きが落ち着いた悟は他生徒とは下校時間を少しずらして帰宅した。
すると見覚えのある女子生徒が歩いているのが見えた。
吸血衝動は大丈夫だろう。突発的に血を見たりしなければ今は落ち着いている。
「蜜柑!」
「悟・・・」
悟は蜜柑の隣に並ぶ。
しかし、妙に元気がなかった。
中学の時も大会終わりはアドレナリン全開でハイテンションな印象しかない。
「大会、負けちゃった」
蜜柑はポツリと口にした。
「中学の時はお互いにライバルだと思ってたのに。彼女は高校に上ってから身体も大きくなって私は負けた。全然互角なんかじゃなかった」
「同じ立ち位置にいたと思っていた人が、私の何倍もの早さで成長して追い抜いていった。これからもどんどんそういう人が出てくる。高校から始めたのに、中学から続けている人を余裕で抜いていっちゃうような人が」
「嫌だよ。今回ので分かった。置いていかれるのは怖い」
「私には剣道の才能がないのかも。ねえ悟、私はどうしたらいいのかな」
蜜柑の嘆くような独白に、悟は全く別のことを考えていた。
蜜柑の手の甲。
大会で擦りむいたのだろうか。瘡蓋が剥がれて血が垂れている。
満月の夕方。
悟の欲求は吸血のみに集約していた。
枯れた土地では一杯の水のために殺人を犯す人がいるという。
悟はその話に妙な納得感を得るほどに、吸血鬼の衝動に支配をされていた。
だめだ。我慢が効かない。
人間の理性では到底この乾きを抑えることはできない。
「え、さ、悟!?」
悟は蜜柑の手の甲から流れる血を舌で掬い取った。
「いつっ」
それからぶつりと手の甲を噛んでより多くの血を求めようとする。
獣だ。吸血鬼は血を求める獣でしかない。
「は、離して!何すんのよ!」
剣道部の力で振り解かれて悟は道路へ尻餅をつく。
蜜柑は色々な感情がないまぜになって、それが涙として溢れそうになっている。
「もう・・何なのよ」
「最近は悟が全然剣道部に来てくれないし、何か小ちゃくて可愛い先輩と部室に入り浸って何かやってるしで、集中できるわけないでしょ!」
「この前だって応援の言葉を貰いに行こうと思ったらぞんざいに扱われて、しかも可愛い先輩と楽しそうに話してるじゃない!」
「私の方が先に好きだったのに」
「私の方が悟を好きな気持ちが大きいって絶対に言えるのに・・・」
蜜柑は路上で泣き出してしまった。
一方で悟はというと蜜柑の血を吸ったことで我に帰り、とんでもないことをしてしまったという後にも先にもないくらいの罪悪感を背負うのだった。
「それで説明してもらってもいいですか?」
「「はい・・・」」
翌日、剣呑な表情を浮かべた蜜柑にオカルト部員二名は召集されていた。
もちろん場所はオカルト研究部室だ。
悟と宮崎先輩は、今までに起きたことを包み隠さず蜜柑に話した。
「吸血鬼・・・だから昨日あんなことをしてきたのね」
「申し訳ございませんでした」
昨日は人としてやってはいけないことをした。
あれじゃあ半人間どころか吸血鬼ですらない。ただの刑務所行きの変態だ。
「うーん、二人で教室に入ってきた時は遂に!と思ったんだけどなあ」
宮崎先輩が楽しそうに言う。
「このクソは女の子に自白させるだけさせて、自分からは何もしないどうしようもないクズなんですよ」
「言っていいことと悪いこともあるぞ!」
「あはは。それじゃあそのためにも早く治療法を見つけないとね」
どうやら宮崎先輩は完全に蜜柑側についたようだった。
宮崎先輩の言葉で三人の意識が吸血鬼の治療法の方へと傾いていった。
「そういえば、さっき試したことを聞いて思ったんですけど」
「何か思いついたの?」
「まあ素人意見だからあれですが、一度原点に帰ってみるのはどうでしょう」
「原点?」
「はい、人は古来より人知を超えたことが起きると神様に縋ってたといいます。つまり、神社で取り仕切られているお祓いに行ってみるのはどうでしょうか」
「「あ」」
オカルト部員二名は顔を合わせて声を漏らした。
調べたところ近くの大きめの神社でお祓いをやっているようだった。
電話での予約をしたところ最近はお祓いに来る人も少なくなっているらしく、数日後に来てくださいと喜色めいた口調で言われた。
数日後に三人は予約していた神社に訪れていた。
平日の午後なので参拝客の姿はほとんど見当たらない。
ずっとこの地域に住んでいる悟ですが、何の神を祀っている神社か知らなかったほどだ。参拝客がいないのも当然といえた。
受付でお祓いをしに来たというと奥に通される。
柔和な笑顔が特徴の神主の方がお祓いを務めてくれるようだった。
早速お祓いが始まった。
禊や装束に着替える必要はないようで悟は私服のままお祓いを受けた。
俗世に合わせているのか、神様が寛容になっているのか。
わからない。
悟は成功を全力で祈るのみだった。
しかし、
「これは・・・すみませんが、私には難しいと思います」
お祓いを終えた神主の方は申し訳なさそう表情を浮かべていた。
「鬼の相が見えはするのですが・・・どうやらこれは呪いに近いようですね」
「呪いですか」
宮崎先輩が意外そうな声音で言った。
「はい、申し訳ありませんが私の力では難しいと思います。よろしければ更に位の高い神社への紹介状をお書きしますが・・・」
「いえ、それでしたら紹介状を」
神主の方と宮崎先輩の会話の一方で、悟は別のことを考えていた。
蜜柑が悟の様子を見かねて声をかける。
せっかくお祓いをしてくれた方に対する態度ではないだろうと蜜柑は思った。
「悟、何ぼーっとしてるのよ。あなたの問題でしょう」
「あ、ああ」
「まさかまた吸血衝動に駆られているわけ?全くもう仕方ないわね」
「いや、違う。呪いってことは」
蜜柑の言葉をよそに、悟はぶつぶつと何か呟いている。
理性は失っていない。むしろ人間として思考力を働かさせている目だ。
「蜜柑、ちょっと来てもらっていい?」
「え、な、なに?」
「思いついたことがあるんだ。すみません、すぐに戻りますから」
そう言って悟は蜜柑を連れて行った。
残された神主の方と宮崎先輩は何が何やらと言った様子で二人を見送った。
悟が蜜柑を連れて行った先は神社でも特に人気のない場所だった。
周囲は木々に囲まれていて、近くに寄らないと人がいることも分からない。
「こんなところに連れ出してきて何の用なの?」
「蜜柑、頼む。キスさせてくれないか」
数秒の空白。
悟の言葉を理解した蜜柑が慌てて口を動かす。
「はあ!?何言ってんの!?」
「これは蜜柑にしかお願いできないことなんだ」
「ふざけんな!どういう思考でそんなことが言えるのよ!」
「聞いてくれ。俺はずっと吸血鬼になったことを病気のようなものだと勘違いしていた。けれど神主の方は呪いと言った。そして、呪いを解く定番は」
愛する者とのキス
「きっとこれに違いない。キスをすることで俺は人間に戻れるはずだ!」
「あ、あ、愛するってあんたねえ・・・!」
「俺の直感が告げているんだ! この通りだ蜜柑、キスをさせて欲しい」
「ぐっ」
深々と頭を下げる悟に、冗談ではないことを蜜柑は悟った。
「・・・一回だけだからね」
悟はありがとうと感謝の言葉を伝えて蜜柑の肩を掴む。
そして少し震える蜜柑の唇と、悟の唇を重ねた。
その瞬間。
あのとき見た影のようなものが悟の影から現れる。
その影はまるで突然押し出されてしまったとでもいいたげにひとしきり慌てると、悟の影に戻ることなく太陽の光を浴びて霧散していく。
「もど、った?」
ぼうっと目をとろんとさせる蜜柑から手を離して、悟は口の中に指を突っ込む。
獣のような牙は、完全に元になくなっていた。
「戻った!人間に戻れた!」
悟は全身で喜びを表現した。
それと同時に、目の前には想い人である蜜柑がいることを思い出す。
好きだと言わせてあまつさえキスまでさせてくれた女の子。
ここで想いを伝えられないのなら、一生蜜柑の前に姿を表すな。悟は強く感じた。
「蜜柑」
「は、はい」
「ずっと昔から大好きでした。俺と付き合ってください」
悟の告白に蜜柑は眉尻を下げながら嘆息した。
「遅いのよ。ばか」と蜜柑。
「それに私の方が昔から好きだったから、そこんとこ忘れないように」
蜜柑の言葉に、悟は一生彼女には敵わないのだろうと笑う。
そうして、悟の不可思議な日々は終わりを告げるのだった。
オカルト研のやつに吸血鬼にさせられた 手毬めあ @Emmy
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